雪山として登ってみたい山が藤無山だった。2001年6月に一宮町側から公文コースで登ったが、その時の展望の良さが印象に残っており、冬季も是非このコースで登ってみたいと考えていた。2004年1月12日は兵庫全域が快晴になった日で、澄んだ青空が広がっていた。ただ一宮町内に入っても雪はほとんど見られなかった。山も青々としていた。公文川沿いの道に入って漸く道ばたに雪を見かけるようになった。駐車地点は一宮町で最も奥深い所と思われる志倉集落のその家並みを過ぎた辺りとした。公文林道は除雪されていないため、10センチほどの雪で覆われていた。足慣らしの意味もあって林道を歩くことにしたが、クロカンタイプの車ならまだまだ進んで行ける程度の雪だった。林道の陽当たりの良い所は雪が溶けており、無理なく歩けて45分ほどで林道終点に着いた。そこが登山口で、登り出すと目印のテープが程良い間隔で付いていた。おかげで地図を見なくとも登って行けた。雪は20センチほどで問題無かったが、雪面にトレースは全く付いていなかった。とにかく目印を追って登って行く。少し状況が厳しくなったのは、沢沿いの登りが終わって尾根に向かっての急登になった辺りからで、俄然雪の量が増えて来た。前日にでも降ったのか新雪が表面を覆っており、膝まで潜り出した。急坂のためワカンを付けることも出来ず、ひたすらラッセルで登って行った。特にロープが張られた辺りでは雪が深く、ロープに掴まって体を引きずり上げるようにして登って行った。展望を楽しむことも忘れてひたすら登ることに専念した。そして標高が千メートルを越えた辺りで、漸く緩斜面となってきた。クマザサはすっかり雪の下で、全くの雪山の世界になっていた。そこでやっとワカンを付けることにした。足は潜ることは無くなり、ぐんと楽になった。そしてうれしかったのは稜線に出たときで、一帯の自然林が全て霧氷に包まれていたことだった。その真っ白な姿には思わず足を止めて魅入ってしまった。もうすっかりスノーハイクの雰囲気となり、新雪の上を自由気ままにトレースを付けながら登って行った。そして登山口からほぼ1時間半で山頂に着いた。この好天で、大屋町側から誰かは登って来ているものと思っていたのだが、山頂は無人だった。この山頂で積雪は1メートルはあると思え、当然三角点は見えず山名標識だけが山頂を示していた。山頂で驚いたのは展望が良くなっていたことだった。一宮町側の木が伐られており、播州の高峰が一望出来るようになっていた。この日は視界が良く澄んでおり、左手には須留ヶ峰、そして段ヶ峰に千町ヶ峰、夜鷹山、暁晴山など、遠くは千ヶ峰まで見えていた。一宮町の山深い辺りも一望で、思う存分この展望を楽しんだ。昼食の後は山頂一帯を散歩してみた。北に少し下ると、氷ノ山から鉢伏山、妙見山と、これまた但馬の高峰を一望出来た。氷ノ山の山頂はすっかり白くなっていた。あちらこちらと動いて、結局2時間ほど山頂で過ごしてしまった。下山は東へと稜線をたどり、途中より公文林道へと繋がる尾根を歩くことにした。稜線を歩くうちは問題なかったが、尾根を下り出すと、こちらは伐採の跡地で、展望こそ素晴らしいものの雪が少なく、枯れ枝や切り株に足を取られてけっこう難儀させられた。これならすんなりと登ってきたコースで下山した方が楽だったかもしれないと思いながら、その煩わしい尾根の下りを続けた。
(2004/1記)(2010/6改訂)(2021/12改訂2)(2023/10写真改訂) |