TAJIHM の 兵庫の山めぐり <西播磨編
 
千町ヶ峰   せんちょうがみね 1141.3m 宍粟市・神河町
 
1/2.5万地図 : 神子畑
 
【2008年1月】 No.4 2008-13(TAJI&HM)
 
    段ヶ峰より  2007 / 1

 兵庫の千メートル峰として、千町ヶ峰は姿の良い山では上の部類に入ると思われるが、特に段ヶ峰から眺める姿は両翼を力強く張って、段ヶ峰よりもずっと見栄えのする山である。その千町ヶ峰も登山となると林道が山頂まで続いており、また「こぶしの村」からの登山道も植林地の中を登るためちょっと退屈さがあり、その登山時間も短めで、登る楽しさとしては山の姿ほどでは無いように思われる。その登山も夏と冬とではまた違った味わいになるもので、千町ヶ峰もぜひ冬に登って雪山として違った顔を見たいと思ったのは08年に入った1月のことだった。向かったのは26日の土曜日。但馬地方は雪が続いており、奥播州の山並みも雪になっているのは分かったが、千町ヶ峰ならひざ丈ぐらいのラッセルはあってもワカンやスノーシューを履くほどでもないと考えて、その準備をせずに向かった。但し草木、千町地区への急坂の道は凍結していることを想定して、車は冬タイヤに履き替えた。
 播州南部は少し雲が多いものの晴れの天気だったが、北に向かうにつれて雲が増えて来た。宍粟市に入るとほぼ曇り空になっていた。その雲も雪雲のようで薄黒かった。旧山崎町の北部へと進むと道端に雪が見られるようになり、一宮町では家並みの屋根にも雪が見られ出した。国道29号線を離れて県道6号線に入ると田畑はすっかり白くなっており、雪の量が増えて来た。その県道では路上に雪は見られなかったが、草木、千町への車道に入ると一気に雪が現れた。そして草木の集落が見えると、すっかり雪国の様相だった。千町集落手前の「こぶしの村」に着くと、駐車場は40cmほどの雪で覆われており、止めることが出来なかった。そこで仕方なく近くに見えた広い路肩スペースに駐車とした。どう見てもワカンの必要な状況だったが、無い物は無いのでとにかく登山コースを忠実に辿ることを心がけてスタートした。トレースなどどこにも見えず、いきなり膝まで潜ってのラッセルだった。ただ降ったばかりの雪のため、ずぼっと潜ると言うよりも軽い力で押し進む感じで歩けたため、意外と楽に進んで行けた。「こぶしの村」の家屋を過ぎると林道に出た。その林道もトレースは見えず、ただ雪面が広がっているだけだった。その林道で積雪は30cmほど。雪の少なそうな所を選びながら進むと、その林道も10分ほどで離れて植林帯のやや急斜面を登ることになった。雪は少し深くなったようで、確実にひざまで潜った。パートナーは非力なため、ただ後ろを付いて来るだけなので、相変わらず一人でラッセルだった。登山道はすっかり雪の下のため、木に巻かれた目印の赤テープだけが頼りで登って行く。ときおり千町ヶ峰の標識が現れて、コースを外れていないことを確認する。そばに小さな沢があって沢音が聞こえていたが、登るに従って音は小さくなった。その沢からも離れ出すと、雪はひざの上まで来るようになった。ずぼる感じの雪ならもう完全にギブアップ状態なのだが、雪が軽いため雪を押しのける感じで何とか登って行けた。周囲はずっと植林帯で、とにかく方向を定めて登って行くしかなかった。気温は−1℃前後で、0℃を超えることは無かった。天気はいくぶん回復に向かっているのか、ときに上空に青空が見られ、陽のこぼれてくることがあった。但し長くは続かず、暫くするとまた雪雲が広がった。主稜に近づき出すと、アセビを主体とする灌木帯に入ったが、そこからが一段と厳しくなった。目印テープが雪に隠れて見つけにくくなって、そうなると雪の深い所にはまり込んだりアセビに絡まったりと、突き抜けるのに一苦労だった。それが何度も繰り返される。更に腰まで確実に潜るようになった。もう稜線に出ているのではと思いながら灌木帯でもがいていると、標識に出会った。「弘法の池」とあり、北へ山頂まで10分と書かれていた。ここまで2時間以上かかっていたが、苦労の割にはまずまずのペースで登って来れた思いだった。山頂方向も分かって後はマイペースで向かうだけだと一安心だったが、実はそこからが更なる厳しさだった。雪の量は更に増えて腰だけでなく腹まで潜るようになり、まず体全体で雪を押し、そしてラッセルだった。雪面だけなら良いのだが、まだまだ灌木帯は続いており、それをかき分けていると大量の雪が上から落ちて来た。その灌木を避けると違う方向に向かうことになり、軌道修正が必要になる。何をしても時間のかかることばかりだった。そのうちに雪は腹を超えて胸まで潜るようになった。もうこれは体全体で押しても進めなくなった。そこで考えたのが手をスコップ代わりにして雪をかき分けて進むことだった。ストックはパートナーに預け、腰から上の雪は手でかき分けながらラッセルする。これが意外と効果があり、腰までのときよりもピッチを上げることが出来た。そうしてもがきながら前進していると雪は少し減って腰までとなり、前方の木々が減って来て、その先には標識も見えていた。山頂だった。これには本当に安堵する思いだった。最後のひとあがきで山頂に着く。「弘法の池」からの10分は46分になっていたが、山頂に立てば何も言うことは無かった。パートナーと思わずバンザイを叫んでしまった。その山頂はやはり冬ならではの顔を見せてくれた。それまでの木々は単に雪が付いているだけだったが、山頂では北側の木々は霧氷になっており、それがちょうど陽射しを受けて美しく輝いていた。その向こうには白くなった笠杉山が覗いている。山頂からの展望が良いのは南の方向で、東から南そして南西へと、神河町から夢前町へと続く山並みが雪で白くなった姿を並べていた。中でもすっかり白い段ヶ峰とフトウガ峰が印象的だった。雪が深いためあまり動き回ることは出来なかったが、冬に登ってこその風景に出会えて十分に満足の思いだった。上空は青空が現れては雪雲に戻るを繰り返していたが、小雪がちらつき出したのをしおに下山とする。下山は自分の踏み跡を辿るだけなので、登って来たときの苦労は全く要らない。それこそずかずかと言う感じで下ると、「弘法の池」まで15分だった。その先もどんどん下って行く。それにしてもこの坂をラッセルで登って来たかと思うと、自分で自分に感心する思いだった。植林帯を下っているとき空は一段と黒くなり、風は無いのに肌を刺す冷たさに温度計を見ると、−4℃を指していた。その冷たさも林道まで下りて来ると緩んで、上空も明るくなって来た。そして程なく上空に青空が広がり、その明るい中を「こぶしの村」へ下り着いた。下山は山頂から78分だった。やはり雪の下山は夏道以上に早く下りられるようだった。快い疲れの中で後片付けをしていると、登り終えた後の幸福感がじんわりと体を満たして来た。これは雪山を登り終えてこそ湧いて来るもので、何とも言えず良いものだった。但し体は冷え込んでいる。その体を溶かそうと、一宮温泉「まほろばの湯」へと車を進めた。
(2008/2記)(2020/4改訂)
<登山日> 2008年1月26日 10:17スタート/12:35弘法の池/13:21〜45山頂/14:00弘法の池/14:43林道に出る/15:03エンド。
(天気) 雪雲の曇り空だったが、登るほどに薄れて青空も見え出した。その後は雪雲に戻ったり青空が見えたりを繰り返す。積雪はふもとで50cmまでだったが、登るほどに増えて、山頂付近は1m以上は十分に積もっていた。気温は−1〜3℃で、0℃以上になることは無かった。山頂では北風が弱く吹く程度で、さほど気にならなかった。視界はまずまず良し。下山時は雪空となり、小雪がちらついたが、ふもとに着く頃には、再び青空が見られるようになっていた。
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「こぶしの村」に着いて下千町の家並みを見る
と、すっかり雪国の姿だった
「こぶしの村」の駐車場は厚く雪に覆われて、
駐車出来なかった
トレースは付いておらず、最初からラッセルをす
ることになった まずは草木川に架かる橋を渡る
「こぶしの村」を通り過ぎて、木々の中を歩い
て行く
一度、林道を歩いた 白い雪面と植林の風景が
続く
また斜面を登るようになった
コースははっきりせず、赤テープを頼りに登っ
て行く
新雪は軟らかくヒザまでのラッセルで登った 後ろからパートナーが黙々とついて来る
パートナーがバランスをくずす この辺りは腰ラッセルだった 青空が現れると
の輝きがまぶしかった
「弘法の池」の標識が立つ位置に着いて一安心だ
ったが、ここからがいっそうの厳しさだった

 胸までもぐる雪と
 の格闘の末、漸く
 着いた山頂は静寂
 の世界だった

 山頂の北側の木々
 は霧氷になってお
 り、陽射しを受け
 て明るく輝いてい
 た
山頂の木々はたっぷりと雪をまとっていた 山頂の山名標柱を見る 少し北に下りて山頂を振り返る

 霧氷の木々の向こう
 に雪化粧をした二つ
 の山が並んでいた


   笠杉山と924mピ
   ーク(点名・絵本)
   だった
山頂から展望が良かったのは南の方向で、東から南、南西へと広く展望を楽しめた

(←)
上の写真のフトウガ
峰を大きく見る


 (→)
  上の写真のフトウガ
  峰を大きく見る

 山頂から南に見え
 る夜鷹山を大きく
 写す

 山頂から南西に見
 える暁晴山を大き
 く写す
下山を始める 自分で付けたトレースを歩くのみ 下山を始めたとき、山頂を振り返る 再び雪景色の中に入って行った