赤谷山の一般ルートと呼べる戸倉峠側から登ったのは2008年11月の紅葉期だった。コース中に急坂は少なく、ひたすら尾根を辿るので雪崩の心配も少なそうで、冬山としてけっこう手頃な山ではと思ったものだった。他にも新戸倉トンネルから歩き出せることでアクセスが容易であること、尾根には岩場もヤブも無く、距離も手頃なことなど、冬山としては簡単な部類ではと思えた。2008−2009年の冬のシーズンに入って冬山として最初に登りたい山を考えたとき、この赤谷山がすっと頭に浮かんできた。そして2009年の1月に入って、兵庫の北部は順調に雪が降り続いていた。ただその北の空が快晴となる日と休日とがなかなか合わなかった。1月も下旬に入って25日の日曜日は、最初は曇りの予想だったが、前日の夕方となって播州北部辺りでは晴れ間が出そうであることが分かった。そうなると俄然、赤谷山に登りたくなった。その気でパートナーに相談すると、あっさりと断られてしまった。この日は近くながら5時間ほどのハイキングをして疲れている上に、用事もあるとのことだった。そうなると単独行で行くことにした。その24日はこちらも疲れており、ぐっすりと寝てしまった。そして翌25日は目覚めたのが7時過ぎ。あわてて登山準備をする。気がかりは道路のことで、車はまだ冬タイヤに変えていなかった。心配なまま走るのもいやなので、思い切ってタイヤ交換とした。結局、自宅を離れたのは9時が近い時間になっていた。空は快晴だった。国道29号線を北上して行くと、北の空は雲が多いようだったがまずまず晴れそうだった。そして旧波賀町に入ると、周囲の田畑に雪が見られるようになった。その雪は次第に道路にも見られ出し、引原ダムのパーキングでは何台も車が滑り止めを付けていた。タイヤ交換は正解だったようである。兵坂トンネルを過ぎると路上はすっかり白く、どの車も慎重な運転で、車の流れは40kmまでになっていた。前後に車は多かったのだが、戸倉スキー場を過ぎると、一気に見なくなってしまった。どうやら全てスキー場に向かう車だったようだ。新戸倉トンネル手前のパーキングエリアに着いたのは10時半を過ぎた時間で、誰かは来ているのではと思ったが、1台も車は止まっていなかった。そのパーキングは除雪されているものの気温が低いためかすっかり凍っており、靴を履くのも大変だった。国道を渡って廃道となった旧国道へと歩いて行く。雪の国道29号線を走る車は少ないようで、1分に1台も走っていなかった。旧国道は全く除雪されておらず、その雪は40cmはありそうだった。そして新雪のためいきなり潜った。すぐにスノーシューを着ける。そのスノーシューを履いていても20cmは潜る雪の柔らかさだった。人の足跡は無かったが、鹿の足跡がずっと白い雪面に続いていた。もう時間は11
時が近づいており、このラッセル状態ではちょっと山頂に着くのは厳しいのではと思えてきた。雪山を登るには、時間に余裕を持つこと、そして雪の状態が落ち着いた季節が一番なのだが、どちらにも反している。唯一助かるのは空に青空が見えていることだったが、それも雲が多い状態から、この先どうなるかは分からなかった。とにかく一つの目安として、14時までは頑張ることにして、それで山頂に着けないのなら諦めることにした。旧国道は緩やかに続いており、途中ではすっかり雪の消えた所も現れたが、そこは単に水の流れとなっっている所で、そこを過ぎればまたラッセル状態だった。空を見ると目の覚める蒼さで、雲が速い速度で流れていた。その雲が少しずつ増えて来ているようだった。旧トンネルに着いたときは、歩き出してから30分が経っていた。もうすっかり雪深い景色だった。そこからは林道歩きとなるが、もうどれだけ積もっているのか分からなかった。相変わらず雪は軟らかく、スノーシューの足跡を見ると、30cm以上潜っている所もあった。この林道歩きはまだアプローチとなるので、早く尾根を登り出したい気持ちから、次第に焦りが芽ばえてきた。それでも急ぐと足に疲れが出るので、マイペースを保っていく。漸く戸倉峠の登山口に着いたときは、スタートから1時間が経っていた。その登山口には登山口を示す標柱が立っていたはずだが、どこにも見えなかった。確かにあるはずなのだが、どうやら雪の下のようだった。それだけ雪が深いのだろう。適当に尾根を目指して登り出す。その取り付き部は雪が深いだけで無く急坂とあって、一気に足への負担が増えた。ストックも半分以上潜ってしまうので、木に掴まりながらむりやり体を引っ張り上げた。ただ急坂は長い距離でも無かったので、暫く我慢の登りを続けると、傾斜は緩やかになって県境尾根に出ることが出来た。そこからは県境尾根を辿ってひたすら山頂を目指すことになるが、まだまだ距離があった。ここに漸く辿り着いたの思いだったので、どこまで歩けるかと非常に不安だった。ところが、いざ歩き出すと意外だった。スノーシューはほとんど潜らず歩けるのだった。どうやら気温が低いために、雪が凍って固くなっていたのだった。その気温はと見ると、−2℃だった。尾根自体はもう緩やかなので、そこで歩き易いとなると体は現金なもので、足取りも軽く歩き出す。尾根のクマザサはすっかり雪の下で、好きな所を歩いて行く。程なく傾斜がきつくなったが、やはり雪は固かった。ここで役立つのがスニーシューのヒールリフター機能で、傾斜がきつくなっても歩度はさほど落ちずに登って行けた。ときに潜ることもあったが、それは単なる吹き溜まりで、長くは続かなかった。急坂を登り切ると、一段高いピークが見えていた。地図を見ると1143mピークのようだった。辺りにはブナも見られ出して雰囲気は悪くない。ただ上空はほとんど雲で占められるようになり、ときおり太陽が輪郭を見せるだけだった。尾根はブナ林になるかと思うと植林となったり、尾根を挟んで雑木と植林に分かれたりと、少しずつ変化があった。やはりブナ林が広がると風景が穏やかになった。そのうちに小雪がちらつき出したが、北の空には逆に青空も見えて、また良くなって来そうな感じもした。傾斜がきつい所はヒールリフターを使い、緩くなるとそれを下ろすを繰り返して進んで行く。もう確実に山頂に着けそうだった。ただうっすらと陽射しが現れても小雪はちらついたままで、雪の日の狐の嫁入りと言えそうだった。山頂にほぼ近づいたときに林の広がるピークに着いたので、ここが山頂手前のピークかと思ったが、その先にもう一つ小さなピークがあって、それが本当の山頂手前のピークだった。やはり雪の季節は印象が違うもので、雪でかさ上げされた分だけ展望が良く、山頂がすっきりと望めた。但し視界は悪いようで、山頂の先にあるピークはうっすらとしか見えていなかった。そこより緩く下って、最後のひと登りも緩く登り返すだけだった。さすが山頂は雰囲気が違うもので、それまでのピークとは違ってひときわ白い姿を見せていた。そしてポツンポツンとある木立は僅かだが霧氷を付けていた。もう山頂に着くのがうれしく、一歩一歩を確かめながら近づいた。その山頂に着くと、山頂を示す山名標柱が先っぽだけ覗いていた。軽く1メートル以上は積もっているようだった。その山頂の雪も凍っており、どこでもすたすたと歩けた。まずはザックを下ろして一休みとする。歩き始めてから2時間と42分、林道を離れてからなら1時間と42分での山頂到着だった。結果としてはけっこう順調だったと言えそうだった。考えると朝は忙しいために朝食は採っておらず、登山を始めてからも水も飲まず、何も口に入れていなかったので、漸く胃に物を入れることにした。その食事の間に急に周囲が明るくなってきた。それまでは雪雲の空で、周囲はその雪雲に閉ざされていたのだが、それが薄れると共に、上空には青空も見られるようになった。暫くすると陽射しも現れて、周囲の霧氷が明るく輝いた。これは晴れて来るかと期待したが、それはいっときのことで、すぐに陽射しは消えてしまった。ただ視界はいくぶん良くなっており、東には藤無山がうっすらと、西もうっすらとながら「くらます」が望まれた。それも長くは続かず、後はごく近くの尾根が見えるだけになってしまった。ただこのピンと張りつめた空気の中、赤谷山の山頂に立っているのがうれしく、今暫くじっと佇んでいた。そして空の色が更に濃くなって来るのを見て、下山開始とした。下山は自分の踏み跡をただ辿って戻るのみ。登山ではこの雪山の下山が何と言っても簡単で、特にこの日の尾根は潜らないこともあって、スノーシューですたすたと歩いて行った。そのスノーシューだがこの日は一つ難点があり、それは下りの急坂では雪が固いことで、滑り易くなっていることだった。そういう所は軟雪の部分を捜して下って行く。軟雪はしっかりとスノーシューが止まるので、一気に下って行けた。空はときおり雲が薄くなることがあったが、どうも天気は下り坂のようで、雪のちらつくことが多くなり、空は全体に暗さを増していた。戸倉峠には山頂を離れてから50分少々と、登りの半分の時間で着いてしまった。やはり雪山の下山は速いようである。後は車道を歩くのみ。自分の踏み跡を忠実に辿る。朝も鹿の足跡を多く見たが、下山も新しい足跡を多く見た。そして二度ほど鹿を見かけた。旧国道を歩き出すと空は更に黒くなって、雪の粒が大きくなってきた。そして旧国道の入口まで戻って来たときは、本格的な雪に変わっていた。
(2009/1記)(2021/2改訂) |