播州で雪山を楽しむとなると、降雪の続くおりは千メートル峰ならどの山でもとなるが、3月に入って残雪期となるとぐんと減ってくる。後山に三室山と、県境の山に限られてくるが、三室山の西隣となる天児屋山はその数少ない山の一つではと思われる。その天児屋山には県境尾根を西の大通峠側から歩いて雪の山頂を踏んでいたが、その広々とした展望は雪山ならではの味わいがあった。そのとき次は東側の峰越峠からも登ってみたいと、新たな考えが浮かんだものである。それを漸く実行したのは2009年の3月8日。前日の土曜日は好天だったが、法事とやらがあって、その日は恨めしく空を見上げていた。そこで曇り空の予想ながら、翌日曜日に出かけることにしたものである。
8日の朝の空は、天気予報の通り曇り空だった。ただ北部では午後に晴れ間が出るとの新たな予報もあり、少し心配しながらも何とかなりそうな予感を持ちながら、千種町へと向かった。この日は単独行だった。日曜日の登山となるとなかなかパートナーは付いて来てくれない。曇り空での心配は雲が稜線を隠さないかと言うことだったが、鳥ヶ乢トンネルを越えて後山が見えてきたとき、くっきりと稜線が見えて一安心だった。どうやら高曇りのようだった。雪は車道そばには僅かに見るだけだったが、後山は2月と変わらぬ雪の量に思われた。ちくさ高原へと県道72号線を走って行くと、スキー場が近づいたとき、係員に車を止められた。そこで駐車料金を徴収するとのこと。スキー場の駐車場に車を止める予定は無かったのでその旨を説明すると、そのまま先に進めることになった。スキー場の賑わいを横目に進んで行くと、「ラドンの泉」の建物が右手に見えたその先で止まることになった。除雪区間がそこまでだった。その先の車道は雪ですっぽり覆われており、雪の量は30cm以上はありそうだった。その雪の間際まで車を進めて駐車とした。朝の冷え込みで路面はすっかり凍っていた。雪も固くなっており、スノーシューを履かずとも歩いて行けそうだった。スノーシューをザックにくくり付けて雪の上を歩き出した。雪面には何人もの足跡が付いていたが、それを気にせず好きな所を歩いて行った。歩くうちに左手に長義山登山口が現れた。その先に見える長義山は伐採地が広がっているとあって、すっかり白い姿だった。峰越峠が近づくと脇道に入り、そして峰越峠の登山口の前に出た。雪の量はその辺りで20cmほどで、かなり少ないと言えた。県境尾根を登り出すと急階段の遊歩道は雪が更に少なく、地表の見えている所もあった。尾根が緩くなると少し雪が増えてきたが、それでも30cmほどか。自然林はすっかり葉を落としているとあって、天児屋山が木々の隙間からときおり眺められた。尾根には数人の足跡が付いていた。目に優しいブナ林を過ぎると、三国平への道が分かれた。そちらに入ると、足跡は一人だけになっていた。歩いたのは前日のようで、往きと帰りの足跡が付いていた。空気はひんやりしており、気温を見ると5℃ほどだった。相変わらず雪は固いままなので靴はほとんど潜らず、けっこうスムーズに歩いて行けた。県境尾根の分岐点から10分とかからず三国平に着いた。そこからは北に向かって少し展望があって、そちらの空はまずまず良く、薄いながらも青空が見えていた。その空の下にくっきりと白い東山が現れていた。この日の視界は悪くないようだった。東山の右手には扇ノ山、青ヶ丸もすっきり見えていた。三国平から先には登山道が無く、無雪期ではクマザサ帯に突っ込んで一気に苦労することになるのだが、雪の季節は全く逆で、どこでも歩けるのは良かった。雪は少ないと行ってもササを隠す量は十分にあり、何とも気楽なものだった。最初の1170mほどのピークに着くと、そこは杉林が広がっていたが、南には後山の尾根が眺められるようになった。そこより小さく下って1226mピークへと更に緩やかな登りだった。その辺りは新雪が見られるようになったが、10cmと積もっておらず足の妨げにはならなかった。潜っても数センチなので、青変わらずスノーシューの必要は無かった。もう雪は十分にあるとあって白い雪面を好きに歩けるので、すっかりスノーハイキング気分だった。振り返ると沖ノ山と東山が並んでおり、北にはくらます、南には後山から駒の尾山までが一望だった。一人で歩いているのがもったいなく思えた。1226mピークに着くと、もう山頂は指呼の距離だった。4ヶ月前に登ったときは、ここから一段と厳しいヤブになったものだが、何も気にせずただ山頂に向かって歩くのみ。そして最高点にある小さな杉へと近づいた。結局ゆっくりと歩いたにもかかわらず、峰越峠の登山口から1時間半、三国平からだと45分での山頂到着だった。天児屋山は兵庫の雪山の入門コースと言えそうだった。その山頂に着いてどんと現れたのが三室山だった。近いだけに堂々とした大きさで迫っていた。そして北の氷ノ山もくらますの後に姿を見せていた。白い山頂に立って白い氷ノ山を見ていると、やはり雪山は良いものだと思わずにはいられなかった。山頂に立ったときは天気は良くなっており、北の空は青空の部分が広がり、上空も薄晴れとなってときおり薄日も射してきた。このまま上空にも青空を期待したが、それ以上は良くならず、薄晴れから薄曇りを繰り返していた。山頂で30分ほど過ごすと、じっとしているよりも歩いている方が楽しいと思い、ゆっくりと戻って行くことにした。山頂手前の伐採地に立ち寄って、そこからくらますを眺めたり、また1226mピークを過ぎて雪面に点々とカラマツが見られるようになると、そこから暫し東山を眺めていたりと、ひたすら白い天児屋山を楽しんだ。その後は三国平で一度足を止めようと下って行ったところ、そろそろ三国平ではと思えたときに、目の前に小さな石仏が現れた。始めは石仏だけを見ていたので三国平の近くに見覚えの無い石仏があったのかと思ったのだが、その石仏の上には江浪峠の標識が付いていた。何と三国平を気づかずに通り過ぎてしまったようだった。これはちょっと驚くことで、三国平の存在の薄さを改めて知らされた思いだった。その江浪峠からは緩い登り坂となるが、雪が緩んでおり靴が潜り出した。そこでここに来て漸くスノーシューを履くことにした。履かずとも問題は無かったが、せっかく持って来たので、少しは楽をとの思いでもあった。それも峰越峠が近づくまでで、峠へと急坂下りではかえってじゃまとなるので脱ぐことになった。峰越峠に戻ってきたのは13時前。これで後は雪の車道を歩くだけだったが、まだ昼を回ったばかりとあって、午後の時間は十分にあった。それと天児屋山が予想以上に楽な登山であったため、あまり疲れは感じなかった。このまま駐車地点まで戻ってしまうのは惜しいと思ったとき、新しいアイデアが浮かんできた。それは目の前にある長義山に登るというもので、ちょっと寄り道をする感じで登れそうだった一息入れると早速実行とした。そして車道を越えて南の尾根へと取り付いた。
(2009/3記)(2012/7改訂)(2021/2改訂2) |