兵庫の雪山と言えば氷ノ山にしか目が向かず、冬になると氷ノ山の樹氷を見たく毎年のように登っていたのだが、近年は他の雪山を登ることにも目覚めて、それと引き替えのように氷ノ山には足が遠のいてしまった。その氷ノ山を雪山として久々に向かったのは2007年3月21日のことだった。1999年以来で、8年ぶりになってしまった。その理由として1999年に素晴らしい樹氷に感動して、同じ素晴らしさを味わうのは少し歳月を経て、また登りたい気持ちが湧いてからと考えていた結果なのだが、8年も遠のいていたとは少々驚きだった。
3月21日は土曜日とあって、自由に山登りを楽しめる日だった。ただ朝になってもどの山に行こうかと決めておらず、まずは天気予報を見た。そして兵庫全域で快晴の期待出来ることが分かった。そこでこの冬シーズンにまだ本格的な雪山に登っていないことを思い出し、まず始めに頭に浮かんだのが氷ノ山だった。まさに漸く登りたい気持ちが湧いたのだった。このときまず考えたのが、雪の量のことだった。2月は記録的な暖冬で氷ノ山の雪も少なかったようだが、3月に入ると2月と逆転したかのように寒い日が続き、兵庫北部はよく雪が降っていた。そこでいつもの3月と変わらぬと想定して、スノーシューは持って行くことにした。急きょ決めたことなので、どうしても準備に時間がかかり、自宅を離れたときは7時をちょっと過ぎていた。考えたコースは鳥取県の若桜町からのコースで、往路コースは氷ノ越で山頂を目指し、復路コースは三ノ丸経由で若桜スキー場に下りて来ることにした。このコースならトレースもはっきりして、無理の無い登山を楽しめると考えた。快晴の下、国道29号線をひた走った。新戸倉トンネルが近づくと、路肩には除雪された雪が多く残っており、3月の雪の多さを思わされた。鳥取県に入り、国道482号線に折れて氷ノ山若桜スキー場のある舂米集落を目指した。集落が近づくと、大量の水が道路上に流されていた。凍結防止のようで、朝の気温は0℃だった。若桜スキー場が見えるとゲレンデは真っ白で、新しい雪に再開しているようだった。その横を通り過ぎて車を止めたのは氷ノ越コースの登山口に近い「響きの森」の駐車場だった。ふれあい館の人に声をかけて駐車の許可をいただいた。その駐車場から登山道の入口までは2分とかからなかった。林道も登山道も20センチほどの雪があったが、期待通りにトレースはあって安心して歩き始めた。ところが50mと歩かないうちに忽然とトレースは消えてしまった。どうやらトレースを付けた人は、ずぼ足では無理だとすぐに諦めたようだった。その先はただ雪面が広がっているだけで、これは想定外だった。そこでスノーシューを履いてトレースを付けて行くことにした。登山道のありそうな所を適当に登って行くと、またトレースに出会った。それはキャンプ場から来ているようで、やはりトレースはあったと一安心もつかの間、そのトレースもすぐに消えてしまった。どうも3月の大雪以降はこの氷ノ越コースは敬遠されているようだった。スノーシューを履いているおかげでさほど潜ることも無いため、氷ノ越までトレースを付けていこうと覚悟を決めて、登山道のありそうな所をひたすら登って行った。雪は次第に多くなり、所によってはコースが分かり難くなっていた。それでも適当に登ればまたコースを追えるようになり、赤倉山が見え出したことで、コースに誤りの無いことが分かって一安心だった。一歩一歩をゆっくり登ったおかげで、氷ノ越には1時間少々でさほど疲れも無く着くことが出来た。そこにははっきりとトレースがあり、それは兵庫側から付けられているもので、こうなるとただそのトレースを追いかけて登ればよいので、一気に気が楽になった。辺りはすっかり雪で、氷ノ山も真っ白では無かったが十分に雪山の様相を見せていた。記録的な暖冬は3月の雪で解消されたようだった。避難小屋の前で一休みして、県境尾根歩きをスタートした。前方は山頂まで見えており、その途中に数人が登っているのが分かった。この尾根歩きをスノーハイクを楽しむ気持ちでスタートしたが、その頃には上空は薄雲が広がって青空は消えていた。そして冷たい風があって、一気に体が冷えてきた。のんびりスノーハイクとはいかず、冬山の厳しさの中を登ることになった。ともかく丁寧に登ることを心がけて、忠実にトレースを追いかけた。そのトレースのことだが、何人も既に通っているだろうに、ずぼ足の足跡しかなかった。雪の量は少ないと判断してのことだったようで、一歩一歩が20センチ以上潜っていた。その点スノーシューは楽で、トレースを踏まなくても、さほど潜ることも無く登って行けた。また寒いだけの登りでも無く、薄雲が割れて陽が射すこともあり、そのときは風も止んで暖かさを感じた。氷ノ越から山頂を目指すコースは山頂の避難小屋がよく見えるコースだが、登るほどにその小屋が大きくなって来るのは楽しみだった。ただ少しずつしか大きくならなかった。やがてコシキ岩が近づくと、その一帯の木々は雪ですっかり白くなっていた。単に雪が付いているだけの木が多かったが、霧氷になった木も見られた。その風景に漸く氷ノ山に来ていることを実感した。コシキ岩を巻く頃には足も重くなっており、後どれくらいかと思うようになっていたが、そこより少し登ると、暫く見えなくなっていた山頂避難小屋が唐突に目前に見えた。そうなると現金なもので、一気に山頂へと休まずに足を進めた。山頂の小屋の前に立つと、スキー板やピッケルは外に置かれているものの、人影は見えなかった。中にどれほどの人がいるものかと思いながらドアを開くと、10人ばかりの人がおり、二階からも人声が聞こえていた。まずまず盛況のようだった。その人たちの話から鳥取側から登った人も何人かいるようだったが、いずれも若桜スキー場のリフトでリフト頂上駅から登って来たようだった。考えればそのコースの方がずっと楽に来られたのではと思えたが、こちらは氷ノ越コースを登りたかったのだから仕方が無い。手早く昼食を済ませ、山頂展望を楽しもうと小屋の外に出た。ただこの日はモヤがかかっているというか、薄ぼんやりとした視界になっていたのは残念だった。扇ノ山は淡くしか見えなかった。こうなるとこの山頂から三ノ丸のスノーハイクを楽しむことに専念することにした。山頂を離れると、南に下って行くとあって北風を受けることが無くなった。また上空には青空も見えて良い雰囲気になってきた。この三ノ丸コースにもしっかりトレースが付いていたので、気は楽だった。雪も適度に締まっており、トレースを外してもスノーシューはほとんど潜らず、無雪期よりも気楽に歩いて行けた。そして三ノ丸が近づくと、一面なだらかとなって、どこでも歩けてしまうのは雪山ならではの楽しさだった。その気楽な感じも三ノ丸に着くと終わった。そこはピークだけに氷ノ山山頂と同様に強い北風があり、少し暖まっていた体がたちまち冷えてきた。そこで展望台近くにあった避難小屋で休憩とした。もう氷ノ山の雪を十分に楽しんだことでもあり、下山はスキー場のリフトで一気に麓に下りることにした。リフト終点までは、始めひたすら緩やかな尾根歩きで、リフトへの尾根に入ると、けっこう急坂になった。但し三ノ丸で標高1464m、そしてリフト終点は1200mとあって、300mも下らずに下山出来ることになるはずだった。もう登山を終えたも同じような気になって下って行くと、リフト頂上駅で聞かされたのは、リフトは上り専用ということだった。これには少々面食らったが、諦めるしか無いことで、結局は標高800mのゲレンデ入口まで、ひたすら急斜面を下ることになった。「響きの森」駐車場に着くと、17時が近い時間になっていた。休憩時間を除いても6時間以上は歩いていたようだった。最後は20分ばかり上り坂の車道を歩いて戻ることになり、足の疲労は大きかった。但し疲れた体にじんわりと湧いて来る充実感は何とも良いものだった。これは雪山を登り終えた後でないとなかなか味わえないもので、その幸福感に浸りながら帰路についた。
(2007/3記)(2022/1改訂) |