TAJIHM の 兵庫の山めぐり <南但馬 
 
氷ノ山    ひょうのせん 1509.8m 養父市
若桜町(鳥取県)
 
1/2.5万地図 : 氷ノ山
 
【1999年2月】 1999-16(TAJI&HM)
 
    東尾根より  1995 / 3

 氷ノ山の霧氷風景の写真を撮るには、朝から登ったのでは山頂に着いたときは昼近くになってしまい、そうなるとブナに付いた霧氷は落ちかけており、中途半端な写真しか撮れないことになる。また霧氷の条件として朝の冷え込みも必要である。そこで快晴の期待出来る日の前日に登って、その日は避難小屋に泊まり、翌日に霧氷風景を見るという計画を立てた。実行したのは1999年2月末日のこと。コースとしては冬期登山でよく利用する東尾根コースとした。
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(2月28日)氷ノ山国際スキー場のリフトを利用する考えだったため、駐車場はリフト乗り場の駐車場を考えていたのだが、遅い到着だったためリフト乗り場に近い駐車場はどこも満車状態だった。そこで少し離れた大久保地区の駐車場に駐車とした。その駐車場には管理者が居らず、適当に駐車してリフト乗り場に向かった。まだ2月とあってスキー場には十分な雪があり大勢のスキーヤーが訪れていた。セントラルロッジまでリフトを使い、そのセントラルロッジで登山届けを提出した。そしてワカンを付けて登山開始とした。セントラルロッジで聞いたところでは、前日もこの日の朝も多くの登山者が登ったとのことで、その通りはっきりとトレースが付いていた。おかげで雪に潜ることも無く、けっこう楽に登って行けた。東尾根避難小屋までほとんど休むことは無し。そして東尾根の尾根歩きを始めると、少しトレースが消えていたり、また雪が凍って滑り易い所もあったが、下山してきた登山グループとすれ違ってからはトレースははっきりとして、また楽な登山となった。ただ尾根が終わって千本杉への登りとなった頃よりカメラ機材を入れたザックの重みが徐々に堪えて来た。休む回数が増えて来たが、トレースのおかげであまり歩度は落ちなかった。程なくガス帯に入った。ガスは次第に濃くなって、千本杉辺りでは10m先も見えないホワイトアウト状態になった。ただ方向が分かっているのでガスはさほど気にならなかった。雪の状態を見てセントラルロッジから山頂まで4時間以上かかることを覚悟していたが、トレースのおかげで3時間とかからず山頂に着いた。そして山頂の避難小屋に入ると、そこには二組の登山グループが休んでおり、ほぼ満杯の状態だった。ただどちらのグループも日帰りとのことで、14時過ぎにはどちらのグループも下山してしまい、避難小屋はパートナーと二人きりになった。外はガスで何も見えないとあって、早々と寝支度をして休むことにした。一休みしていると外が明るくなった気配がした。時計は16時を回っており、二階の窓から外を見ると、ガスが薄れ出していた。そして 一気に視界が広がって来た。真っ白な雪面が眼前に広がると、そこに何か動き回るものが見えた。一頭のイノシシが体に雪を貼り付けて、避難小屋の周りを走り回っていたのだった。真冬の氷ノ山山頂で動き回るその姿に、少々感動させられた。晴れて来たとなれば小屋にじっとしておれず、写真を撮ろうと小屋近くをうろついてみた。立派な樹氷も見られて、真冬の氷ノ山に居ることを実感することが出来た。程なく夕暮れを迎える。鮮やかな夕景を期待していたのだが、ガスが消えても空には少し雲が残っており、雲の一部を赤くしただけで真っ赤な夕焼けとはならず、空はすぐに薄墨色となり、次第に夜を迎えた。夜となって風の音が急に大きくなって来た。その風音を終始聞きながら二人きりの夜を過ごした。山頂避難小屋泊。
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(3月1日)強風の音で夜中に何度か目を覚ましたが、朝の目覚めは6時を回ってしまっており、既に陽が昇りかけていた。さっそく朝の風景を撮ろうと身支度を手早く済ませて避難小屋を出た。前日にはあった木々の雪は夜の風ですっかり吹き飛ばされており、霧氷は全く無くなっていた。とにかく風が冷たく強く、手袋をはめていても手が凍えてきた。その冷たさにたまらず小屋に戻ると、小屋内の温度は−7度だった。その気温が本当に暖かく感じられた。それでもまた外に出て、氷紋を主体に撮影をした。厳しい風だったが、その風のおかげか視界は素晴らしかった。大山こそ雲があって見えなかったが、兵庫県下の高峰が余すところ無く見渡せた。遠いところでは千ヶ峰、雪彦連山もくっきり見えていた。ひととき撮影をしてまた小屋に戻った。そして9時近くになって下山のため小屋を離れた。すぐには下山せず、千本杉周辺でまた撮影をしたりしてひとときを過ごした。どこまでも蒼い空と純白の世界を二人きりで過ごすのはけっこう贅沢なことではと思わずにはいられなかった。11時が近くなって漸く下山に向かった。その下山で昨日以来の登山者となるペアで登ってきた山スキーヤーとすれ違った。東尾根の避難小屋からセントラルロッジのコースは、雪が凍っていて滑り易くなっていた。アイゼンの必要を感じたが、所々をシリセードで滑り、一気に下った。そしてセントラルロッジで下山届けを済ませ、後はリフトを使って麓へ。なお駐車場はこの日も無人で、結局無料駐車になってしまった。
(2001/12記)(2007/3改訂)(2022/9写真改訂)
<登山日> 1999年2月28日 10:02駐車場スタート/10:42セントラルロッジを離れる/11:25東尾根避難小屋/12:52下千本杉/13:25山頂避難小屋着。
(天気) ほぼ曇天だった。山頂部にはガスがかかっていた。気温はこの季節では高い方と思えた。東尾根に出ると風が出て来たが、あまり強くは無かった。東尾根の北端より山頂に向い出すと、ガスの中に入り出した。登るほどにガスは濃くなり、山頂付近では視界は10mも効かなかった。16時頃よりガスは消えたが、空には薄雲が残っていた。夜は十四夜ほどの月で明るかった。
<登山日> 1999年3月1日 避難小屋を離れて山頂一帯で写真を撮る/10:50上千本杉を離れる/11:50東尾根北端/12:20東尾根避難小屋/12:55セントラルロッジ/13:35駐車場エンド。
(天気) 一部に薄雲が見えたものの、ほぼ快晴で朝を迎えた。ただ山頂は風が強く、また非常に冷たかった。この風のおかげか、視界は絶好だった。昼が近づくにつれ薄雲は無くなり、雲一つ無い快晴となった。風も弱まり、ぐんと暖かくなった。
<< Photo Album 1999/02/28 >>

この日はセントラル
ロッジから3時間近
くかかって山頂の避
難小屋に着いた
避難小屋の二階で休んでいるとガスが薄れ出した 外を見ると一頭のイノシシが走り回っていた イノシシは体に雪を貼り付かせていた
イノシシは小屋の間近まで寄ってくることがあった 二ノ丸方向の薄らぐガスを見る 山頂を離れて南に下ったとき、山頂方向を振り返った
見事な樹氷を見かけた 樹氷の中を暫し散策した 斜面の木々を眺める
千本杉の方向がくっきりと現れた 千本杉に光が当たった 左の写真の右手を見る
霧氷となった木々が美しかった 次第に夕暮れが迫って来た 上空は雲が多く、赤くならずに日が暮れた
<< Photo Album 1999/03/01 >>
夜が明けた 赤い太陽を避難小屋の二階から眺めた 少し明るくなると、太陽が千本杉の方向から登っているのが分かった 小屋を出て、小屋の周囲を散策することにした 雪煙が上がっているのを見た 
朝の光は赤みが消えてきた 上空は青空のようだった 朝の司会は澄み切っており、くっきりと粟鹿山を見た
朝の冷え込みで、雪の表面は凍っている所があった 雪面にはシュカブラが出来ていた 山頂より赤倉山南面を見る
二ノ丸方向を眺めた 樹林の風景を見る 雪庇になっている所があった
青空の下でシュカブラを眺めた 前夜の強風で霧氷は吹き飛ばされていた 振り返って山頂の避難小屋を眺めた

(←)
赤倉山の北に扇ノ
山を見た

 (→)
  扇ノ山の右手には
  青ヶ丸と仏ノ尾が
  並んでいた
北東に三川山を見る 三川山と妙見山の間に蘇武岳を見る 東に妙見山を見る

山頂より南の山並
みを眺める

(←)
南西に東山を見る

 (→)
  下山を始めて、千
  本杉のそばを通っ
  た
東の尾根を見る 雪の造形を見る 陽射しを受けた雪庇が美しかった
千本杉から離れたとき、千本杉を振り返った 快晴とあって、雪面に木の影が映っていた 雪面に映るブナの影を見る