2018年9月は8日より東北海道の山行を実施したが、そこに至るまでが大変だった。まず9月に入ったとき台風20号が関西に近づいてきたため、第一週に決めていた関空からの出発便が運行出来ないことを恐れて、直前になって飛行機、レンタカー、宿の予約を一週間ずらした。すると続けて台風21号も関西に接近した。出発便は台風の通過後だと安心していると、何と関空が水没して暫く空港が使えないことになってしまった。そこでとりあえずレンタカー、宿の予約はキャンセルすることにした。すると関空の回復は早く、8日の出発便はどうやらOKとなりそうだった。それでも疑心暗鬼になっていたので、直前までレンタカーと宿の予約はせずに待っていると、今度は北海道地震が6日早朝に起きて全道で停電状態が発生した。もう今度こそ出発を諦めようとしたが、予定の釧路空港は一日の閉鎖だけで8日は再開するようだった。ただ直前になって北海道の天気が悪くなってきた。そこで再度数日ずらすことにしようとしたところ、今度は飛行機が満席で予約出来なかった。もう考えるに考えて出した結論は、北海道に行きたい気持ちを優先して予定通り8日に出発し、天気のこともあって帰りの便は一日遅らせて13日とした。その後の宿の予約はスムーズに出来たのだが、8日のレンタカーがどうしても予約出来なかった。そこで8日はバス便を利用することにして、レンタカーは9日から借りることにした。
出発日の9月8日はベイシャトルを利用して関空に渡ると、9時50分発の釧路空港行きピーチ航空MM125便に乗り込んだ。釧路便は再開後初の便とあって直前まで本当に飛ぶのか心配だった。いざ乗り込むとキャンセルが相次いでいたようで、乗客は20人にも満たない少人数だった。そして11時50分に釧路空港に着くと、この日の宿がある阿寒湖温泉へバス移動をすることにした。ただダメ元でレンタカー会社に連絡をとって9日からの予約を8日に出来るのかと聞いてみると、何とOKの答えが返ってきた。そのとき分かったことは地震の影響でレンタカーのガソリン確保が難しく、全てのレンタカー会社が予約をキャンセルしていたことだった。車自体はあったので、ガソリン補給は自己責任で行う条件でのOKだった。これで空港からレンタカーで出発出来ることになった。但し天気はどうにもならなかった。翌日より雨となって9日、10日と2日間は雨を避けて北海道北部の低山巡りで過ごした。天気が回復したのは11日からで、阿寒湖畔に戻って来ると11日は雄阿寒岳登山を楽しんだ。そして12日、北海道入りして5日目となって漸く主目的の雌阿寒岳に向かうことになった。その雌阿寒岳のコースとしてはガイド本の「新分県登山ガイド・北海道の山」では雌阿寒温泉コースとオンネトーコースの二つが紹介されており、ガイド本では往路は雌阿寒温泉コースを登り、オンネトーコースは下山コースとされていた。下山後のことは書かれていなかったが、車利用となると後は県道を歩いて戻ることになるが、その県道歩きは1時間程度と思えたので、ガイド本通りに歩いて、二つのコースを知ることにした。
前日に続いて快晴の朝だった。前日の雄阿寒岳登山と同様に朝はゆっくり朝食をとって、阿寒湖畔のホテルを8時20分に離れた。国道240号線を西へと走り、左手に分かれた国道241号線に入ると、程なく雌阿寒温泉への道が分かれた。雌阿寒温泉に着くと広い駐車場があり、既に20台近くの車が止まっていた。やはり雌阿寒岳は人気の山のようだった。その駐車場に着いて分かったのは、森林コースの名が付く探勝路が駐車場の一角から始まっており、オンネトーへと通じていることだった。オンネトーは雌阿寒温泉と比べると80mほど低い位置にあるので、予定を変更して始めにオンネトーへと散策路を歩き、オンネトーコースを往路とすることにした。森林コースはごく緩やかな道で、美しい樹林の中を歩くことになった。名の通りの森林浴コースだった。基本的に下り坂とあって、足への負担が少ないのも良かった。30分ほどでオンネトー湖畔に出ると、湖畔の道を歩いてオンネトーキャンプ場に出た。そのキャンプ場からオンネトーコースが始まっていた。その登山口から山頂までは4.2kmだった。幅広の緩やかな道を歩いて行く。周囲は自然林が広がっており、森林コースの続きを歩いている雰囲気だった。登山道の道幅が狭くなり、階段道の上り坂となった。そして登山口から500m歩いたとき一合目標識が現れた。以後はおおよそ400m毎に合目の標識を見ることになった。歩いているうちに登山道上に木の根が這っている状態をよく見るようになった。登山道の傾斜が増してきたが、そこでも木の根が登山道上を這っていた。登山道の周囲はトドマツ林で、雰囲気は悪くなかった。その登山道の様子が大きく変わったのは五合目を過ぎてからで、周囲の樹林が低くなってきたと思うと、一気に樹林帯を抜け出した。前方に現れたのは阿寒富士で、火山地帯のまっただ中を歩く状況となった。足下は火山礫の道となったので、滑らないように一歩一歩をしっかり歩いた。ただ傾斜はきつくは無かったので一定のリズムを持って登れば、特に足を休める必要は無かった。六合目、七合目と過ぎると、右手に見る阿寒富士が次第に低くなってきた。登り出したときは先に阿寒富士を登ってもよいかと思っていたのだが、疲れてきたこともあって、雌阿寒岳の山頂に早く着きたい気持ちが強くなっていた。そこで阿寒富士は諦めて真っ直ぐ雌阿寒岳に向かった。九合目まで来ると雌阿寒岳の火口が眺められて、緑の色が鮮やかな青沼が眺められた。その九合目で漸く北の風景が現れて、阿寒湖と雄阿寒岳がセットになって眺められた。登山者も見るようになり、火口壁に沿った道を登って12時前に山頂到着となった。登山者はざっと見ても10人ほどで、もう下山をした人が多かったと思われた。おかげで山頂はけっこう静かなで、阿寒湖の風景を眺めながら休憩とした。山頂からは北の風景や火口風景だけでなく、西の方向も遮るものもなく眺められた。ニペソツ山や大雪山も確認出来た。前日の雄阿寒岳も展望は素晴らしかったが、雌阿寒岳の方が阿寒湖を眺められるだけに展望は少し優っているようで、日本百名山として雌阿寒岳の方が選ばれている理由が少し理解出来た。その雌阿寒岳の山頂で休むうちに体力が戻ってくると、そのまま雌阿寒温泉へと下山するのはもったいなく思え、時間的にまだ余裕があったので阿寒富士も登ることにした。そうなると八合目辺りまで戻ることになるが、これは致し方ないことだった。八合目まで下り、そして阿寒富士コースに入った。更に鞍部まで下って阿寒富士へと登り返した。その阿寒富士の北面側に樹木は全くと言ってよいほど見られず、すっかり火山地帯の登りだった。その登山道はジグザグ道になっており、一定のリズムを持って登って行けたので、雌阿寒岳を登るよりは易しいと言えた。登るほどに雌阿寒岳の全貌が眺められるようになって、登るだけの価値があったと思えた。そして鞍部より220mほど登り返して阿寒富士の山頂に出た。雌阿寒岳には三角点は置かれていなかったが、阿寒富士の山頂では一等三角点(点名・阿寒富士)を見た。山頂は南北に平坦になっており、南端まで歩いてそこから雄阿寒岳の方向を眺めた。阿寒富士で10分ほど過ごすと、雌阿寒岳へと引き返した。220mほど下って240mの登り返しだった。足は十分疲れていたが、涼しい空気に助けられて特に休むこともなく雌阿寒岳の山頂に戻ってきた。上空は薄晴れ状になっていたものの青空の広がっている所もあって、まだまだ晴れと言える空だった。もう山頂に人影は無かったので登って来る人はいないのかと思ったが、そうでもなかった。下山の雌阿寒温泉コースに入ると、まだ登って来る人にぽつりぽつりとすれ違った。このコースは始めに岩場を下って行くが、けっこう展望コースで西の方向が一望だった。振り返ると峨々とした岩壁の風景で、雌阿寒岳の荒々しい面を見せていた。この雌阿寒温泉コースにも合目の標識が立っていた。五合目まで下るとハイマツ帯に入ったが、その頃にはオンネトーが眺められて、その湖面が午後の陽を受けて光っていた。樹林帯を歩くようになったのは三合目辺りからだった。尾根の傾斜は特に緩まることもなかったので、下るうちに足の疲れが増してきた。それでも涼しさに助けられて休まず下った。一合目を過ぎてもまだ下り坂で、登山口が近づいて漸く登山道は緩やかになった。そして車道に面した登山口に下り着いた。そこは登山口駐車場とは少し離れており、駐車場まで7分ほど車道を歩くことになった。そしてスタートしてから7時間半の雌阿寒岳登山は終了した。結果として快晴に恵まれ、コースも周回で歩けた上に阿寒富士にも立ち寄れて、十分過ぎるほど雌阿寒岳を楽しめたことは確かだった。
(2021/11記) |