山形県の山を考えたとき、鳥海山、月山、朝日連峰と思い浮かぶが、何度かの東北山旅では登り甲斐のある山から登ろうとしたためか、月山だけがずっと残っていた。どうも月山は易しく登れるイメージを持っており、半日あれば十分との思いがあって逆に訪れる機会を逸していた。その月山を漸く登ろうと決めたのは2008年の秋のことだった。のんびりと紅葉の東北を楽しむのも悪くないと考えてのもので、このときすっと頭に浮かんだのがこの月山と、同じ理由で登っていなかった八幡平だった。向かったのは10月9日で、まず八幡平のハイキングから始めた。ぐずついた天気ながら八幡平を楽しんで、次に月山へと向かったのは11日のこと。夕方に月山の南麓にある湯の里、志津温泉に着いたが、まだ陽が沈むまでに多少時間があったため、すぐには宿には入らず登山口の様子を見ようと、姥沢へ車を走らせた。広々とした駐車場に着くと、車は1台も見えず、そこから見えるはずの月山は、中腹から上をすっかりガスに包まれていた。ただそのガスの下に見える山肌は見事なばかりの紅葉で、それが夕陽を浴びて更に赤く染まっていた。
翌12日は6時前に目覚めた。期待を込めて窓の外を見ると、月山は前日と変わらず中腹から上をガスに包まれていた。そのガスは宿を出た8時を過ぎてもほとんど変わらず同じ位置に止まっていた。ただ天気予報では午前こそ曇るものの午後には晴れとなっていたので、それを期待することにした。前日に下見をした姥沢の駐車場に着くと、広い駐車場の6割方は既に埋まっていた。更に続々と車が到着していた。登山者は着くとすぐに歩き出していたが、こちらは駐車場には着いたものの、今少しガスが薄れるまで待つことにした。この点、月山の姥沢ルートは登山時間が少なくて済むので焦る必要は無かった。ただなかなかガスの状態は変わらず、漸くガスが上がるように見えてきたときは10時になっていた。そこで遅ればせながら登山開始とした。その頃には駐車場は9割方まで埋まっていた。ガスは徐々にしか薄れておらず、またどこまで薄れるものやら見当がつかないため、登りはリフトを使わず姥沢の登山道をじっくり登って行くことにした。ちょうど紅葉の見頃になっており、山頂に立つことを急がず、紅葉の月山をじっくり楽しむことにした。車道を終点へと歩いて行くと、コンテナハウスの前に出た。そこで登山協力金として一人200円を払うようになっていた。その近くに姥沢小屋が建っており、リフトへの道に向かわずそちらに向かうと、小屋の裏手より登山道が始まっていた。その登山道に向かうのは私とパートナーの二人のみで、他の登山者は皆リフトに向かっていた。そのリフトのために登山道は寂れているのではと思っていたが、そのようなことは無く、歩き易い登山道が良い感じで続いていた。しかも緩やかなままとあって足への負担は少なかった。そして期待通りの紅葉だった。ブナの黄葉にカエデ、ナナカマドの赤と、ちょうど見頃を迎えており、その鮮やかな色合いが目を楽しませてくれた。また東向かいの尾根はダケカンバが多いようで、その白い幹が紅葉の中に曲線美を見せていた。登山道は暫く木道で続いた後、土道に変わった。それでもコースが緩やかに続くことに変わりは無く、歩くのは易しかった。その間に期待通りにガスは薄れており、始めに東のガスが消え、そして前方には姥ヶ岳から月山へと続く尾根が現れてきた。後は月山山頂を隠すガスのみになった。上空は青空も半分は現れており、陽射しが周囲のススキを照らしていた。再び木道を歩くようになると、リフト駅からのコースが見えてきた。そちらは多くの登山者が歩いており、そのコースとの合流点から先も登山者は多かった。その頃には姥沢コースでも下山者とすれ違うようになっていた。往路はリフトを利用しても、下山は登山道を歩く人が少しは居るようだった。その一人に山頂のことを聞くと、ずっとガスで雪も積もっていたとのことだった。その山頂を隠すガスがときおり薄れるようになった。話しの通り山頂は白くなっており、周囲のガスと変わらぬ色合いになっていた。木道はリフトコースとの合流点まで続いており、結局、姥沢コースは終始歩き易い道として歩けた上に紅葉の美しさも堪能出来て、このコースは正解だったようである。リフトコースと合流すると、多くの登山者に混じって歩くことになった。胸にバッジを付けた人が多いのはツアー登山者と思われた。合流点からはいかにもメインコースと呼べそうな幅広の登山道となり、相変わらず歩き易かった。合流してもゆっくりと歩くことを心がけた。リフト駅からのコースは二つあり、一つは最短コースと言えそうな先ほど合流したコースだが、もう一つは姥ヶ岳を通る尾根を歩くコースで、それとの合流点には牛首の名が付いている。その牛首へと近づくほどに急坂になった。そして背後の風景が更に広くなってきた。南方には朝日連峰が雄大に眺められ、その手前には月山湖も良く見えるようになった。牛首に着くとまた緩やかな道になり、その先で山頂へ向かって尾根を登ることになった。その尾根に着いた位置で始めて北側の展望が開けて、意外な近さで日本海が眺められた。その頃には登る人よりも下山の人の方が多くなっていた。尾根を歩くようになってガス帯に近づいて行った。山頂にかかるガスは昼には消えると思っていたのだが、ときおりは薄れるもののどうも居座ってしまったようだった。ガス帯の手前から灌木や雑草が霧氷で白くなっていた。またその辺りから傾斜がきつくなり出した。ちょうど昼どきになっていたことでもあり、登山道の広い位置で昼休憩をとることにした。そして一息れたところでガス帯へと入って行った。それまでのひたすら優しいハイキングがいきなり厳しい冬のハイキングに変わった。気温もそれまでは7℃と少し肌寒さを覚える程度だったのだが、一気に5℃を下回ってきた。しかも冷たい風が吹いていた。登山道こそ多くの登山者が歩くため雪は見えなかったが、周囲の草木は登るほどに白くなってきた。霧氷と言うよりもエビのしっぽに包まれていた。もう岩場の登りになっており、その岩にもびっしりとエビのしっぽが付いていた。そして周囲はすっかりガスだった。やがて目の前にかわいい延命地蔵さんが現れると、そこは山頂部の端なのか道は一気に緩やかになった。このとき上空のガスが薄れて陽射しが現れると、周囲の霧氷が明るく輝いた。そして時間をおかず、またガスが立ち込め出した。辺りはほぼ平坦となっており、その中に人工物が見られたので近づくとそれは方位盤だった。その先で前方にうっすらと建物が見えてきた。そこが山頂の位置のようで、始めに避難小屋がありそこを過ぎると石段の登りがあって、それを登りきって山頂の月山神社本宮に出た。そこは小さな社を中心にして周囲を石垣がぐるりと囲んでいた。そして意外と人は少なく、数人が休憩しているだけだった。その狭い境内は石垣のおかげか、強風をほとんど感じなかった。それが石垣の上に顔を出したとたん、強風をまともに受けることになった。厳しい肌を刺す冷たさだった。気温は0℃まで下がっていた。その境内で少時休みを取ることにした。すると暫くするうちに上空が薄れ出した。と思う間に一気に青空が広がり周囲のガスも消え出した。そしてひょいと石垣の上に顔を出すと、前方のガスは消えており、そこに月山の紅葉した山肌が現れていた。この突然の視界には驚かされたが、更には日本海まで見えるようになった。これは晴れ上がると思っていると、30秒とは続かずまた元のガス帯に戻ってしまった。ただまた現れるのではと思っているとその通りで、数分後にまたガスが薄れて視界が現れた。そしてすぐにガスに包まれた。これが何度か繰り返された。西の日本海側だけで無く東の風景も現れ、そちらは風が少ないのか少なからずの登山者が休んでいた。そのガスの薄れることも13時を過ぎると全く無くなってしまった。どうも午後は天気が回復するどころか、再びガスが濃くなってきたようだった。そこで漸く山頂を切り上げて下山することにした。もう山頂にいる人はちらほらで、登山者のピークは午前で終わっているようだった。山頂手前の急坂を下り出すとガスが濃くなったのは確かなようで、昼に休憩した地点は既にガスの中だった。そして急坂を下り着いた辺りで漸くガス帯を抜けることが出来た。そのときでまだ14時を過ぎたばかりのため、下山でもリフトは使わず朝と同じく姥沢コースを歩くことにした。その木道の始まる分岐点まで来て振り返ると、すっかり尾根はガスに隠されていた。ただ山頂一帯こそガスに包まれていたが、上空から西の空は青空が広がっており、この下山では陽射しの中で紅葉が見られることになった。午後の光で見る紅葉は朝よりも鮮やかさを増しており、この下山もひたすらゆっくりと歩いて紅葉を楽しんだ。紅葉は登山道の周囲だけで無く、東向かいの尾根が雲間から漏れる光に照らされる様も見事で、何度も足を止めて魅入った。おかげで駐車場が近づいたときは、周囲の光は夕暮れが近い色になっていた。山頂展望こそ僅かしか楽しめなかったが、中腹の紅葉は見事なばかりで月山の秋を十分に満足した思いで姥沢を後にした。
(2008/11記)(2021/12改訂) |