TAJIHM の 兵庫の山めぐり <千葉県の山> 
 
鋸山    のこぎりやま 329.1m 富津市・鋸南町
(千葉県)
 
1/2.5万地図 : 保田
 
【2006年4月】 2006-29(TAJI)
 
   東京湾フェリーで金谷港に近づいて  2006 / 4

 2006年4月の中旬は神奈川県の三浦半島へ仕事で出かけていたのだが、15日の土曜日が休みとなった。この休みをムダにしたくなく、近場でもハイキングをしようと思い付いた。ところが三浦半島には手頃な山がどうも無さそうである。そこで書店で地図を見て注目したのが、東京湾を挟んで対岸となる千葉県の鋸山だった。ちょうど三浦半島の久里浜港と鋸山の山裾にある浜谷港は東京湾フェリーで結ばれており、ごく短時間で移動出来そうだった。この鋸山にはロープウェイも付けられており、山上の奇岩風景を眺める観光地にもなっているようだった。
 京急・久里浜駅を下りたのは10時10分のこと。すぐにフェリーへの連絡バスに乗れ、久里浜港でもさほど待つことも無く10時35分発のフェリーに乗船出来た。フェリーは往復950円と手頃な値段だった。この日の久里浜は冷たい風が強風となって吹き荒れており、4月の中旬とは思えない肌寒さだった。ただ風の強さほど波は荒れておらず、フェリーはさほどの揺れも無く千葉へと向かって行った。その千葉の房総半島に近づくにつれ、峨々とした山稜が近づいて来た。もうそれが鋸山と一目で分かった。およそ40分で金谷港に入港する。フェリーの中に置かれていた鋸山ハイキングマップを持って下船した。その途端に強い風を受けたが、風に生暖かさがあった。久里浜とは2,3℃は違うようで、房総半島が温暖の地であることを実感した。マップに示された方向へと国道127号線を南へと歩いて行くと、ロープウェイ駅が見えて来た。登山口はロープウェイ駅よりもっと手前のはずなので、改めてマップを見ると、登山口への道は国道よりも一つ住宅地寄りの道からのようで、行き過ぎてしまったようだった。今度は住宅地の中の道を丹念に辿った。すると精肉店と薬局の間に登山口の案内があり、脇道が山に向かっていた。その脇道に入ると程なくJRの高架を潜った。その先で道が二手に分かれ、右手がメインコースの「関東ふれあい道」コースに向かう道で、左手の道は「沢コース」だった。マップを見ると沢コースが一番時間がかかりそに思えたので、低山を長く歩きたいこちらとしては沢コースを進むことにした。始めは車の通れる道だったが、程なく山道に変わった。名の通り沢沿いを進む道で、平坦なまま長々と続いていた。ただ沢はちょっと薄汚く見えており、風情のある沢とは言えなかった。また道は幅が狭い上にけっこう締めっぽく、ぬかるみも見られた。ちょっとヤブっぽい所もあり、どうやらマイナーなコースのようだった。それとなぜか道そばにマムシグサが多く見られた。30分ほど歩くと手彫トンネルと呼ばれる薄暗いトンネルに出会った。ごく短いトンネルなのだが、中は外光が差し込まず、いきなりだと真っ暗にしか見えなかった。足で探りながら、そろそろと進まなければならなかった。そのトンネルを過ぎて、漸く上り坂が始まった。沢からも離れて支尾根を登るようになった。痩せ尾根だったが、沢沿いの道よりも歩き易く階段になっている所もあった。今が山桜の季節なのか、満開の山桜を幾つか見かけた。上り詰めて主稜線に出る。そこは林道コースとの合流点で、ベンチも置かれて一休みの場所になっていた。その山上に出て、少し北西の風を受けるようになった。山上だけに麓よりも冷たい風だった。山上の道は丸太階段が多かったが、ゆったりと道幅もあって、主コースと言えそうなハイキングコースだった。合流点より15分も歩けば山頂だった。狭い山頂には大きな三角点とベンチが置かれており、小ぢんまりとまとまった雰囲気だった。三角点は大きいはずで、一等三角点(点名・鋸山)だった。薄曇りの空と思っていたが、いつの間にか晴れて上空には青空が広がっていた。その山頂では強風の音がうるさいばかりだった。ただ周囲の木立が風を防いでおり、陽射しのあふれる暖かい所となっていた。その休憩には絶好の場所が、昼どきにもかかわらず無人だった。ベンチに腰を下ろして、のんびりと昼食をとった。山頂の展望は狭いながらも北の方向が開いており、東京湾に富津(ふっつ)岬の突き出している風景が望まれた。富津岬と言えば20年ほど前に仕事で君津市を訪れたおり、車で岬の先端まで走ったことが思い出された。この日は春霞のようで、風景はぼんやりとしており岬から北はモヤに溶け込んでいた。昼食後は主稜歩きを続けた。間近に鋸山テレビ中継所があり、そこより少し下った所に展望台があった。別名「地球が丸く見える展望台」とあり、その名を模してか、丸い形に作られたベンチが置かれていた。そこも陽射しがあふれていたが、山頂同様に誰もおらずひっそりとしていた。強いモヤのために地球の丸さを見ることは出来なかったが、南には保田の海岸線風景が広がっており、西には久里浜がうっすら見えていた。展望台にはそこから見える風景の案内図があり、伊豆大島に天城山、富士山、丹沢が描かれていたが、総てモヤの中だった。その展望台を離れると急階段の下りがあって、石切場の風景が現れた。鋸山は山全体が堆積岩で出来ているそうで、かつては房州石(金谷石)の一大産地であったとのこと。山肌が大きく削られて、山稜まで何十メートルの幅で垂直の壁になっている様は壮観だった。その姿に変えるまでの人の営みの長さを想像すると、石の壁から歴史の重さが伝わって来るようだった。その石切場の風景を眺めながら登山道を進んで行くと、道は麓に通じる「関東ふれあいの道コース」と石切場の頂上に出る道とに分かれた。石切場の上にも出てみたいと頂上に向かう道に入ると、程なく日本寺の前に出た。そこの境内を通らないと上には出られないようで、しかも入るには拝観料が必要のようだった。普通にハイキングをして山上に出られるものと思っていたので、少し抵抗を感じた。また境内には観光客(ロープウェイで来たと思われる)もおり、そこはハイキングとは場違いな雰囲気だった。そこで山上は諦めて引き返すことにした。鋸山のハイキングを十分に楽しんだことでもあり、「関東ふれあいの道コース」に入って麓へと向かった。このコースが鋸山ハイキングのメインコースのようで、階段状の遊歩道が長々と続いていた。そして一度平坦となった所に観月台があり、そのそばから振り返ると鋸山が間近で全貌を見せていた。そこを過ぎると登山口までは僅かな距離だった。登山口に着く頃にフェリーの出航を知らせる放送が聞こえて来た。そこでフェリーの時刻表を見ると、次の出航は45分後だった。時間は十分に有るので、後は集落内をのんびり歩いてJR駅に立ち寄ったり、みやげ物屋を覗いたりしてゆっくり港に近づいた。そして15時25分発のフェリーで久里浜へと戻って行った。僅か4時間ほどの滞在だったが、房総の山に登った実感を持てるハイキングだった。
(2006/4記)(2010/8改訂)(2022/3写真改訂)
<登山日> 2006年4月15日 11:30金谷港スタート/11:53沢コース入口/12:25トンネル/12:48林道コースと合流/13:02〜18山頂/13:35〜45展望台/14:40「関東ふれあい道」コース登山口/15:00金谷港エンド。
(天気) 午前は薄曇りから薄晴れと言った空。北西風が強かった。その風は久里浜では冷たかったが、房総側では生暖かさがあった。ただ尾根上では冷たい風となっていた。山頂は風が遮られており、暖かい陽射しに包まれる。この日は春霞で、風景はうっすらとしていた。特に東京湾のモヤが強く、遠方はモヤにとけ込んでいた。
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金谷港に下りると鋸山は近かった 裏通りに入って、登山道への標識を見た JRの高架の先で道は二手に分かれた
マイナーな沢コースの道を歩いて行く 手彫トンネルの中は本当に暗かった 沢を離れて小さな尾根を登って行く
主尾根に出ると「関東ふれあいの道」に合流した そこにはベンチも置かれていた 「関東ふれあいの道」は良く整備されており、のんびりとハイキングを楽しめた 山頂は小ぢんまりとした広さで、一等三角点が置かれていた
一等三角点(点名・鋸山)を間近で見る 説明板を見る 足下ではスイセンの花が咲いていた
山頂からは北の展望が良かった 東京湾に突き出ているのは富津岬と思われた 木々の隙間から南東方向を見る 低山が連なる風景だった 山頂の次に「地球が丸く見える展望台」を訪れた

(←)
展望台に立って南
に広がる鋸南町の
風景を見る

 (→)
  富山(標高350m)
  を大きく見る
展望台から西に目を向けると、ロープウェイ駅を見た 北西を見ると、フェリーの着く金谷港が望まれた 展望台からは石切場跡へと急階段を下った
階段を下りていると、足下に東京湾の風景が広がった 高速道は富津館山道だった
鋸山は金谷石の採石場だったところ その跡は壮大な人間の歴史だった 江戸時代の人はどのようにして切り出したのだろうかと、感動すら覚える切断面だった 見上げると、岩の上に人が立っていた
岩と言うよりも、巨大建造物に見えた 石切場の風景もすごかったが、新緑も美しかった 登山道も金谷石を削って作られた所があった

観月台のそばから
振り返ると、鋸山
の全貌が望まれた

下山は「関東ふれ
あい道」コースを
下った 階段道が
続いた
登山口に下り着くと、車力道コースに合流した フェリー乗り場に戻る前に、浜金谷駅に立ち寄った 駅前からも鋸山が良く見えていた

金谷港に戻ってき
て、改めて鋸山を
眺めた

左の写真に写るロ
ープウェイ駅の辺
りを少し大きく見