2004年のゴールデンウィーク連休は奥秩父の山に焦点を合わせた。最初に向かったのが展望の山として知られる大菩薩嶺だった。4月28日は移動日で、午後に入って自宅を離れて山梨県を目指した。天気は急速に回復して、中央道から見えた夕暮れの甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山、富士山は、これ以上は無いと言うほどの澄んだ視界の中に姿を見せていた。甲府市内で一泊して、翌29日に大菩薩嶺に向かった。好天は続いており、甲府市の朝の空に雲は一つも無く、澄んだ青空が広がっていた。この大菩薩嶺を登るに当たって、初めは塩山市側の裂石から登り始めることを考えていたのだが、いざ裂石に着いてみると、同じく大菩薩嶺を目指すと思われる車がどんどん林道に入って行くのを見た。どうやら上日川峠に向かっているようだった。それを見て、こちらも出来るだけ早く澄んだ展望に出会いたく、上日川峠まで車を進めることにした。林道を走って一気に高度を上げて行く。そして標高1590mの上日川峠に着いたときは6時半だった。まだ早朝とあって、駐車場には十分な駐車スペースがあった。朝の冷気が強く、冷たい風もあって体感は5℃ほどか。手先に冷たさを感じた。ただ登るとなると、山頂との標高差は450mでしかなく、気軽なハイキングをする気分で歩き始めた。大菩薩峠を目指して歩き出したのだが登山道と平行して林道が続いており、それを走って山小屋の福ちゃん荘の前まで進む車もあった。更に先の富士見山荘のそばにも駐車している車を見かけた。上日川峠まででも車を進め過ぎた感を持っていたのだが、もう十分に登山の雰囲気の漂う辺りまで車を進めるのはいかがなものかと少々疑問を感じた。富士見山荘を過ぎると富士山の見える展望台があり、そこで一休みとした。そこからは進入禁止となった林道を登って行く。林道は軽四1台分の幅で続いており、その林道にまだ車の轍の跡が見られた。この車道歩きはあまり面白みは無く、ひたすら歩くことに専念するのみ。あまり陽射しの来ない林道の空気は冷たく、汗はほとんどかかなかった。林道はとうとう大菩薩峠まで続いていた。峠には介山荘が建っており、どうやら轍の跡は、この山荘の車が付けたものと思われた。その大菩薩峠に着いて風景が一変した。それまでの樹林帯から解放されるように素晴らしい展望が広がった。行く手には大菩薩嶺へと続くたおやかな尾根が延びており、南には富士山、そして南西に南アルプスが全貌を見せている。まさに絵に描いたような風景がそこに広がっていた。何と言っても富士山が大きかった。南アルプス全部がかすむほどの存在感があった。この大菩薩峠に着いてもまだ8時前とあって、朝の澄んだ視界がこの風景をいっそう美しくしていた。大菩薩峠からがこの大菩薩嶺ハイキングの核心部。少しの木々だけで、後は笹原のみが広がっており、富士山と南アルプスを見ながらのハイキングが続いた。一気に登るのがもったいなく、賽ノ河原で足を止め、妙見ノ頭で足を止めして登って行った。大展望地の雷岩を過ぎて樹林帯に突っ込み、程なく大菩薩嶺山頂に到着となった。そこは全く展望の無いピークだった。そして大菩薩嶺ハイキングが終わったことを知った。裂石からスタートしていたのなら、ここより北西方向へと丸川峠を目指すのだが、上日川峠に車を止めており、それは出来そうになかった。そうかと言ってまだ時間は8時半であり、雷岩での展望だけで下山する気にもなれなかった。そこで午前中はこの山上を出来るだけ楽しもうと、丸川荘まで行けずとも、その近くまで行くことにした。それはこの北に広がる奥秩父の山並みを眺めたいとの気持ちも手伝ってのものだった。大菩薩嶺を越すと道は山の北側に続くため、一気に冷え冷えとした空気になった。かちかちに凍った残雪も見られて、本来の奥深い山の雰囲気となった。ただ終始、鬱蒼とした樹林が視界を阻んでおり、なかなか北の山並みは姿を現さなかった。それでも樹間を通してだが、その雄大さは十分に分かった。1時間ほど歩いて引き返した。その間ですっきりした展望はとうとう無かったが、ちらりとながら金峰山や甲武信ヶ岳の姿は確認出来た。雷岩に引き返すと、昼が近いとあって一帯は多くの人で賑わっていた。そして既に朝の冷気は消えており、もう春の陽気そのもので、ぽかぽかと絶好の暖かさだった。ただそれと反比例して視界は薄モヤがかってきており、もう南アルプスは淡い色合いになっていた。下山は雷岩から南西方向へと向かう唐松尾根を下った。こちらは新緑がまばゆいばかりの美しさで、展望尾根とはまた違った味わいのあるコースだった。
(2004/6記)(2008/1改訂)(2025/9写真改訂) |