深田久弥が「偉大なる通俗」と呼んだ富士山。その富士山に登りたい気持ちが熟して向かったのは2008年8月に入っての最初の土曜日のこと。通常の週末休みのみで登ることにしたものである。ただ土日の二日間でいかに効果的に登ろうかと考えて決めたのが、富士山を東側から登る須走口コースだった。夏の混雑時でも人は少なくコースに変化があると紹介されていた。ただ歩く距離が少し長いとあったが、それは特に気にはならなかった。登山開始は3日の薄明からと予定したので、前日の2日は移動だけだった。但し出来るだけ早く登山口に着いて休憩をとろうと考えて、2日は朝早い時間に姫路市内を離れることにした。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
(8月2日) 朝の5時に自宅を離れた。目指す高速道の降り口は御殿場ICだった。その高速道は渋滞も無く順調で、予定より早く12時を回って御殿場ICを降りることが出来た。まずは食料を求めて道中にあったダイエーに立ち寄った。これで準備は整い、改めて須走口新五合目を目指した。ところでこの日の空は近畿も中部も薄ぼやけた雲で覆われており、気温だけは高いものの青空はときおりしか見られなかった。その状況は静岡県に入っても同じで、富士山はガス雲にすっかり隠されていた。富士山へ向かう車道を走り出しても前方に見えるのはガス雲だけだった。須走口の新五合目を目指して走って行くと、道路標識にその新五合目があり安心して車を進めた。そして御殿場口コースへの車道が分かれた先で今度は新五合目へと道が分かれた。その新五合目への道に入るとずっと上り坂が続いて、やがてガス帯に入った。そのまま順調に登山口まで行けると思っていたところ、突然渋滞の車の列に付くことになった。確か須走口への道は空いているはずだったが、そこは新五合目までまだ5kmとなっていた。そのうちに後ろに車がつながり出して、すっかり渋滞の中となってしまった。しかもほとんど進まなかった。30分以上は動かない状態が続いた後、一気に動き出した。原因はその先で車道の片側が駐車の車で塞がれており、上りと下りとで時間差通行になっていたためだった。進み出すと順調で、天気も途中から一気に晴れ出した。どうやら雲海の中にいたようで、その上はすっかり快晴だった。富士が眼前に聳えていた。そのうえ意外なことに登山口のそばに着いたとき、駐車場に幾つか空きが出来ていた。午後の時間帯のため、下山を終えて駐車場を離れる車が出だしたようだった。おかげで手頃な位置に車を止めることが出来た。駐車場にはレストハウスがあり、そちらに行ってみると大勢の登山者でごった返していた。そこには新五合目と書かれていたが、どうも須走口とイメージが違った。不思議に思っていると、突然現在地が分かった。そこは須走口では無く、メジャールートの登山口である富士宮口新五合目だった。御殿場ICから富士宮口へ行く道があるとは思いもせず、ただ新五合目を目指して来たのだが、それが富士宮口だったとは近年に無い大勘違いをしてしまった。もう時間的に引き返せそうになかった。車は後から後から来ており、それをガードマンが絶えず整理していた。引き返すのも大仕事だった。そこで気持ちをすんなり富士宮ルートを登ることに切り替えた。ときおりガスが流れて来たが、青空の中に富士は圧倒的な大きさで迫っていた。その富士へと登山口には数珠繋ぎになって登山者が登り出していた。また下山してくる人も多かった。さすが富士宮口はメジャーコースだった。その活気ある様をひととき眺めた後、駐車場に戻った。時間はまだ15時になったばかりだが、後は翌朝の出発までひたすら体を休めることにした。今回は車の中で仮眠をするよりもじっくり横になろうと、テントを用意していた。そのテントを車の後ろの狭いスペースに張った。新五合目は標高2400mの位置だけに涼しさは十分にあり、陽射しがあってもテントの中はさほど暑くなかった。夕方になると涼しい風も出て、爽やかさがあって良い感じになって来た。そこで夕食を済ますとすぐに寝に付いた。ただ夜が更けようと関係なく、どんな時間でも絶えず車が出入りしていた。その車はテントのそばを通るため普通は寝ていられないのだが、アイマスクと耳栓でしっかり寝る心構えをしていたためか、うつらうつら状態ながらもときに寝入ることがあって、まずまずの眠りだった。ときおり外を見るといつでも登山者がおり、そして上空は満天の星だった。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
(8月3日) 目覚めたのは深夜の1時半過ぎ。薄明の頃まで寝ている予定だったが、6時間ほどの睡眠をとっていたので疲れは感じなかった。パートナーも同じようで、そこで深夜ながら出発することにした。外に出るとこの時間でも大勢の登山者がおり、相変わらずガードマンが車の整理をしていた。本当に夏の富士山は24時間眠らない山のようだった。テントを適当にたたんで出発とした。ヘッドランプ頼りで富士宮ルートを登って行く。見上げる上空には星が瞬いていた。ずっと晴れが続いているようだった。そして山頂方向を見ると、多くの小さな灯りが見えていた。何人もの登山者が登っているようだった。登山道は二人が並べるほどの幅があるので、ごくスムーズに登って行けた。気温は16℃とちょうど良い感じだった。山頂までの時間の目安は特に考えておらず、マイペースで登ることだけを心がけた。六合目を過ぎて坂が少し急になって来ると、先を歩く登山者にときおり追いつくようになった。どの登山者も数人のグループで、しかも男女を問わず二十歳前後の若い子ばかりだった。この深夜に登るのは無理のきく若い子が中心になるのかと納得する。深夜とあって風景を楽しむことは出来ず、黙々と登るのみ。七合目の小屋に着くと、そこには大勢の若い子が休憩していた。けっこう疲れているようだった。こちらは全く疲れなど感じていないので、どうも山になれていない子がほとんどのようだった。その七合目を過ぎると、点々と道ばたに防寒シートにくるまって眠っている子を見るようになった。、また先行者に追いつく頻度が高くなった。追い抜くときにその姿を見ると、やはり若い子だった。本当にみな若くて、足が遅かった。普段に登山などせず、いきなり富士山を登っているのが明らかだった。八合目池田館の前も人の群れだった。その八合目を過ぎると歩く人の密度が高くなった。こちらはごく普通のペースなのに若い子の足は遅く、何人も何人も追い抜くことになった。気温は12℃まで下がっていたが、むしろ快い涼しさに感じられて、登る助けになっていた。九合目を過ぎると渋滞しだした。恐ろしい数の登山者だった。みな静かに前の人を抜くことも無く並んでいる。こちらはその横をすり抜けて行くが、歩くことよりも人をさばくことに疲れてきた。九合五勺まで来ると、人の数が多過ぎて列は止まってしまった。4時半ほどになっており、もう明るさが出ていたため回りの様子が見えるようになっていたが、とにかく人の群れだった。しかもほとんど若い子だった。これは登山者の列と言うよりも、コンサート会場へと向かう人の列ではと思えるほどだった。その若い子のほとんどが疲れてしまっているのか、少し前が動いても進もうとしなかった。こちらはその列のままに動く気など無いので、脇をすり抜け中を割って登って行くが、さすが標高が3500mを越しているとあって、息の入り具合と足の動きが違ってきた。気持ちに比べて足の動きは緩慢になっていた。また息も大きくするようになった。その状態ながらも足を止めないようにと列の中を登って山頂に出た。東の空は光があふれており、今にも朝日が現れようとしていた。時間は5時前だった。3時間と14分での到着だった。渋滞が無ければもう少し早く着けていたことになるが、朝日の現れる前に山頂に着いて一安心と言ったところだった。そこは浅間大社奥宮の前だったが、そこかしこに疲れて眠り込んでいる若い子がいた。その山頂に着いて一番目に付いたのは最高地点となる剣ヶ峰で、そこにだけ朝の光が当たっていた。そこには旧富士山レーダーの基礎部が残っており、まるで要塞が立っている様だった。そちらに人影は少なく、誘われるようにその剣ヶ峰を目指して歩き出した。その途中で振り返ると、東の稜線にちょうど朝日が現れようとしていた。剣ヶ峰が間近になると西の展望が現れて、そこに見えたのは雲海の広がる風景だった。そしてその雲海に富士の影が映っていた。影富士だった。これは予想していなかっただけに、思わず足を止めて見とれてしまった。一息入れて最高地点へと登り始める。そこは馬の背の名が付く急角度の坂で、砂が滑り易くなかなか足が進まなかった。力を込めて足を進めるが、体の動きは一段と緩慢になっていた。もう最後は手すりを頼りに体を引き上げた。その最高点に着くと、旧レーダー基礎部の横には日本一高い位置の展望台があった。早速上がってみた。そして思わず息を飲む風景に出会った。一言で言うと影富士と南アルプスの風景だった。南アルプスは南の光岳から北の甲斐駒ヶ岳まで総て見えていた。これまではその南アルプスから富士を見ていたのだが、こうして富士の山頂に立つと、南アルプスは富士に対峙するかのように並んでいた。その南アルプスだけでなく、中央アルプス、八ヶ岳、奥秩父の山並み、更には遠く北アルプスも小さく見えながらも鋭い峰々を並べていた。こうして展望台で大展望を楽しんだのだが、朝早い時間のためか展望台に立つ人は少なかった。着いたときに二人いたがすぐに降りてしまい、後はパートナーと二人きりだった。その後もぽつりぽつりと来るだけで、ゆっくりと大展望を楽しめた。これで何だか富士山を堪能した気分になれて、後は心豊かなままにお鉢巡りを楽しむことにした。時計回りで歩いて行くことにする。着いたときは静かだった旧レーダー基礎部にも大勢の人が集まっていた。その人の群れから離れると人影は少なくなった。お鉢巡りの人は少ないようだった。少ないと言っても前後に何人かの人は絶えず歩いていたが。朝食をとるために剣ヶ峰と白山岳の中間地点で休憩とした。そこも展望は良く、南アルプスから八ヶ岳が一望だった。まだ影富士が見えていたが、だいぶ小さくなっていた。お鉢巡りの道は白山岳を迂回しており、ほぼ真っ直ぐに久須志岳方向へと続いていた。そして小さなピークの久須志岳を越すと人が増えて来た。そしてひょいと山小屋の建ち並ぶ前に出ると、そこには富士宮口どころでは無いおびただしい数の人の群れだった。これまたほとんど若い子で、外国人も多く混じっていた。もうすごいとしか言いようが無かった。とにかく人の波の中に漂っているようなもので、その波のままに進んで行くしかなかった。200円の有料トイレがあったが、どこまで人が並んでいるのか分からなかった。途中で人の波から抜けて山の縁で一休みとした。そこからは吉田口からの登山道(須走ルート)が眺められたが、ものすごい数の人が登っていた。そして下山の人もまた多かった。その人の群れも大日岳が近づくと減ってきた。その大日岳は疲れ果てた人があちらこちらに倒れていた。これまたほとんど若い子だった。その大日岳を離れるとまた人の数はぐんと減った。やはりお鉢巡りをする人は少ないようだった。その先に伊豆岳、成就岳と小さなピークがあったが、コースはそのそばを通過するようになっていた。二つのピーク共に簡単に登れそうだったが気温は20℃ほどまで上がっており、登りたい気持ちが出てこないため素通りとした。その東の縁側からは火口が良く眺められ、そこには万年雪が残っていた。ゆっくりと回ったため、およそ3時間かかって富士宮口頂上へと戻ってきた。そこには薄明の到着時より更に多くの人が休んでいたが、それでも吉田口の山頂と比べると1/3ほどと言えそうで、混雑とまでは言えなかった。これを眺めて思ったのはやはり富士山は大きな山だと言うことで、局所的に人が集中していても器が大きいので、全体を眺めると十分に余裕があるのは頼もしかった。一休みしたところで下山とする。下山は人の多い富士宮口登山道を再び歩くことを覚悟していたのだが、地図をよく見ると御殿場口登山道から宝永山経由で戻れることが分かった。そちらを見ると下山ルートとちゃんと書かれていた。時計は8時を回ったばかりなので、ゆっくりと下ることを心がけて下山道に入った。その下山コースを歩き出すと自衛隊員がぽつりぽつりと立っていた。近くの標識からこの日に富士登山競争駅伝があるようで、その監視員のようだった。コースは御殿場口登山道なのだが、登って来る人も少なければ下山の人も少なかった。先を歩く人に追いつくこともあれば追い越されることも多くあったが、登山道は3人は並べるほどの幅があるのでマイペースのままの下りだった。空は快晴だった。気温は20℃を越えていたが絶えず涼しい風が吹いており、その風の快さを味わいながら下って行く。八合目を過ぎて砂走館まで下りて来ると、そこに多くの人が集まっていた。駅伝の一つのポイントのようだった。その先で砂走りの急坂が始まった。砂と言っても小粒の石が多くあり、そこを下る感じはちょうど雪山の下山と同じようなもので、ザックザックとかかとで一気に下った。そこを下りきって御殿場コースが分かれると、宝永山が目前になった。その宝永山は下山コースからは少し離れるが、ごく近い距離なので立ち寄ることにする。ほぼ平坦な道を歩く感じで宝永山へと近づく。コース分岐点から数分で宝永山山頂へ。その宝永山には単に立ち寄るだけの気持ちで来たのだが、山頂に立ってみると富士山をこれ以上は無いと思える圧倒的な大きさで眺めることになった。そして眼前には宝永火口がこれまた圧倒的な荒々しさで岩肌を見せていた。これは一見の価値があった。この後は下山コースに引き返して下山を続ける。また砂走りが始まって一気に下っていると、その道をあえぎながら登る家族連れに何組かすれ違った。その一組に聞くと宝永山までのハイキングとのことだった。やはり宝永山だけを目的とする人も多いようだった。砂走りを下りきると宝永第一火口の前に出た。そこは標高2420mで、ほぼ登山口と同じ高さだった。その先で小学生の大集団と出会った。こちらは学校登山で、宝永第一火口までのハイキングとのことだった。富士山には色々な楽しみ方があるようだった。もうトラバースの道となって富士宮口コースの六合目へ。そこから新五合目登山口は目と鼻の先だった。その登山口に戻り着いたのは11時前のこと。深夜の時間帯から歩いていたのだが、まだ昼まで1時間もあるのかと信じられないくらい長い午前だったと思えた。そして眼前の富士山をただ満足の思いだけで眺めていた。後はその思いを消さないために人混みのレストハウスには立ち寄らず、真っ直ぐ帰路についた。
この富士山については、登るまではただ日本一高い山で大きな火山ぐらいにしか考えていなかったのだが、こうして登り終えてみると、その富士の持つ魅力に包まれてしまった。登山コースには目立った樹木は見られず、結果としてはやはり大きな溶岩の固まりを登っただけなのだが、その圧倒的な大きさ、その山頂の懐の深さ、その空気感、更に素晴らしい展望、山頂の荒々しい風景、また富士の山頂に立ちたいとおびただしい人から出る熱気と、これら全てが混ざり合って、富士は日本一の山だと思わずにはいられなかった。
(2008/8記)(2013/6改訂)(2021/12写真改訂) |