風越山と風雅な名の付く山が中央アルプス圏には二つあり、一つは伊那側に、もう一つは木曽側にある。2006年8月に訪れたのは伊那側の風越山だった。位置からして飯田市の西郊にある山なので注意して飯田ICに近づくと、一目で分かる堂々とした姿で現れた。この日は雲の多い空で、中央道を走っているときに恵那山を始め高い山はガスに隠されていたのだが、風越山も山頂部はガスに包まれていた。この風越山へのアプローチはガイドブック(名古屋周辺の山200)に従って南東麓側からと考えていたので、風越山を見ながら適当に近づいて行った。ところがその南東麓一帯はリンゴ園になっており、農道が迷路のように付いていた。車1台分ぐらいの幅しか無く、しかも入り込めばリンゴの木によって見通しがきかなくなり何度も引き返すことになった。結局は30分ばかり無駄にうろうろした挙げ句、通りかかった高校生に道を尋ねて、登山口に近い風越山麓公園に辿り着くことが出来た。公園の駐車場に車を止め、近くのゴルフ練習場の脇から始まる登山道へと向かった。登山道は緩やかに続いており、いにしえは飯田の城主が馬で山上の白山社奥宮まで馬でお参りしたと言う通りの十分な道幅で、落ち着きのある古さがあった。程なく石灯籠が現れて白山社方向からの登山道と合流した。登山道は細くなったものの、歩き易さには変わり無く、また道そばには石仏も所々で見られた。有り難かったのは周囲の森が濃いことで、麓では朝だというのに30℃に近い気温で、強い陽射しを受けて真夏の暑さだったが、登山道は終始木陰の中を歩くことになり、涼しい風もあって十分にしのぎ易かった。気温はと見ると24℃と、夏の盛りにしてはうれしい涼しさだった。登山道はつづら折れの道で次第に高度を上げて行った。涼しいままに登って行けるのは良かったが、展望は濃い森によって遮られたままだった。それが中腹を過ぎた辺りだろうか、突然といった風で展望地に出た。東が広く開けており、足下には飯田市街が広がっていた。その背後には南アルプスがまさに一望出来るように開けているのだが、そちらは濃いガスに包まれており判然としていないのは残念だった。また森に囲まれた登りを始めると、延命水に出会った。その先で虚空蔵山経由の道と合流して尾根歩きとなった。暫く展望のないまま緩やかな登りを続けて行くと、山頂が近くなった頃に猿庫からの登山道と合流した。その辺りも開けており、山頂方向が望まれた。そこより一登りすると赤い鳥居が現れ、石段を登ると白山社奥宮に着いた。古びた社がぼつんと建っていたが、古くから信仰登山として登られて来ただけの落ち着いた雰囲気が漂っていた。ただそこは山頂では無く、そこより北西へとまだ登山道は続いていた。そして一度下って登り返した所が風越山山頂だった。一帯は一段と森が深くなっており、展望は期待出来ない様子だった。ただ山頂は平らになって開けており、休むには程よい広さだった。先着者が5名ほどおり、ちょうど昼どきとあって昼食をとっていた。こちらも山頂の一隅で一休みとした。山頂も涼しい風が通っていたが、尾根の風よりも一段と涼しいようで、肌寒さを感じるほどだった。あわててシャツを着込んだ。気温を見ると22℃を下回っていた。30分ばかりはじっとしていたが、その間に先着者は山頂を離れており、山頂はパートナーと二人っきりになってしまった。夏休み期間の休日だというのに、実に静かなものである。夏シーズンは登山者はどうしてもアルプスなどの有名山に向かってしまうので、手頃感のある山は意外と人の訪れは少ないということなのだろう。山頂でじっとばかりもしておれないので、少し展望を求めて辺りを探ってみると、南西方向に木々の切れ目を何とか見つけた。但しこの日の強いモヤの空のため、そちらに見えるはずの恵那山はどこにあるのやら判然としなかった。この風越山を登った目的の一つに、中央アルプスの南端に位置するので、中央アルプスを間近で眺めたいという希望があったのだが、これはどうやら裏切られたことになった。諦めてまた山頂の広場で暫し寝ころんで風の涼しさを楽しんだが、その山頂も一時間ほどで切り上げた。下山も往路を辿ることになる。その下山で何とか中央アルプスは見られないかと北の方向に注意をしていると、奥宮までの中間辺りで、少し登山道から離れるが、木々の切れ目を見つけた。そこから見えたのは前衛峰となる山並みで、高峰はやはりガスに隠されていたが、その前衛峰だけでも十分に中央アルプスがそこにあることを窺わせる厚みのある尾根の姿だった。この下山では、尾根のままに下って虚空蔵山に立ち寄った。そこはピークに立ったという風では無く、展望地に出た感じだったが、そこが展望という意味では風越山登山で一番ではと思えた。足下には飯田の街並みが隅々まで眺められ、その背後は広々と開けていた。視界の良い日には南アルプス展望の一等地だろうと思える広がりだった。そこも休憩地に向いており、東屋があってのんびりと過ごせるようになっていた。視界の良い日にこの虚空蔵山にまた来てみたいの思いを抱いて、登山口へと戻って行った。下山を終えた後、帰路は飯田市街を通って飯田ICへと近づいたのだが、その飯田市街から常に風越山が眺められた。飯田市にあって風越山は一番身近な山であることが理解出来た。
(2006/10記)(2014/6改訂)(2022/5写真改訂) |