何度か訪れた飯田市から目立つ山と言えば風越山となるが、東に目を向けると伊那山地が南北に長い稜線を壁のごとく見せている。その伊那山地の中央で最高点のピークを見せているのが鬼面山である。その鬼面山に向かったのは中央アルプスの盟主、木曽駒ヶ岳を登った翌日のことで、2010年7月24日土曜日の未明だった。前日の23日に目指したのは中央アルプスの南駒ヶ岳だったのだが、それが情報不足で駒ヶ根市側からの登山コースが通行不能とは知らず、登山口に立って漸くその事実を知った。そこで同じ駒ヶ岳でも木曽駒ヶ岳に目標を切り替えた。その木曽駒ヶ岳をロープウェイを使って登ったため、ついでに将棋頭山を登ってこの日を終えた。そうなると24日が空くことになったが、23日の夜は避難小屋泊まりを考えていたので、ホテル等の予約を入れていなかった。そこでその日の内に帰ろうかとも考えたが、せっかく信州まで来ていたので、色々と迷った末、もう一つ別の山を登ってから帰ることに決めた。その山を決めるのに駒ヶ根市内の書店に出向き、信州の山に関するガイド本を求めた。そして決めたのが鬼面山だった。コースはその本に書かれているままに、地蔵峠からのコースとした。そして朝の早い時間に登ってしまおうと、その夜は宿を求めず、車中泊と決めた。今回はパートナーは同行しておらず、一人旅なので、このような安易な方法で済ますことにしたものである。その車中泊の場所は駒ヶ岳SA。コンビニもあって便利なSAだった。20時過ぎには寝て、目覚めたのは翌24日の4時前のこと。まだまだ暗い時間だった。松川ICで降りて、県道59号線、22号線を走り、国道152号線に合流した。その間に夜が明けて、辺りが次第に明るくなってきた。登山口のある地蔵峠に着いたときは5時を回っており、もう十分な明るさになっていた。5時スタートを考えていたので、少し遅れたようだった。峠から南に少し離れて2台ほどの駐車スペースがあったので、そこに駐車とする。上空は前日以上の快晴で、雲一つ見えなかった。峠からは西の方向へと尾根道が始まっていた。それを歩き始めると、すぐに峠の地蔵と出会った。まだ光が射していないため、地蔵さんは薄暗い中に立っていた。尾根の傾斜は始めこそきつかったが、その後は特にきつくも無く続いた。朝の気温は18℃で、空気が乾燥しているのか、清々しさを感じながら登って行けた。周囲は植林があったり松の木もあったりと、ごく普通の山道を歩いている感じだった。足下の道は光を受けていなかったが、木々を通して見える周囲の風景には朝日が当たっている所もあり、いずれは光が射して来ると思われた。尾根は痩せた所が現れたが、緩やかなのでごく無難に歩いて行けた。登るほどに木々にブナやシラビソが混じってきて、雰囲気が良くなってきた。朝の光も届くようになって、周りの木立に鮮やかさが出てきた。30分ほど歩くと尾根の傾斜は増して、しっかり登るようになった。1585mピークが近づくと、西に間近く尾根が眺められるようになった。それが伊那山地の主脈で、鬼面山の山頂は見えてなかったが、北西方向にあるはずだった。急坂を登ってピークに着くと、そこに標識があって、ピークの名は貴ノ峰とされていた。山頂まで1.6kmと書かれていた。北西方向に緩やかに下って、また緩やかに登り返すと、もう辺りはシラビソ林だった。林の中は木漏れ日がいっぱいで、心が和む風景だった。尾根を西へと歩いていたが、主尾根に合流して南に向かった。最後は少し傾斜がきつくなって山頂に着いた。鬼面山の山頂は明るく開けており、一等三角点のそばには高さ4メートルはありそうな立派な展望台が建っていた。漸く着いたの思いもそこそこに、早速上がってみた。目に飛び込んできたのは、中央アルプスだった。ほとんど雲の見られない快晴の下、宝剣岳、空木岳だけで無く、越百山に安平路山、恵那山が、また北は経ヶ岳までと、中央アルプスの全姿が西の空に広がっていた。もうこれだけでも十分過ぎる展望だったが、目を転じると南東方向には南アルプスの光岳もすっきりと見えていた。もう展望台を下りる気は無く、ただひたすら展望台からの眺めを楽しんだ。そして次第にガス雲の現れる様を見ていたところ、木曽駒ヶ岳の上空に小さなガスが現れたかと思うと、数分で木曽駒ヶ岳は隠されてしまった。それをしおに下山とした。山頂では50分ほど過ごしていた。下山は往路を辿るのみ。シラビソ林の雰囲気を楽しみながらで、気温もまだ20℃までしか上がっておらず、けっこう気楽な下りだった。それにしても静かな山だった。朝の早い時間に登ったこともあったが、この季節で快晴となれば登山者はアルプスに向かってしまうのか、行きも帰りも誰に会うことも無かった。緩やかな尾根は、下りはひたすら易しい道となってスタスタと歩けて、80分ほどで登山口に戻ってきた。登山口そばの地蔵さんには朝の光が当たっていた。時間は9時を回ったところで、本来ならこれから登山開始をしても良い時間だった。帰路は飯田ICより中央道に入ったが、まだ午前の時間帯とあって西行きの高速道は空いており、渋滞に遭うことも無く、午後の3時には自宅戻ることが出来た。
(2010/9記)(2021/8写真改訂) |