「日本百名山」では、昔より名山とは眺めて美しいだけで無く品格のある山でなければならないと書かれているが、その言葉を紹介しているのが「四阿山」の項だった。その四阿山は、写真で見ると濃い緑に包まれた優しげな山容で、その優美さにかねてより惹かれるものがあった。季節を問わず訪れたいと考えていたが、他の山が先となり、次は次はと思いながら後回しになっていた。漸く実現したのは2005年9月のこと。
2005年9月は敬老の日を含めて三連休となっており、天気予報で上信越地方がその連休中、天気に恵まれることが分かった。そこで急きょ四阿山を目指すことにした。まずどの日に登るかだったが、移動に一日を費やしたくなく、また無理なく日帰り登山の出来そうな山と思えたので、三連休前日の夜間に移動して、三連休の初日の山と決めた。16日はゆっくり自宅で夕食を採り、姫路を離れたときは20時半になっていた。眠気が来ればその時に眠ればの考えで車を走らせて、途中、中央道、長野道のサービスエリア3個所で計3時間ほどの仮眠をとると、上信越道の上田菅平ICには予定通り6時前には着くことが出来た。上田市内で朝食を済ませ、菅平高原につながる国道144号線を走った。ところが菅平口で鳥居峠への道に入らず直進してしまい、気が付いたときは菅平高原を通り過ぎて下り坂になっていた。あわてて引き返し、無事に四阿山南麓の登山口となる鳥居峠に着くことが出来たが、30分ほどロスをしてしまった。登山口そばにあった茶屋の駐車場に車を止めた。但しそこは有料(¥500)だった。上田市内の空は晴れていたが、鳥居峠は霧が立ち込めていた。その霧の中を歩き始めた。まずは林道を歩いていくのだが、林道の入口にはロープが張られおり、更に遮断機も付けられて車は入れなくなっていた。林道は舗装こそされていないものの、ひたすら緩やかな道で、その両側はカラマツ林だった。その林道歩きは50分ほど続いたか、終点が近づく頃にはすっかり霧は消えて上空には青空が広がっていた。森も朝日を受けて濃い緑色が鮮やかだった。林道終点でコースは二手に分かれていた。左手は的岩を通る的岩コースで、右手は花童子(げどうじ)の宮跡を通る花童子コースだった。そこは往路として的岩コースを選んだ。登山道はクマザサに覆われた緩やかな斜面を続いており、笹原にはダケカンバが林を作っていた。林道のカラマツ林も良かったが、このダケカンバの方が森としてずっときれいだった。朝の清々しい空気の中、ダケカンバに触れながら登って行った。やがて大きな岩の目立つ所に出た。どうやらそこが的岩のようで、その大岩の上に立つと西に展望が広がっていた。その的岩の先も森は続いたが、その森が切れると笹原のみとなり一気に展望が開けた。まず目に飛び込んで来たのが浅間山で、雲海の上に噴煙を上げる姿を浮かべていた。そして浅間山の右には湯ノ丸山へと大きな尾根が続いていた。暫くはその展望を見ながらの登りが続き、再び樹林帯に入った。今度の樹林帯はコメツガが主体で、いかにも森の匂いと言える甘い匂いが漂っていた。その樹林帯を抜けるとまた南に広々と展望の広がる所に出た。そこが2040mピークで、東屋があり花童子コースとの合流点だった。そこより山頂までは2kmと記されていた。ちなみに鳥居峠から山頂までは7.4kmとのこと。ところで山頂を早く望みたいと登っていたのだが、そこに着いてもまだ山頂は見えなかった。漸く山頂が見えたのは、その東屋を過ぎて少し下り出したときだった。それも中間にある2144mピークの左肩に僅かに覗くだけだった。まだまだ遠くに見えていた。2144mピークへの登りは地肌の現れた展望コースだったが、少々きつい坂だった。ちょうど疲れの出る頃と考えてか、ピークの手前にはベンチが置かれていた。2144mピークを越すと、少し下って最後の長い登りとなった。その下りのときに漸く山頂をはっきりと望むことが出来た。優しげな山容に緑濃い山肌はやはり美しかった。最後の登りは木段が続いていた。笹原の中に階段道がずっと続いた。その笹原は強い陽に照らされて明るく光っていた。足に疲れを感じたが、休まず登って行くと西からの尾根に合流した。それまで誰一人と会わなかったのだが、そこに来て登山者を見かけるようになった。どうやら菅平高原からのコースの方が主流のように思えた。合流点からも木道は続いたが、僅かな時間で山頂に到着となった。山頂に立ってまず感じたことは、意外と狭い山頂であることだった。山頂は東西に細長くなっており、最高点は岩場だった。その狭い山頂にコンクリート製の小さな小屋が二つあり、どちらにも祠が安置されていた。そして狭い山頂には既に20人ほどの人が休んでいた。窮屈な雰囲気のまま、こちらも休憩とした。そして展望の素晴らしい山頂をじっくりと味わうことにした。南にはもちろん浅間山の尾根が見えている。そして東には草津白根山。だが何と言っても北西方向に間近く迫る根子岳の姿が美しかった。両肩を長く引くその姿は四阿山に劣らぬ優美さだった。西方向遠くには北アルプスも見えていたが、そちらはモヤがかってはっきりしていなかった。一息つけた所で、三角点はと辺りを見るが、どうも無さそうである。たしか地図には記号があったと改めて地図を見ると、山頂より尾根を東に150mほど離れて記号が付いていた。高度も10メートルほど低かった。そちらを見ると小さなピークが見えたので、すぐに向かってみた。やはりそこが三角点ピークで、二等三角点(点名・吾妻山)のそばにはかわいらしいお地蔵さんが置かれていた。また戻って休憩の続きとしたが、昼どきになって狭い山頂は人でいっぱいになってきた。次第に気疲れというか人疲れのような気分になってきたので、下山することにした。その頃には上空には薄雲が広がり始めており、風景も白っぽい見え方に変わっていた。登山道を鳥居峠への道に入ると、再び静寂が戻って来た。やはり山は静かさが何よりだと思った。気分も落ち着き、歩くのも楽しくなるというものである。その下山では花童子コースを辿ることにした。花童子コースは2040mピークの東屋を含めて三つの東屋があり、また標識も的確に付いていた。それに2040mを少し下った所では四阿山の展望地もあって、どうやら的岩コースよりはポピュラーなのではと思えた。ただこのコースも人影は少なく、数人とすれ違っただけだった。麓が近づくと的岩コースと同様、笹原にダケカンバの美しいの林が広がり、楽しい下りとなった。鳥井峠には14時に戻ってきたのだが、登り終えての感想は、四阿山はどうも山頂に立つことの感激よりも、登ることの楽しさを味わう山だったように思えた。
(2005/10記)(2024/4写真改訂) |