2024年7月は下旬に入って好天が続くようになった。長野県の天気予報を見ると、8月3日頃まで好天が続くようだった。それを知ると久々に八ヶ岳連峰を登りたくなった。そして選んだのが二百名山にも選ばれている天狗岳だった。
8月1日は移動日として蓼科高原に宿をとった。その宿を早朝の5時半に離れると、唐沢鉱泉の駐車場には6時前に到着することが出来た。駐車場は既に七割ほど埋まっていた。早朝の涼しさの中、6時にスタートした。唐沢鉱泉からだと天狗岳を周回で歩くことが出来るので、その周回コースを右回りで歩くことにした。温泉宿の「唐沢鉱泉」の前を通ると登山コースは二手に分かれた。直進は黒百合平に出るコースで、右手は西尾根に出て先に西天狗岳に着くコースだった。そこを直進した。始めは適度な歩き易さの緩やかな道だった。朝のひんやりとした空気が快かった。上空は明るいものの、周囲の樹林は薄暗さがあった。登山道ははっきりしており、道なりにスムーズに歩いて行く。その登山道に次第に石や小岩が増えてきて、ときに石伝いに歩くようになった。まさにゴーロ道だった。谷筋を歩くとあって、終始樹林に囲まれていた。また涸れ沢を歩くことがあり、ときに鉄橋を歩いた。ゴーロ道が続くことがあ、なかなか歩き難いコースと言えた。スタートしてから1時間ほど歩いて、漸く左手から渋ノ湯コースが合流した。まだゴーロ道の谷筋歩きが続いた。その谷筋歩きのまま黒百合平に着いて、いきなりと言った感じで黒百合ヒュッテの前に出た。朝の冷気と緩やかなコースに助けられて、ほぼ足を止めずに歩いてきて、漸く小休止とした。そのヒュッテの位置でコースは中山峠に出るコースと天狗の奥庭を通るコースに分かれた。そこは直進して中山峠に向かった。その中山峠までも緩やかな道で、峠にはヒュッテから5分で到着した。そこに着いて初めて展望が現れて、東の方向が眺められた。中山峠からは主脈を歩く縦走コースだった。南へと歩き出すと、すぐに前方に東天狗岳と西天狗岳の並ぶ姿が眺められた。なかなか優美な姿だった。尾根コースは樹林帯を歩くことが多かったが、所々で樹林帯を抜け出すと、そこでは好展望が広がっていた。八ヶ岳連峰だけで無く、東に奥秩父の山々、西には中央アルプス、北アルプスが一望だった。高度を上げるうちに岩場が増えてきた。そして前方に鋭い岩峰が見えてきた。それは東天狗岳の前衛峰、天狗岩だったが、そこは巻くことになった。そして東天狗岳の山頂が見えてきた。山頂に着いたのは9時19分。黒百合ヒュッテから70分が経っていた。その東天狗岳は大賑わいだった。中学生グループが来ていたためだったが、そのグループが程なく山頂を離れると、残っていたのは10人もおらず静かな山頂となった。その東天狗岳が素晴らしい展望地だった。360度ぐるりと遮るものも無く眺められて、南アルプスも姿を現していた。近くには八ヶ岳の盟主、赤岳がどっしりとした姿を見せていた。この日の視界は十分に澄んでおり、遠くは北アルプスもくっきりと見えていた。ただ徐々に湧き出しており、南アルプスは次第に雲に隠されてきた。東天狗岳で十分に休むと、対峙する西天狗岳へと移動した。鞍部へと50メートルほど下り、ほぼ同じ分だけ登り返した。百名山と違ってすれ違う人は少なく、マイペースで歩けた。西天狗岳までは17分だった。西天狗岳の山頂は東天狗岳よりも広々しており、こちらには二等三角点(点名・東岳)を見た。ただ展望に関しては東天狗岳よりは悪く、北の方向はほぼハイマツ帯に隠されていた。それでも休むには良い所で、南の方向が広く眺められる位置で休憩とした。静かな山頂で、登山者は5人もいなかった。両ピークでの休憩を終えると、西尾根を歩いて下山することにした。まだ10時だったが、徐々に湧いてきた雲で赤岳は隠されようとしていた。西を見ると来たアルプスも雲が増えていた。西尾根は下り始めたときはパノラマコースだったが、やや急坂になっており、足下に注意を要した。陽射しを受けるので暑い下りだった。それも樹林帯に入って少しは涼しさを感じるようになったのは良かった。もう展望は無く、緩やかな尾根歩きが続いた。その尾根歩きでは、途中二度ほど上り坂になるときがあった。また突然のように展望地の現れるときがあり、そこは第二展望台、第一展望台の名が付いていた。陽射しを受けることもあってバテ気味となったため、何度か小休止をとった。そのため2時間ほどかかって漸くの思いで枯尾ノ峰コースとの分岐点に着いた。そこからは北西へと斜面を下ることになった。終始樹林帯を歩くことになったが、往路コースよりは歩き易いのではと思えた。その頃には十分に足は疲れており、すっかり歩度は鈍っていた。途中何度か休憩もとったので、登山口に着いたときは西天狗岳から3時間近くが経っていた。コースタイムよりもずっとかかっていた。唐沢鉱泉の前でジュースを飲みながら小休止をとると、おもむろに駐車場へと戻って行った。
(2024/9記) |