中央アルプスの盟主、木曽駒ヶ岳を急な思い付きで登ってしまった。この日、目指していたのは同じ中央アルプスの駒ヶ岳でも、南駒ヶ岳だった。駒ヶ根市側から池山尾根を登って、空木岳から南駒ヶ岳までを歩くコースで、擂鉢窪避難小屋で一泊する二日行程を予定していた。前日の22日夕方に自宅を出ると、途中、内津峠PAで仮眠をとって、駒ヶ根ICを降りたときは7時が近い時間になっていた。空は快晴。雲はほとんど見られず、中央アルプスの稜線がくっきりと見えていた。駒ヶ岳ロープウェイへのバスが発着する菅の台バスセンターを横目に、古城公園への林道に入った。細い林道を慎重に登って、標高1350mを越えた位置の登山口に着いてみると、一台の車も止まっていなかった。少し不信に思って登山口の貼り紙を読んでみると、驚いてしまった。このコースの途中の小地獄で登山道が崩壊しており、登山禁止となっていたのだった。これはまさに寝耳の出来事で、総ての計画がスタート時点で覆されたことになる。あくまでも南駒ヶ岳を目指すのであれば木曽側に回ればよかったが、日程を考えると無理ではと思えた。まずはこの日をどうするかだったが、一番簡単なのはロープウェイに乗っての木曽駒ヶ岳登山だが、それでは観光に来たみたいで気乗りがしなかった。ただ地図は中央アルプスしか持っておらず、どうも木曽駒ヶ岳を登る以外に選択肢は無いようだった。それにぐずぐずしていると、昼となってガス雲が湧いてくる心配もあった。決断すると、空木岳登山口を後にして、林道を引き返した。そして菅の台バスセンターの駐車場に駐車とした。駐車料金は500円。平日の上にまだ8時を回った時間とあって、駐車場は6割方の埋まり方だった。ザックは避難小屋泊まりを想定して中型ザックにしていたが、その中身を半分以上減らして、バスを待つ人の列に入った。駒ヶ根ICを降りたときはほとんど雲の見えなかった空も、中央アルプスの上空にはガス雲が早くも湧いていた。8時半発のバスに乗り込み、駒ヶ岳ロープウェイのしらび平駅へ。満員のバスの乗客がそのまま乗り換えるので、ロープウェイも満員だった。7割方が観光客で、残りがハイカーか。千畳敷駅を出たときは9時20分。前方を見ると、澄んだ空に宝剣岳が鋭く尾根から突き出ていた。ガス雲があちらこちらに見えたが、立ち込める状態までには時間がありそうだった。千畳敷駅からは緩やかに遊歩道が始まっていた。小さな祠の前を通ると、僅かに雪渓が残っていた。観光客に混じって歩いて遊歩道を歩いて行くと、宝剣岳への登りとなった。けっこう急坂で続く。この登りとなって周囲はハイカー姿の人だけとなり、その数はまばらだった。それが前方を見上げと、百人以上の大集団が見えており、こちらへと下山していた。男子高校生の集団登山のようで、これはかなわないと思ったが、いざすれ違い出してみると、登山道は幅が十分にあったので、意外とスムーズにすれ違えた。その先はもうマイペースの登りだった。もうハイカーは前後にぽつぽつと見るだけだった。ただこの木曽駒ヶ岳へのコースは観光登山のおもむきがあるので、ハイカーも高齢者が多いとあって足の遅い人が多いようで、ゆっくりと歩いているのに前の人に追いついてしまい、そのたびに抜くことになった。左手の宝剣岳はガスに隠されたり現れたりを繰り返していたが、上空はまだまだ青空が多いので、天気としては快晴と言えそうだった。宝剣岳の肩の位置に出ると、間近に宝剣山荘が建っていた。北に間近く見えるのは中岳で、木曽駒ヶ岳はまだ見えていなかった。ここでも高校生の集団が休んでいた。聞くと大阪の女子校とのことで、なるほど女生徒ばかりで50人はおりそうだった。これから木曽駒ヶ岳に向かうと言う。これは先に歩かねばと、少しの休憩ですぐに歩き出した。これだけの有名山になると、平日と言えども、決して静かにはならないようだった。まずは中岳へ。緩く下って緩く登るが、10分とかからず中岳に着いた。少し高校生グループを離したので、ここで一息つくことにした。中岳の山頂に立って、漸く木曽駒ヶ岳が眺められた。中央アルプスの盟主らしく、堂々とした骨格をしており、風格十分だった。ガスに隠されることも無く、すっきりと眺められたのは良かった。高校生グループが追いついてきたので、先に進んだ。60mほど下って、90mほど登り返すことになる。稜線に出てからは、ごく軽いハイキングだった。気温は17℃ほどで、空気はこの季節ならではの爽やかさがあった。足取りも軽やかに山頂に着く。山頂はけっこう広く、中央に祠が建っており、そばに一等等三角点を見た。振り返ると、中央アルプスの主脈が一望だった。但し対峙するはずの空木岳、南駒ヶ岳はガス雲に隠されていた。その主脈から少し離れるが、三ノ沢岳が一番姿良く見えていた。他にも恵那山、南木曾岳も遠望出来、この大展望を心行くまで楽しんだ。そして山頂の一角に腰を下ろして漸く足を休めようとしたとき、女子高生の大集団が到着して、山頂は一気に賑やかになった。その直後より、急にガスが周囲に見え出したかと思うと、あっと言う間に視界が閉ざされた。それもくまなくと言った感じだった。涼しくなったのは良いのだが、ただ休むのみだった。この木曽駒ヶ岳の山頂に着いたとき、登山としては少々簡単過ぎて、物足りなさを感じた。そして展望を楽しむ間に、出来れば尾根を北東へと歩いて、将棋頭山までの往復をするのも悪くないのではと思えてきた。それがガスに巻かれたことで、その気持ちが少し萎えてしまったが、それでも登山時間を考えて11時半まで待つことにした。場所を変えて、山頂の北寄りの位置で休みを続ける。まずは軽く食事をとることにする。それを終えて11時となったが、相変わらず周囲はガスのままだった。しかも風が止まって、ガスは動かなくなってしまった。タイムリミットの11時半となっても変わらない。もうこの日はこのままガスの世界かと諦めて出したが、さらに12時まで待つことにした。その12時が迫ってもう諦めようとしたとき、足下に頂上木曽山荘が見えてきた。それでもガスの消える気配は無かった。それが12時ジャストになったとき、一気にガスが薄れてきた。まだ将棋頭山への気持ちは残っていたので、改めて登山時間を考えてみた。将棋頭山に単に着くだけなら、木曽駒ヶ岳との往復時間を3時間として、それに千畳敷駅までの時間を足すと、何とかロープウェイの最終時間となる17時には間に合いそうだった。途中でガスがまた現れたときは諦めるまでで、とにかく行動を起こすことにした。歩き出したときは、山頂に着いたときよりも晴れており、空木岳も良く見えていた。北東に見える将棋頭山までの道のりは、ひたすら優しげに見えている。但し時間のこと以上に心配があった。それはほとんど水分を持っていないことだった。持っているのは500ccのお茶のペットボトルのみで、それも半分を飲んでしまっていた。山上に出れば雪渓の水があると考えていたのだが、その雪渓の位置まではちょっと距離がありそうで諦めざるを得ず、残りの水分で何とか乗りきるしかなかった。木曽駒ヶ岳の山頂を離れると、一気に人の気配は無くなった。尾根上に二人ほど見るだけで、漸く静かな山歩きが出来るようになったと言えた。緩やかな下りは登山としては全く問題無く、気楽な尾根歩きだった。良く晴れているとあって陽射しをまともに受けるので、風が快いと言ってもやはり暑かった。尾根は花崗岩が多いので、白っぽい尾根だった。そして前方に将棋頭山のなだらかな山頂が見えている。その山頂がなかなか近づかなかった。木曽駒ヶ岳と将棋頭山の距離は3kmほど。鞍部まで300mほどの下りで、そして70mほど登り返すことになる。尾根はときにハイマツ帯が広がって、その中を歩いたり、また高山植物に目を止めたりと、ここがアルプスの尾根であることを知らされた。漸く将棋頭山が間近になったとき、広々とした地表が現れて、そこに石碑が建っていた。遭難記念碑とあり、大正二年に中箕輪尋常高等小学校の児童を含めて11名が暴風に遭って遭難した事故の記念碑だった。その悲劇は「聖職の碑」として小説化されている。その新田次郎の小説を以前に読んだとき、不幸の偶然の重なりに、何ともやりきれない思いになったものである。その記念碑の立つ位置はいたって明るく、その優しげな風景は遭難の事実と頭の中でうまく結びつかなかった。ハイマツ帯を登ってほぼ山頂が近づいたとき、右手に赤い屋根の西駒山荘が見えた。それを横目に最後のひと登りで将棋頭山の山頂に着いた。木曽駒ヶ岳を離れてから1時間半経っていたので、予定通りと言えば予定通りだったが、休まず歩いていたので、少し遅いかと思えた。ケルンが積まれた山頂には他に人影は無く、ひたすら静かだった。ここまで来れば北の経ヶ岳が大きく見えている。他にはうっすらと鉢盛山も。翻ると、木曽駒ヶ岳は山頂をガス雲に隠されていた。着くまでは少し焦り気味の気持ちで歩いていたのだが、着いてみると何とも落ち着ける山頂で、来て良かったと思えた。ただじっとしていること十数分。後は木曽駒ヶ岳へと引き返すことになる。ただやはり暑い道中だったため、もうベットボトルのお茶は一口分ぐらいしか残っていなかった。それだけで歩くのはどうみても厳しいので、残り時間は少なかったが、寄り道をして西駒山荘に立ち寄ることにした。西駒山荘は山頂からも見えており、登山コースを離れて東へ僅かに下ると、小屋の前に出た。裏から回り込むようにして小屋に入ると、誰も見えなかった。奥に居るだろうと声をかけると、若い小屋番が現れた。求めたのはペットボトルのポカリスウェットで、400円の値段も気にせず買い求めた。これで水分のことは心配せずに戻れそうだった。ついでにロープウェイ駅までかかる時間を聞くと、木曽駒ヶ岳経由よりも、トラバース道となる濃ヶ池経由が一番早いとのことだった。但し今の季節は残雪があるので、多少危ない所もあるようだった。礼を言って小屋を出る。始めは無難な木曽駒ヶ岳コースを戻ろうと考えていたが、どうもロープウェイの最終時間にぎりぎりになりそうだった。そこで多少危ない所があるにしても、濃ヶ池を通る巻き道コースで戻ることにした。この頃にはガス雲が増えており、上空に広がるだけで無く、尾根も隠され出していたので、歩くことに集中するのみだった。馬の背の手前で巻き道コースが分岐した。緩やかな道で、ダケカンバがよく目に付いた。道としては尾根コースの道ほどでは無いが、ごく無難に歩いて行けた。小さな起伏が続いて、幾つか山襞を越えて行く。やがて雪渓が現れたが、残雪として僅かにあるだけなので、踏み抜きそうでけっこう危険な状態だった。慎重さを心がけて、大回りをするように越えた。それが二カ所ほどあり、濃ヶ池のそばに出た。雪解け水が流れており、すくって飲むと、冷たくおいしい水だった。これで水の確保は十分だった。その辺りで標高は2660mなので、稜線までは200mほど登らなければならない。辺りはガスが漂っており、少し薄暗かった。ただ巻き道コースは時間を短縮出来たようで、ロープウェイの最終時間までに2時間近くあるのは心強かった。その先はけっこう急坂があり、ハシゴも架けられていた。朝からなら4時間ほど歩いているので、急坂はけっこう足に堪えた。そこで無理をせず、一歩一歩足を運ぶようにして登って行く。そして何度となく立ち休憩をした。稜線を見るとガスの中にうっすらと小屋が見えていた。天狗荘のようで、その近くに登り着くはずだった。よく見ると人影も見えている。久々に見るハイカーだった。小屋に泊まる予定の人かと思えた。薄暗い中、最後はよたよた状態となって稜線に着いた。時計を見ると、15時42分だった。西駒山荘を14時前に離れたので、この巻き道コースは思った以上に早かったと言えそうだった。もう後はロープウェイ駅まで余裕の気持ちで下るのみだった。この最後の下りでは何十人もの登山者とすれ違ったが、みな小屋泊まりの人のようで、ザックは小さかった。ロープウェイ駅が近づくと、山上散策の観光客が見られるようになり、観光地の雰囲気となった。ロープウェイ駅に着いたのは16時15分。最終便よりも2本早い16時20分発に間に合ったので、今少しゆっくり歩いても良かったのではと思いながら、ロープウェイに乗り込んだ。
(2010/9記)(2021/8改訂) |