奥穂高岳ほどの有名山になると、人の多さが気になってなかなか足が向かなかったが、一度は登っておこうと計画したのは2008年の夏だった。その山行としては、夏の山小屋には泊まりたくないので、テント泊でと考えた。テント泊と言っても涸沢に張る予定なので、体力的にさほど無理は無いとの判断だった。その奥穂高岳山行を始めの予定ではお盆休暇で目指すつもりだったのだが、8月に入って好天が続くのを見て、どうもお盆辺りで天気は崩れるのではと思えてきた。その一週間前の週末が近づいたとき、その週末も好天が予想されたため、お盆を待たずに一気に登ってしまうことにした。但し休暇を一日取って8日の金曜日からとした。8日は涸沢までで9日に奥穂高岳から北穂高岳を歩き、10日を下山日とする予定だった。この急な計画にパートナーには行かないと言われてしまった。パートナーは20年以上前に小屋泊まりながら単独行をしており、テント泊にも興味が無いようだった。それでも一人でテントを担いでいくことにした。とにかくザックの軽量化に努めて、出発前日の水曜日には支度をほぼ整えた。 -----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
(8月8日) 8月7日の木曜日に仕事先から自宅に戻り、最後の準備をする。そして家を離れたのは19時半だった。飛騨側から入山予定のため、まずは高山市を目指す。名神道を走っているときに眠気をもよおし、伊吹PAで仮眠とした。3時間ほど眠ると体はまずまず目覚めており、また高速道の走りを続けた。東海北陸道を飛騨清見ICで離れて高山道に入ると、てっきり高山西ICまでと考えていたのが延伸されており、高山ICで下りることになった。これはけっこう気分的に楽なもので、すぐに国道158号線に入った。後は一本道だった。そして平湯温泉のアカンダナ駐車場には4時前の到着だった。ここでも30分ばかりの仮眠をとり、4時50分アカンダナ始発の上高地行きバスへと予定通り乗り込んだ。空は快晴だった。30分ほどで着いた早朝の上高地バス停はもう売店が開いており、多くの登山者で賑わっていた。パンで軽く朝食をとって5時半過ぎに歩き出した。ザックは軽量化に努めたおかげで水を入れても15kgをきっており、これまでのテント行と比べるとずいぶん軽い感じでスムーズに歩き出せた。但し涸沢までの長い距離を考えて、ゆっくり歩くことを心がける。数分で河童橋に着く。早朝の河童橋は昼の賑わいは無く、ひっそりとしていた。前を幼い子供を連れたテント行と思われる家族が歩いていたが、ちょうど同じペースだった。ほぼ同じ距離を開けて歩いて行く。助かるのは早朝の涼しさで、森の気温は14℃ほど。風もあって良い感じで歩いて行けた。明神館前を過ぎて梓川のほとりを歩くようになると、対岸の明神岳がくっきりと姿を現していた。もう前後にぽつりぽつりと人を見かけるだけだった。先ほどの家族連れははや休憩をしたようだった。2時間ほど歩いて徳沢園が近づいた。そばのキャンプ場には朝の適度な賑わいがあった。11年前の槍ヶ岳山行のときにここにテントを張ったことを思い出した。そこよりきっちり1時間で横尾山荘前に出る。もう8時を十分に回っており、気温は20℃が近くなっていた。ここから梓川に架かる横尾橋を渡ると山道となるので、まだ体は軽かったが暫しの休憩とした。横尾山荘は増築工事が行われていた。ここは穂高の絶好の展望地で、真っ青な空に堂々たる骨格をした穂高の尾根が見上げるようにして眺められた。横尾橋を渡ると暫くは平坦な道を歩くが、次第に足元に石が目立って来た。その先で横尾谷沿いを歩き出すと、屏風岩がその岩肌を朝日に照らされているのが間近に見えていた。そしてその先では北穂高岳も現れた。山頂の山荘が見えている。登山道は横尾谷を左手に小さなアップダウンはあったものの、ほとんど高度を上げなかった。休憩をあまり取らなかったため、横尾橋を渡ってからほぼ1時間で横尾谷に架かる吊り橋に着いた。対岸に多くの登山者が休憩してるのが見えた。それまでは前後に数人を見るだけだったので、一気に賑やかな所に来た感じだった。その本谷橋を渡ってこちらも一息入れた。そこより漸く上り坂が始まった。足元はすっかり岩の所もあり、本格的に山道を登る雰囲気になった。右手の横尾谷が次第に遠くなる。歩き始めてから4時間を過ぎており、ザックが重く感じるようになっていたが、終始木陰の中を歩けるのは助かった。次第に涸沢の谷が開けて尾根の風景が見られるようになった。上流を見ると赤い屋根が小さく見えていた。涸沢ヒュッテかもしれないが、まだ1時間はかかりそうだった。上空の雲は増えることは無く、快晴が続いている。徐々に歩度が落ちてきたが、バテてきた感じは無く、ゆっくりとながらペースをくずさず歩くことを心がけた。それでも何度かは休憩を取って一息入れた。やがて大きな雪渓が現れると、そこはもう涸沢ヒュッテは近いようで、涸沢ヒュッテ、涸沢小屋の標識が現れた。雪渓の上を慎重に登って、その雪渓を抜けた所が涸沢ヒュッテだった。時間は12時になっておらず、午前の内に涸沢ヒュッテに着けたのは予定通りながらうれしかった。ヒュッテの展望テラスで一休みとする。真っ青な空と岩稜の峰が並んでいる。説明板があり、左から前穂、奥穂、涸沢、北穂と総て見えていることが分かった。陽射しは強かったが日陰はすっと涼しく、まさに高山ならではの空気感だった。テント場を見るとキャパシティの1/4も張られておらず、好きな所に張れそうだった。落ち着いたところでテント場に下りる。涸沢のテント場と言えば日本でも有数の山岳テント場なのだが、実際に来てみるとけっこう地面の状態が悪かった。いわゆる岩だらけで平らな所が少なく、平らな所も小さな岩がぽつぽつ出ていた。その中でメイン通路に近く一番平らそうな所にテント位置を確保した。テントを張り終えてもテントの中は暑いので、外の岩陰で体を休めることにした。奥穂は目の前にあり、登ろうと思えば登れそうだったがひたすら体を休めることに専念する。そして本を読んで午後の時間を過ごした。午後も2時を過ぎると続々とテント行の登山者が到着して賑やかになってきた。それでも6割方埋まった程度だった。天気は夕方になっても少し雲が増えた程度で、快晴の内に薄暗くなってきた。夕方早めに食事を済ますと、午後の7時前には寝に付いた。夜中に目覚めると、満天の星空だった。 -----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
(8月9日) 朝の目覚めは3時半過ぎ。まだまだ深夜の時間帯だった。朝食を昨夕の残りでそそくさと済ませてテントの外に出た。さほど寒さは感じず、気温は13℃だった。上空の星空を見てさっそく出発する。周囲のテントにはぽつぽつと灯りが見られたが、外に人のいる気配は無かった。山岳補導所の横から始まるパノラマコースを登って行こうと、ヘッドランプを頼りに歩き出した。目印がヘッドランプの灯りに浮かんで、それを追いながら歩いて行く。ところがその先で雪渓が始まっており、そこには目印が見えなかった。これは誤算だった。明るくなるまで待つ気はないので、ほぼ真っ直ぐ歩くことにした。どこで目印が現れるかも知れず、前方を注視しながら歩いて行くが、足元の雪渓が滑り易くそちらにも注意が必要だった。その雪渓を横切って岩場まで着いたとき、心配が現実になった。その一帯に目印が見当たらなかった。少し右へと歩いて行ったがやはり見当たらない。こんな事になるのなら前日に下見をしておくのだったと悔やまれたが仕方がない。一度もどって涸沢小屋からのコースを歩くことも考えたが、落ち着いて岩場の端から丁寧に探ると、漸く目印を見つけた。10分近くはロスをしたように思えた。この間に少し明るくなってきたようだった。暫く岩場を登るとまた雪渓が現れた。ここは雪渓沿いを登るのか横断するのか判断がつかず、まずは雪渓沿いを登って行くことにした。そして少し登ったときに振り返ると、雪渓を横切る踏み跡が朝の薄明かりの中に見えていた。引き返して踏み跡を辿ったが、また時間をロスしてしまった。どうもすんなりと登って行けなかった。ただ渡りきった位置からははっきり目印が付いており、また薄明るくなってヘッドランプの必要は無くなった。漸く安心して登って行けそうだった。少し登った所で一休みする。ちょうど朝日が常念岳の稜線から現れようとしていた。上空には雲一つ無く、前日に続いてこの日も快晴が続きそうだった。但し前日にテント場で聞いた情報では、午後に雷雨があるかもしれなかった。暫く雪渓沿いの登りが続いたが、次第に傾斜が増してきた。そして岩場を登るようになった。目印のままに登って涸沢小屋からのコースと合流した。もう山稜の岩塊が大きく迫っていた。気温は16℃まで上がっていたがまだまだ涼しく、特に休む必要も感じず気持ちよく登って行けた。そのうちに岩肌が荒々しくなって手を使いながら登るようになった。そこがザイテングラードと呼ばれる尾根のようだった。クサリもあったが特に危険な感じは無く、ガシガシと登る感じでずんずん高度を上げて行く。いずれにしても目印を追いながら登っているので、安心した登りだった。そのうちにぽつりぽつりと下山者とすれ違うようになった。時計は5時半を過ぎた辺りなので、山荘で食事を取らずに下山しているようだった。その下山者とすれ違ううちに山稜が間近となり、穂高岳山荘が見えてきた。その見える位置で一息入れて、山荘へと最後の登りにかかった。山荘の前に出たのは6時を過ぎたばかりの時間。テント場を離れて1時間50分なので、雪渓で迷ったことを考えれば順調と言えそうだった。やはり登山は涼しい中を登るに限ると言えた。山荘に着いて奥穂高岳の北面が見上げるようにして眺められた。まだ200mほどを登らなければならない。その奥穂へは山荘のそばから登山道が始まるが、そちらを見ると団体がちょうど登り出したところだった。若い人から中年までのグループで男女が混ざっており、みな大ぶりのザックを背負っていた。その団体の後ろに付くのは嫌なので、山荘の前で小休止とした。まだまだ早朝の時間帯なので、山荘の前には朝の時間をのんびり過ごす人がそこかしこに立っていた。山荘前は東に向かって広く開けており、常念岳から蝶ヶ岳の尾根が朝の光に包まれていた。10分ほどの休憩だったがこれは正解だったようで、始めにあるクサリ場をスムーズに登って行けた。奥穂への登りは始めこそ険しかったが、少し登ると傾斜も緩くなりごく普通のガレ場と言った感じで気楽な登りとなった。この登りとなって西の尾根が現れてきた。一番目に付いたのが笠ヶ岳で、間近にその端正な姿をくっきりと見せていた。その右手には抜戸岳が続いている。ゆっくり登っているつもりだったが、中間地点辺りで団体に追いついた。数人を抜いたとき、どうも団体の雰囲気が違っていた。全体に少しおっとりとした風で、普段に見る登山者と微妙に違っていた。そのとき話す言葉が聞こえてきて、韓国の団体と分かった。何十人といるようだった。今少し抜いたとき南西にジャンダルムが見えて来たので、良く見える位置で一休みとした。そこにいた登山者は日本人で、聞くと穂高岳山荘は連日、韓国からの団体で大賑わいとのことだった。その途中の休憩を入れても穂高岳山荘を離れてから30分ほどで奥穂高岳の山頂に着いた。もう十分に陽は高くなっており、快晴の空が広がっていた。そして山頂は素晴らしい360度の展望地だった。周囲にこの奥穂より高い山は無いとあって、総てを見下ろす感じで眺められた。どの山々もくっきりと見えており、まさに絶好の登山日和だった。この雰囲気にどっぷりと浸かりたいところだが、山頂を占める韓国人パワーが微妙にこちらの気持ちを変化させていた。普通なら見える山々に思いを馳せる登山者の気持ちと言ったようなものが辺りを漂うのだが、韓国の登山者は山頂の山名標識をお互いに持ち合って、山頂に立っていることにただただ熱中しているようだった。それは別に悪いことでは無く、日本人もヨーロッパアルプス辺りで同じ事をしていると思えば納得する思いだったが、空気感にちょっと観光の色合いがあった。その違和感はあったが、まずは快晴の山頂に立てたことを素直に喜んだ。暫くは風景に酔っていたが、この快晴を見て奥穂高岳から北穂高岳への縦走も楽しくなりそうだと思えてくると、なぜかすぐに山頂を離れたくなってしまった。その頃には先ほどの韓国グループは前穂高岳へと向かっていたが、次のグループが着いていた。その賑わいを尻目に奥穂の山頂を離れた。下山では登ってくる人とのすれ違いに苦労するのかと思っていたのだが、時間帯が良かったのかこれが意外と静かだった。前後にちらほら見かける程度だった。最後のクサリ場も人を待つことも無くスムーズだった。そして穂高岳山荘の前に戻り着くと、涸沢から登って来た人がぽつぽつ到着していた。次に向かうは涸沢岳。これは山荘のそばに見上げるようにして立っている。その山頂も見えており、数人が休んでいるのが見えた。さっそく登りにかかる。始めにテント場の横を通ったが、テントは数張りあるだけだった。すぐに岩場の登りとなった。前後に人影を見ないまま山頂が近づき、そこで数人の下山者とすれ違った。山頂に着いたのは登り始めてから20分ほど。まだ朝の涼しさがあって気持ち良く登れたこともあったが、山荘と涸沢岳山頂との標高差は130mほどなので、ごくあっけなく着いたと言えた。その山頂はさほど広くは無かったが、着いたときは無人になっており、どこでも休めることになった。この涸沢岳も展望は素晴らしく、その景色を独り占めすることになった。これから向かう北穂高岳への尾根はただひたすら岩稜が続いていた。一言厳しいと言うしかない。ただ登山コースなのでしっかりと歩けば問題は無いと考えていた。涸沢岳の山頂にいたのは15分ほど。次の登山者が現れたのをしおに山頂を離れた。岩に付けられた目印の白丸を忠実に辿って行くと、小さな二つのピークの前に出た。その二つのピークの間から一気に下りが始まっていた。夫婦連れの登山者が登って来たので、それを待って下りを開始する。もう前後に人影は無かった。同じ岩の世界なのだが、奥穂とは空気感が全然違っていた。奥穂が人の気配を感じる空気なら、こちらはピンと張りつめた透明感があった。その中を一人黙々と下って行く。また痩せ尾根を越して行く。考えればここが本当に北アルプスらしい所で、岩に手をかけ足を踏ん張って登り下りするのは何とも充実感があった。パートナーがいないだけパートナーの遅れを気にすることも無く、全くのマイペースで岩尾根を楽しめた。一息ついたのは最低コルの位置で、ここまでですれ違ったのは5人ほどだったか。相変わらず前方を歩く人は見ず、後ろを振り返っても登る人はいても下ってくる人はいなかった。そのコルで標高は2950mほど。周囲は見上げる岩場ばかりで一人ぽつんといる感じだった。いよいよ北穂高へと登り返しである。目印は適確に付いており、北アルプスの空気感を十分に味わいながら岩尾根を伝った。小さなピークを越しながら徐々に高度を上げて行くと、若い女性が一人座るピークに着いた。そしてその先には多くの人で賑わうピークが見えていた。その賑わう辺りが北穂とは分かったが、現在地はとその女性に聞くと、そこが北穂の南峰だった。どうやら岩稜歩きもほぼ終わったようだった。その南峰より少しくだって涸沢からの一般コースに合流する。このコースに入るとやはり登山者は増えて、北峰への登りの途中にある雪渓では先の人が渡るのを待つこともあった。その雪渓を越してひと登りした所が北峰ピークだった。山頂は狭いながらも平らになっており、奥穂の山頂よりは休むには適しているようだった。そこにざっと見たところ20人以上の人が休んでいた。ここは山頂のそばに山小屋があり、その屋根が山頂の一端に覗いていた。この山頂も展望は素晴らしかった。槍ヶ岳が一段と近くに見えていた。その好展望の北穂だったが、少しの間に急に雲が増えてきた。北東の大天井岳辺りはもう薄暗くなっており、奥穂の空にも黒っぽい雲が現れ出した。そこで少し早いかと思ったが下山に向かうことにした。奥穂からずっと好展望が続いてもう十分に風景を楽しんだ思いで北穂を後にした。涸沢へのコースは下る人もおれば登ってくる人もいたが、どちらもちらほらで、ここでもマイペースの下山だった。涸沢のテント場が足元に見えていたが、まだまだ遠かった。その下りを始めて程なく、黒い雲が一気に増えてきた。奥穂を見るとその雲が頂きを隠そうとしていた。これはテント場に戻らぬうちに雨になるのではと思っていると、中程まで下らぬうちに雨が降ってきた。少しぐらい濡れてもと思っていると強い降りになったので、あわてて雨具を着ることになった。この下りは早くテント場に戻りたい思いが強くなっていたこともあり、涸沢までがけっこう長く感じられた。漸くテント場に戻り着いたときは12時を回ってちょうど昼どきになっていた。雨は小降りになっていたものの降り続いており、テントの中で軽めの昼食とした。その昼食時に考えたのはこれからの行動で、予定では明日の朝を待っての下山だったが、バスの最終時間まで6時間近くあることが気持ちを揺らがせた。そして決めたのがこの日のうちに下山することだった。もう十分に穂高を楽しんだ思いであり、このまま天気の悪い午後を過ごすよりも下山することに一気に気持ちが傾いた。ここまでの登山で足は十分にくたびれており、更に5時間以上重いザックを背負うことに多少ためらいはあったが、バスの時間に間に合わなければ徳沢か小梨平でテントを張ればよいと思ったとき、すぐに行動を起こした。小雨の中を適当にテントをたたみ、下山準備を終えたのは12時40分。最終バスまで5時間20分だった。ただ皮肉なことに下山準備を終えた頃には雨は小止みとなって薄日が射してきた。そしてテント場にはどんどん人が到着していた。この日は土曜日でもあり、また会社によってはお盆休暇が始まる所もあるので、前日よりもずっと多くなりそうだった。その考えは当たっているようで、登山道を下り始めると何人もの登山者とすれ違うことになった。団体も多く、この日も韓国の登山グループを多く見た。この人の多さは下山時間に計算しておらず、狭い登山道は登り優先とあって何度も足を止めることになった。そこでその時間を取り戻そうと休まず下ることにした。上空は青空が広がっており、陽射しはけっこう暑かった。やはり午後の行動は少し厳しいものがあった。ただすれ違う登山者は本谷の吊り橋を過ぎるとぐっと減って、ときどきすれ違うだけになった。とにかくすれ違いで遅れ気味になったことが気がかりで、何とかバスの時間に間に合おうと歩をゆるめず歩く。なかなか現れなかった横尾橋を渡って横尾山荘に着いたときは、15時に15分ほどの時間があった。この時間を見て漸くバスに間に合いそうだと思うことが出来た。その横尾山荘でもほんの一息入れただけですぐに歩き出す。その横尾山荘の位置からは山道では無く自然探勝路と呼ばれる平坦で歩き易い道に変わったので、そのまま何事もなく歩いて行けるものと思っていたところ、徳沢園が近づいて天気が変わってきた。また雲が増え出して空が暗くなってきた。そして徳沢園を過ぎて雨が降り出した。今度は雷も伴う大雨だった。漸く間に合うと気が緩んでいたのだが、あわてて雨具を身につけザックを背負い直した。何かザックが一段と重くなったように感じられたが、それだけ足が疲れてきたのだろう。もう後は大雨の中を鈍った足取りで惰性のような歩きを続けた。その大雨が明神館の前を過ぎた頃より弱まり、そして小梨平に着く頃には雨は上がってまた陽が射してきた。本当によく変わる天気だった。もうよろよろと言った感じでバスターミナルに着いたのは17時26分で、最終バスの一つ前のバスに乗れることになった。
午前は快晴の中の軽快な尾根歩き。午後はひたすら重いザックを背負っての下山。そして大雨。何とも変化の多い一日だったが、それにしても朝の4時過ぎから17時半まで長い休憩もとらず、本当に良く歩いたものだと、ちょっと自分に感心しながらバスに乗り込んだ。そして何とも安上がりな奥穂高登山になってしまったことにも感心してしまった。
(2008/9記)(2021/12改訂) |