濃尾平野は関東平野に継ぐ広大な平野だが、その関東平野よりも真っ平らで、名古屋市内には山らしい山は全く見えない。その名古屋に一番近い山となると、北にある犬山市まで出かけなければならない。その犬山市の山も、どれも丘程度の低山になるが、その中にあって入鹿池周辺の本宮山や八曽山、そして市街地に近いこの継鹿尾山がよく知られた山だと言えそうである。
9月は台風シーズンと言われるが、06年9月18日もせっかくの日曜日なのに、台風13号が日本海側を通過しており、その影響で東海地方はフェーン現象が起きていた。朝から既に30℃に近い気温になっており、生暖かい風が強く吹いていた。蒸し暑さもひとしおで、梅雨どきに戻ったのではと思えそうな天気だった。空は朝からどんよりとしており、一雨有りそうな様子なので出かけるのをためらっていたが、次第に明るくなる空を見て、近場の山でもと出かけることにした。そこで目指したのが犬山市街に近い継鹿尾山だった。犬山市と言えばまず犬山城が思い浮かぶが、地図を見ると、犬山城と継鹿尾山はごく近い位置関係であることが分かった。そこでまず犬山城の観光をして、その足で継鹿尾山に向かうことにした。犬山市に入って適当に犬山城に近づくと、すんなりと観光駐車場に着いた。犬山城とは100mも離れていない。犬山城は有名観光地だけに城郭一帯はよく整備されており、蒸し暑さにもかかわらず、観光客の姿は多かった。その犬山城に入って天守閣に登ると、そこは360度の展望台とも言えそうな素晴らしい展望が広がっていた。まず目に付いたのは木曽川を挟んで対岸にある伊木山だったが、北東に継鹿尾山もよく見えていた。目的の山が見えたことでもあり、早速、その継鹿尾山に向かって犬山城から歩き始めた。街中を適当に歩いて名鉄の犬山遊園駅に向かったが、蒸し暑さですぐに大汗となってしまった。犬山遊園駅からは木曽川沿いを走る県道185号線を歩いて継鹿尾山に近づいて行く。その県道185号線には歩道が付いていたが、交通量の多い道で、ハイキングとはほど遠い雰囲気で歩かなければならなかった。その県道を氷室交差点で離れたときは、思わずほっとさせられた。そこから継鹿尾山へと山中に向かって行く。継鹿尾山の中腹には名刹の寂光院(別称・継鹿尾観音)があり、継鹿尾山への道は寂光院を抜けた先にある。そのため寂光院までまだ車道を歩くのかと覚悟していたところ、車道とは別に遊歩道の通じていることが分かった。しかも東海自然歩道とあって木立に囲まれた程よい雰囲気の道になっていた。その遊歩道で寂光院に着くと、本堂まで長い石段が続いていた。その石段を登って本堂に着くと、そこは思っていた以上に有名地らしく、多くの参拝者が訪れていた。その本堂から東を望むと、山頂がさほど離れず見えていた。その山頂までの道は分からなかったが、寺域の一番高い所を目指して行くと、自然と登山道につながっていた。その登山道も東海自然歩道とあって、良く整備された歩き易い道で、のどかな雰囲気が漂っていた。寺域を抜けたことで、すっかり人気は無くなっており、漸くハイキング気分となって登って行けた。ただ20分も歩けば山頂だった。そこは三角点周りは裸地になっており、少し離れて展望休憩舎が建っていた。早速、その展望台に立ってみると、そこは涼しげな風が通っており、蒸し暑さに少しまいっていた体には、何とも快いものだった。そして展望台とあって、そこからは濃尾平野が一望だった。あいにくのモヤの強い視界で遠方は霞んでいたが、それでも木曽川の流れを見ながら、この地で繰り広げられた戦国の争乱に思いをはせることが出来た。暫しその思いにふけっていると、この継鹿尾山の山頂に立ったことで十分に満足する思いとなり、後は東へと続く東海自然歩道を歩いてふもとへと下りて行った。そして名鉄・善師野駅へと向かい、電車で犬山遊園駅へ戻った。後はまた暑さの中、汗をかきかき犬山城の駐車場へと戻った。終日蒸し暑い日だったが、その中を観光とハイキングの両方を楽しむことが出来たのは良かった。
(2006/11記)(2010/11改訂)(2020/7改訂2) |