司馬遼太郎の「国盗り物語」の前編は斎藤道三が主役だが、その斎藤道三の城として出てくるのが、この金華山にある岐阜城だった。自然の要害にある難攻不落の城として書かれていた。その城山として選ばれただけに、金華山自体は300mを越すだけの小さな山なのだが、岐阜市はもとより濃尾平野一円からも、その目立つことは随一の山と言っても過言ではないように思われる。山の形も急峻な姿で特徴があるが、何と言っても山頂の岐阜城がアクセントとなっている。岐阜市に近づくときはこの山を目標とするし、東海北陸道を走っているときは、この山を見て岐阜市のそばを通過していることを意識している。また美濃の山に登ったおりはこの金華山を確認してから回りの山に目を移すのを常としている。この金華山は山上の岐阜城へと山麓からロープウェイが通じており、岐阜市観光の人気スポットになっているが、ハイキングの視点かも十分に楽しめる所になっている。岐阜の市街地の間近にあって深い森を作っており、幾つものハイキングコースがあって、四季を問わず常に多くの人で賑わっている。
この金華山を訪れたのは、2006年の真夏の日だった。この日の東海の天気はすっきりとしておらず、北部は雨模様で南部のみが晴れだった。そこで名古屋近郊のハイキングを考えて、思い付いたのが一度は訪れようと考えていた金華山だった。その金華山を目標に国道22号線を走り、国道156号線に入って金華山の尾根を迂回した所で長良川の左岸道路に出た。そして金華山を見ながら西へと走り、金華山トンネルを抜けて、北西麓の岐阜公園のそばに出た。その辺りを適当に走っていると、河川敷に駐車場が見えたので、そこに駐車とした。まだ朝の9時だったが気温は30℃に迫ろうとしており、強い陽射しだけで無くもうけっこうな蒸し暑さになっていた。その中を岐阜公園へと歩き出した。護国神社のそばを通って日中友好庭園に入り、遊歩道を南へと高い方向へ歩いて行くと、階段道となり自然と登山道へと変わった。その登山道が程なく「めい想の小径」コースと「馬ノ背」コースに分かれることになった。そこは最短距離で山頂に立とうと、馬ノ背コースに向かうことにした。山頂から西に真っ直ぐ延びる尾根を一気に登るコースである。暑い季節に思いっきり汗をかいて登ろうとの考えだったが、岩場の急坂続きとあってたちまち大汗となってしまった。そして蒸し暑さにすぐに体がだるくなって、またたく間に歩度が鈍って来た。この季節にこのコースを登る人は少ないのか、前後に人を見かけないまま登っていると、中腹辺りで高校生の集団が下に見えたかと思うと、あっと言う間に追い抜かれてしまった。若さには全くかなわないものである。それでも急坂を遅いながらも休まずに登り続けると、30分ほどで山上に出た。もうそこは観光コースで遊歩道になっており、点々とベンチが置かれていた。そして大勢の観光客が岐阜城へと向かっていた。その山上に出て何よりも有り難がったのは、そこに涼しい風が通っていたことで、ベンチに座って暫し体の火照りを鎮めることにした。そしてひと息着けたところで岐阜城へと向かった。そこまで来ると登山は終わって観光だった。入場料200円を払って天守閣へと入った。一級の資料、展示品を眺めながら最上階に上がると、そこは最高の展望台だった。遠方こそきついモヤのため全く見えていなかったが、近くはあまねく眺められた。山の部分を除くと周囲はすっかり市街地で、この金華山がいかに街中にあるかが実感出来た。またその展望だけで無く、天守閣の最上階は一段と涼しい風が通っており、最上の避暑地でもあった。金華山の下山はコースを変えて、めい想の小径コースを下ることにした。こちらは始め北へと、長良川に向かって下って行った。木陰の多い優しげな道で、少し緩やかなこともあって大勢のハイカーとすれ違った。真夏の季節でも市民に親しまれている山であることを改めて知ることになった。麓が近づくと山腹を巻く道となり北から西へと迂回した。馬ノ背コースと合流すると、後は往路と同じ道を辿って駐車地点へと戻って行った。市街地の間近にあって厳しいコース、優しげなコースと色々なハイキングコースがあり、山上に出ると歴史を顧みながらの展望が広がっている。金華山は市街地の山として一級の面白さがあった。
(2006/11記)(2018/4改訂)(2022/2写真改訂) |