岐阜県を流れる大河と言えば、木曽川と長良川が有名で、次いで揖斐川かと言えそうだが、その揖斐川は岐阜と福井の県境に位置する冠山を源とし、山間部を抜けた後は濃尾平野の西部を流れ、最後は長良川と合流して伊勢湾に流れ込んでいる。その揖斐川が池田町を流れるとき、西岸に大きく盛り上がったどっしりとした山容の山が望まれる。それが町名にもなっている池田山である。この池田山の東麓には桜の名所で知られる霞間ヶ渓(かまがけい)があり、そこから山頂までハイキングコースが続いているが、地図をよく見ると標高800メートルの地点に池田の森公園があり、そこまで車道が通じている。車道はその先も林道となって、頂上直下を通っている。どうやら池田山は麓から登る山と言うよりも、山上まで車で移動して、そこからごく簡単にハイキングを楽しめる山のようだった。その池田山をじっくり登ろうと、麓の霞間ヶ渓から登ることにした。向かったのは2006年8月の最終日曜日のことだった。
揖斐川の西岸道路を北上して池田町に入ると、池田山はもう間近に見えていた。その池田山へ向かって車を適当に近づけて行った。それにしてもこの日の空はモヤが非常に強く、この夏一番と言いたいほどきついものだった。近くの山も薄ぼんやりとしか見えておらず、遠くはすっかりモヤに溶け込んでいた。ただ雨が降り出しそうな空では無く、ただ単に水分を多く含んだ空のようだった。池田山が近づくと、その山裾を走る道路に出会い、その道路を走って行くと、駐車場やトイレの建物が目に付いた。そこが目的の霞間ヶ渓で、駐車場のそばには遊歩道が見えていた。その遊歩道は東海自然歩道になっており、そのまま山頂へと続くようなので、身支度を手早く済ませると早速ハイキングを開始した。始めは丸太の階段道だったが、階段道が終わると道はつづら折れの道となり、少し荒れた道へと変わった。小石が多くあり、気楽に歩ける風では無くなった。また登山道は終始木々に囲まれており、少し単調さの感じられる登りだった。その樹林帯の登りを1時間ほど続けた頃に、車道に出会った。そこは、「池田の森」公園の一角で、周囲が急に開けて山頂方向が見えていた。その車道のそばで一息入れたのだが、その僅かな時間に数台の車が通過しており、車の往来が多いように思えた。その車道とは別に、登山道は尾根に続いていた。程なく焼石神社に着き、神社のそばを抜けると、駐車場のそばに出た。そこは公園の中心部なのか、公園を示す石碑が建っていた。公園の駐車場には多くの車が止まっており、公園内の芝地から周りを眺めると、ハングライダーが幾つも並んでいるのが見えた。どうやら公園はハングライダーの基地にもなっているようだった。公園から山頂方向に車道が延びていたが、その車道とは別に東海自然歩道は尾根上に続いていたので、当然尾根道を歩いて行った。その尾根道は樹林に囲まれた笹原の中を続いており、電波塔のそばを抜ける頃より、優しげな小径と言った風情となって、漸く東海自然歩道を歩いている雰囲気となった。ときおり平行する林道がそばに現れたが、あくまでも自然歩道歩きを続けて行くと、林道の分岐点に出た。そこは峠の雰囲気があり、小さな茶屋(山楽園)まであった。そこで自然歩道は林道を越して北へと大きく曲がり、最後の登りとなった。優しげな小径の風情は続いており、そのままに程なく山頂に着いた。そしてそこに見たのはガイドブック(名古屋周辺の山)には載っていなかった大きな展望台だった。山頂は単なる三角点のある場所とだけ思っていただけに、これには驚かされた。さっそく展望台に上がってみた。一気に視野が広がったが、残念なことにこの日の空はこれ以上は無いと思えるほどのモヤの強い空で、近くの尾根がかろうじて眺められるだけで、遠くは全く見えていなかった。視界の良い日は揖斐川の風景が一望ではと想像するしかなかった。ただその展望台には真夏には有り難い涼しい風が吹いており、モヤのために柔らかくなった陽射しが快く、また丸太で作られた展望台は裸足になると、足裏にその暖かさが優しく伝わってきた。視界には恵まれなかったが、この快適さを味わいながら、憩いの時を過ごした。そして、次は視界の良い日にまた訪れたいとの思いを抱いて山頂を後にした。往路をひたすら辿っての下山だった。
(2007/1記)(2022/2写真改訂) |