◆ TAJI&HM の 兵庫の山めぐり <岐阜県の山> ★ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日永岳 ひながだけ | 1215.6m | 関市(岐阜県) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1/2.5万地図 : 下大須 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【2006年11月】 | 2006-80(TAJI) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
南西向かいの尾根より 2006 / 11 |
岐阜県の美濃地方で山深い地域と言えば奥美濃と言う言葉が浮かんでくるが、その奥美濃としては郡上市を指すようである。地理的にも美濃の最奥部だが、実際のアプローチは東海北陸自動車道のおかげで、距離としては遠方にもかかわらず比較的楽だと言えそうだ。それに反して美濃の北西部、いわゆる福井県に接する地域は、距離としては名古屋に比較的近く、また山としても奥美濃と比べればさほど高い山は無く、最高峰でも能郷白山が1600mを越えている程度である。しかし高速道の恩恵が無いため、国道、県道を延々と走って行かなければならない山が多くあり、むしろこちらの地域に山深さを感じることになる。この日永岳もその一つで、その山深さに惹かれて向かったのは2006年11月3日、文化の日だった。 山県市内を走る国道418号線を谷合で離れて、北に延びる県道200号線を走って行った。この県道は山深さを感じさせる道で、かなり走ったと思われた頃に着いたのが神崎集落だった。その神崎集落には朝モヤが漂っており、西の空には舟伏山が平らな山頂を見せていた。その神崎集落から日永岳の南麓にある仲越集落までは、更に同じだけの距離を走る必要があった。県道は途中からは車1台分の幅しかなくなり、林道と言ってもよいほどで、ひたすら神崎川に沿って続いていた。朝の早い時間帯とあってすれ違う車も無く、まずは無難に仲越集落に着いた。集落の名こそ地図にあるものの実際は数軒しかなく、それも人の気配は無かった。その先は未舗装の林道となって川沿いに更に続いていたが、入口には工事中のため進入禁止と標識があった。そこで林道の入口にあった空き地に車を止めようかと思ったが、林道の途中に止めても問題は無さそうに思えたので今少し林道を走ってみることにした。すると1kmほど先で、見事に道は無くなっていた。土砂災害で流されたようで、まさに復旧工事が行われていた。もう進みようもなく、少し戻って広い路肩部に駐車とした。歩き始めたのは8時にならない時間だったが、工事現場ではもう人が立っており作業を始めようとしていた。その作業現場に架けられた仮り橋を渡って通り過ぎる。その先で林道が真っ直ぐの方向と、橋を渡って左手に向かう方向との二手に分かれていた。その橋に赤い矢印があって、日永岳の文字も見られた。矢印は橋を渡る方向を指しており、それに従って左の林道へと入った。工事現場を足下に見ながら登って行くと、次第に林道は荒れてきたが30分ほどで林道終点に着いた。そこから登山道が始まるはずなのに、そこに見たのは踏み跡程度の小径で、標識も無くどうも登山道とは言えなかった。それでも矢印に従って歩いて来たという思いがあったので、沢沿いに続くその小径を歩き出すことにした。するとすぐに小径は消えてしまった。正しい道が他に有ったのだろうかといぶかったが、どうせ尾根には道が付いているだろうと近くの山肌を適当に登って行くと、尾根に出た所で思い通りに小径に出会った。もう一安心で、道なりに登って行くことにした。ところがその道も程なく不確かになって来た。そこで漸くガイドブックと磁石を取り出した。何とも遅いことだったが、矢印のままに来たとの思いが強かったため、このときまでコースを疑っていなかったのだから仕方が無い。登山道が正しい道なら真っ直ぐ北に向かっているはずだったが、今歩く尾根は北西へと向かっていた。どうもおかしいと思いながらも、ともかく主稜に出ることにした。すると灌木やらクマザサが茂り出して、ヤブコギ状態になってしまった。それでもかまわず登って行くと、主稜に何とか出ることが出来た。その辺りは木々が空いており漸く歩き易くなった。また木々は紅葉が始まっており、それが日に照らされて落ち着いた風景を作っていた。その良い雰囲気のままに歩いて行くと、北の方向に展望が現れた。そして見えたのが、山頂が丸く両翼を張った姿の良い山で、青空の下に堂々と聳えていた。もうそれが日永岳だと直感した。その日永岳は北東に見えており、ガイドブックの地図と照らし合わせて、全く違った林道を歩いてしまったことがこれではっきりとした。それにしても日永岳の何と遠くに見えることだろう。その距離をこれから詰めるのは少し絶望的ではと思えて一度は戻ることも考えたが、時間はこの時点でまだ9時半を過ぎたところだった。それに日永岳までは尾根が続いていると思えたので、離れてはいるものの尾根伝いで向かうことにした。ところが地形図を待っていないため視覚とおおよその勘を頼るしかなく、そのため緩やかに下る尾根に入ってしまった。結局一度谷に下りて登り返すことになってしまった。200mほど下って250mほど登り返したが、再び尾根上で見えたのは、ほとんど近づいていない日永岳だった。ただ日永岳が見えたことで進む方角が分かり、尾根を辿れば近づくことだけははっきりしていた。もうひたすら尾根を辿って行くのみで、幸い尾根には踏み跡程度の道があって、その道なりに登って行けた。その尾根が登るほどに厳しくなって来た。灌木が茂り出して、何度か停滞させられ、そのうちに小径もはっきりしなくなった。更に灌木にクマザサが混じり出して一段と厳しくなって来た。尾根の紅葉は進んでいたが、眺めている余裕など無かった。それでも何とか日永岳の西隣となる1156mピークに着いた。そしてその先に更なる苦労が待っていた。鞍部まで50mほど下るのだが、そこがびっしりとネマガリダケのジャングルになっていたのだった。もう体全体でネマガリダケを押し分けないと進めなかった。一気に歩度が落ちて、いつ日永岳に着けるのかと不安になって来た。それでもそのネマガリダケとの格闘は兵庫のヤブ山で何度となく経験しているので、気持ちの上でパニックにはならず、ただ自分の置かれている状況の不運を嘆くだけだった。鞍部を過ぎると、ネマガリダケはときおりクマザサに替わることがあったが、厳しさには変わり無く、歩度が上がることもなかった。その登り返しで南の方向に展望が開けてきた。そしてそこに見えたのは尾根が重畳とする風景で、その中で山頂が長く平らになった山が近くに見えていた。どうやら舟伏山と思われた。その風景を慰めに遅々とながらも上を目指して行く。そして行く手に日永岳山頂の反射板が見えて来た。その反射板はさほど遠くは無いのだが、クマザサがそこまでびっしりと茂っており、なかなか近づかない。本当にいつになったら着けるものかと不安になり出したのは、山頂とほぼ同じ高さまで達した辺りで、そのとき時計を見ると13時を回ろうとしていた。そしてその直後だった。いきなり登山道に出会った。登山道のことなど頭の中から消えていたため、もう本当に唐突な出会いだった。その登山道はクマザサの中を山頂へと向かっており、歩き始めると、あっと言う間に山頂に着いてしまった。林道を離れてから5時間ほどかかっての山頂到着だった。三等三角点のある山頂は反射板を過ぎた所にあり、狭いながらも木々は少なく明るく開けていた。おもわず三角点のそばにあった岩に腰掛けたが、気が抜けるとはこのことで、その山頂のあっけらかんとした明るさをただ呆然と眺めていた。山頂には先着者が一人いたが、すぐに下山したため、後はただ一人の世界となった。呆然状態も時間が経つに連れて人心地がついて、漸く周囲を眺められるようになった。そしてそこに見えたのは紅葉に燃える尾根の風景だった。その尾根がどこまでも続いて、遠くはモヤに溶け込んでいた。山深さを味わいに来たのだが、まさに奥深い所にいることを実感させる眺望に浸ることが出来た。下山は、もちろん登山ルートを歩いた。ハシゴやロープがあってけっこう険しい所もあったが、それは登山道があっての険しさで、ヤブ漕ぎルートとは別次元だった。もう急坂が厳しいだの、足下が危ないなど一切関係なく、ただただ登山道の有り難さ、便利さをかみしめながら、戻って行った。ところで、なぜ林道を間違ってしまったのかは歩いているときにずっと頭を過ぎる疑問だったが、林道の分岐点に戻って来たときに判明した。左の方向を示す矢印には「尾根」の文字が続いており、その隣に書かれていた日永岳の文字の横には真っ直ぐの方向を示す矢印が薄れて書かれていた。もう完全な見落としをしていたわけである。その文字を眺めていると、尾根で眺めた日永岳の明るく輝く姿が思い浮かんできた。 (2006/11記)(2010/7改訂)(2022/4写真改訂) |
<登山日> | 2006年11月3日 | 7:43スタート/8:16間違えた林道の終点に着く/9:30主稜線に出る/10:15谷間に下り着く/12:07西隣のピーク/13:06〜52山頂/14:45林道終点/15:07林道分岐点/15:16エンド。 | |
(天気) | 快晴の空。但し好天が続いていたため、少し濁っていた。気温は朝で10℃近くあり、寒さは感じない。風も無し。昼には17℃まで上がる。昼になって雲が増えてきたが、穏やかな天気に変わりなし。視界は少しモヤが強く、遠方はうっすらとしていた。 | ||
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