沢口山は静岡県の大井川上流にあり、寸又峡温泉を起点に登れる山で、寸又三山の一峰に数えられている。他の二山は朝日岳と前黒法師岳を指しており、この中で朝日岳が以前から気になっていた。南アルプス深南部とも言える地域にありながら寸又峡温泉から日帰りで登れる山であり、何より標高差1400mをじっくり登れるのが面白そうだった。2010年9月は敬老の日を入れて18日から3連休となったので、この休みを利用して数年来の念願だった朝日岳を目指すことにした。目的は朝日岳だったが、移動日の17日も軽い山に登ってみたいと考えて、寸又三山の中で一番易しいと言われる沢口山を目指すことにしたものである。
17日は早朝4時に自宅を離れても登山は可能と考えたが、3時までには出ることにした。それが気持ちが高ぶっていたのか、2時前には目覚めてしまった。そこでそのまま出発することにした。17日はまだ平日とあって高速道はごくスムーズで、山陽道、中国道、名神、新名神、伊勢湾岸道、東名と順調に走って、薄明るさの出てきた中で浜名湖SAに着いた。そこで朝食を済ますと、相良牧之原ICで高速道を離れた。後は国道473号線をひたすら北上した。朝の通勤時間帯と言えども、市街地からは離れる方向なので車道は空いており、ごくあっさりと川根本町に入った。いつの間にか県道を走っていたが、どの道路を走っているのかは気にせず、ただ寸又峡温泉の案内標識を追って北上した。千頭で川根大橋を渡るとき、快晴の空にすっくと立つ朝日岳が望まれて、いよいよ寸又三山に近づいていることを意識させられた。奥泉を過ぎると車道はぐっと細くなり、車一台分の幅となった。慎重に走って朝日トンネルを越えると、その先が下り坂となって寸又峡温泉へと近づいた。温泉の入口には広い駐車場があり、平日の朝とあって数台が止まっているだけだった。清々しい空気の中、登山準備を済ませると、朝の光があふれる温泉街へと歩き出した。ガイドブックによると温泉街を抜けた先に登山口があるようだったが、温泉街を歩いている途中で、左手の山際に登山口への案内標識を見た。ガイドブックには載っていない猿並平コースの登山口への案内だった。この日は日向山コースで登る予定だったが、その猿並平コースを歩けば周回で沢口山を楽しめそうだった。そこで往路は猿並平コースを登ることにした。山裾道はときおり朝日が木立を通して届くだけで、薄暗い中を歩くことが多かった。ほぼ平坦なまま南東へと歩いて行った。山裾道はぬかるんだ所もあったが、5、6分歩くと登山口が現れた。そこから尾根へとつづら折れで小径が始まったが、このとき足に何かがひっついている感じがした。見ると山ヒルが2匹貼り付いていた。靴にも何匹かひっついていた。パートナーも一匹貼り付かれていた。どうもここはヒル山のようだった。スパッツの準備をしていなかったので、足下に注意しながら登るしかなかった。そこでときおり足下を見ていると、何回かに1回は靴に貼り付いていたので、生息数は多いようだった。暫くはまだ薄暗い植林地内を登っていたが、尾根が近づいて漸く朝日が当たり出した。そして尾根に出てからはすっかり明るい中を歩けるようになった。その尾根を歩いていると、右手に木々を通して三角錐の姿の良い山が見えたので、一瞬朝日岳かと思ったが、方角と近く見えることから、前黒法師岳かと思われた。程なく送電塔に着くと、そこからも前黒法師岳が見えており、一息入れることにした。足下を見るとやはり山ヒルが靴に付いていた。その先はひたすら南西から西へと続く尾根を登って行った。尾根は植林が主体で、あまり風情は感じられず、マイナーコースと言えそうだった。尾根はややきつめの傾斜で続き、ただ黙々と登るのみ。途中に「盤台跡展望所」があったが、東の方向に見える尾根が少し望めるだけだった。単調な登りが続くため、何時になったらメインコースに合流するのかと思い出した頃、漸く周囲は自然林へと変わってきて、風景が和んできた。その雰囲気となった先で北からの尾根と合流した。その尾根に出て北への展望が木々を通して眺められるようになると、そこに前黒法師岳が覗いていた。今少し見えるかと思っていると、一度どんとばかりに北の展望が開けて、深南部の山々が一望出来たのは良かった。その先は緩やかな尾根となり、次に現れたのが「富士見平展望所」の標識だった。なるほど東の方向に展望があり、富士山が見えるかと目を凝らすと、雲の中から山頂を覗かせている富士の姿が確認出来た。富士を見て漸く静岡の山を登っている実感を持てた。その展望所の位置より少し登った所が富士見平で、そこで日向山コースと合流した。そこは標高1276mで、山頂までの標高差は150mだった。もう登山道はゆったりとした幅で緩やかに続いており、メジャーコースに入ったことがはっきりした。周囲の木々にはまだ植林が見られたが、歩くうちに自然林に囲まれるようになった。木々を抜ける風が爽やかだった。緩く登って緩く下ると、湿地があって、「鹿のヌタ場」と標識が立っていた。もう森の中を歩いている雰囲気で、ブナやシラビソを見ながら歩を進めた。尾根の傾斜が少しきつくなると丸太の階段道が現れ、そこを登りきると、西からの尾根に合流した。そこから南東へ緩く登った所が山頂だった。山頂は周囲を雑木に囲まれながらも適度に開けていた。近くに屋根の付いた簡単な休憩舎も見えていた。そちらへと歩いて行くと、そのそばに広く開けた所が現れた。ベンチがあり展望図も置かれて、どうみても沢口山で一番の展望所だった。そこに移動して休憩とした。そこに立ってまず目に飛び込んできたのは、三角錐の端正な姿を見せる朝日岳だった。登る途中で見えたどの山もすっきりと見えていたので、当然山頂からの展望も良いものと思っていたのだが、朝日岳方向の上空には雲が広がっており、朝日岳は山頂をガス雲に隠されていた。ただ僅かに隠されているだけだったので、ときに山頂が現れることもあった。この朝日岳を含めて南アルプス南部、深南部の山並みが一望だった。そして展望図があったので、山座同定が易しかったのは有り難かった。大無間山は雲の中だったが、光岳、加加森山、池口岳はすっきりと姿を見せていた。展望図を見ると、この山頂からも富士山は見えるとのことだったが、東の空は雲が多く、漸く確認出来た富士は、頂の一部をちらりと見せているだけだった。休憩しているうちに展望が良くなればと、ひとまず昼食タイムとした。その昼食を終えても雲の様子は変わらず、むしろ増えているようにさえ思えた。この日は高根本町で宿をとっていたので、山頂で長居をするのは問題無く、風の涼しいこともあってじっくり休むことにした。パートナーは陽当たりの良い反射板のそばで昼寝をしてしまった。こちらもうつらうつらと爽やかな山頂を楽しんでいると、13時もいつの間にか回って、結局1時間と40分ばかりを山頂で過ごしてしまった。この間に二人ほどハイカーが山頂に着いたが、僅かな休憩で下山していたので、ほぼパートナーと二人きりで山頂を楽しんだことになる。下山は予定通りメインコースの日向山コースを下ることにした。富士見平までは往路を戻ることになるが、その富士見平の展望所で改めて富士の姿を求めたものの、すっかり雲に隠されていた。日向山コースの下りは自然林が多く、風情は猿並平コースよりも数段上ではと思えたが、道には小石が多くあったり露岩があったり、また斜度もきつい所があったりして、決して歩き易いとは言えなかった。また展望も良いとは言えなかった。足下に注意しながら、周囲の森の雰囲気を楽しみとしてゆっくりと下った。テレビアンテナの立つ位置を過ぎると、東の斜面を下るようになった。下るうちに周囲は植林の風景となり、森の雰囲気は消えていた。その辺りはつづら折れになっており、どんどん下って行くと、大きな案内板の立つ登山口に下り着いた。位置としては温泉街の外れだった。この下山でも山ヒルを注意して足下に気を配っていたが、下山では山ヒルを見ることは無かった。温泉街は金曜日の午後とあって少し賑わいが出てきており、その中をそぞろ歩きで駐車地点へと戻って行った。
(2010/10記)(2021/8改訂) |