福井の山を考えたとき、日本百名山に選ばれているのは荒島岳一つ。二百名山にしても能郷白山のみとなるが、若丹山地に加越山地、越美山地と、山登りとして魅力的な山域があって、機会を作って訪れたくなる県である。2010年8月の月遅れ盆の翌週は、例年なら二泊三日程度の山行を計画するのだが、仕事の関係で一泊二日にせざるを得なくなった。そこで比較的近い地域に出かけようと、福井の山で考えることにした。山域としては一番興味をそそる加越山地にすることにした。その加越の山から選んだのが、経ヶ岳と大長山だった。まず大長山を初日に登ろうと考えて、大長山について調べてみた。すると残念なことに大長山の小原林道が工事中で、日曜日以外は林道終点の登山口まで車を進められないことが分かった。それなら大長山に代わる山として決めたのが赤兎山だった。本当は選ぶ段階で大長山よりも山頂の湿原風景が魅力的な赤兎山に気持ちが傾いていたのだが、小原林道終点からのコースは大長山に比べて簡単過ぎるように思えて、加越山地の最高峰である大長山を選んだものである。赤兎山に決めると、その登山コースを小原林道コース以外から求めることになるが、それは南麓の鳩ヶ湯からのコースとなる。新・分県登山ガイドの「福井県の山」では下山のコースとして紹介されており、その下山時間は130分なので、登りとして考えると2時間半ほどで登れそうで、まずは手頃な時間と思えた。林道を車で走れば、今少し時間は短縮出来そうだった。また勝手な想像ながら、赤兎の名から登山コースが何となく優しげに感じられた。
向かったのは2010年8月20日の金曜日のこと。平日なので、有給休暇をとっていた。姫路市内の自宅を離れたのはまだ未明の3時40分。高速道が千円になる特別割引の対象外の日でもあるので、深夜割引を利用しようと考えたのと、登山口には9時台に着きたいと考えてのことだった。平日の夜の高速道はトラックの世界だった。但し昼間と比べると台数は少なく、ごくスムーズな走行だった。5時を回って周囲が見えてくると、どうも空がすっきりとしていなかった。形のはっきりしないガス状の雲が浮かんでおり、青空はほとんど分からなかった。曇り空では無かったが、濁った空と表現したくなった。それでも北陸道に入って北上するに従って、淡い青空が広がり出した。福井ICを下りて国道158号線を東進する。福井市街から離れる方向なので、そこでもスムーズに走れて大野市内に入った。国道158号線をそのまま走って九頭竜湖方向を目指すと、勝原集落で県道173号線が左手に分かれた。その県道に入ると後は打波川沿いをひたすら走って行くだけだった。鳩ヶ湯温泉まで8kmと標識に書かれていた。いたって車の少ない県道で、2、3台とすれ違っただけで鳩ヶ湯温泉に着いた。ガイド本ではその先から始まる林道で登山道の始まる登山口まで行けるとなっていたが、その林道を見ると入口にクサリが張られていた。また相当荒れているように見えたので、鳩ヶ湯温泉のそばにある登山口から歩き出すことにした。車はその登山口のそばの路肩スペースに駐車とした。最初に鉄階段を登り出すと、そこに立っていた標識を見て、少し困惑した。山頂まで8kmと書かれていた。どんなに遅くとも3時間程度で山頂に立てるのではと考えていたのだが、2kmを1時間で歩くとしても、4時間かかることになり、往復だと7〜8時間になってしまい、これはちょっと厳しいコースと言えた。ガイド本では時間がかかるようには書かれていなかったので、ひょっとして易しいコースかもしれないと思うことにした。階段の先は普通の山道で、すぐに林道に出た。林道はジグザグ道で続いており、始めは轍が大きく掘れている所もあったので荒れ道かと思っていたが、途中からはコンクリート舗装も現れて、特に悪い道とも思えなかった。ただこの日は気温こそ高く無いものの湿度は高く、その上風が無いとあって、この林道歩きだけでけっこう汗をかいた。急坂が一部であったものの林道なので歩くのは問題なく、鳩ヶ湯の登山口から30分ほどで登山道の起点に着いた。雑木の斜面を登り出すと、木陰の中を登るためか、気温は24℃まで下がってきた。ただ相変わらず風は無く蒸す感じは変わらなかった。周囲からミンミンゼミの声がかしましく聞こえていた。小さな沢を渡って北の方向へと歩いて行くと、緩やかな所を歩くようになった。一帯は植林地で、ごく気楽に歩いて行けた。この感じなら登山時間は短いのではと思えたりもした。それが左側から沢音が聞こえるようになり、山襞に沿って歩くようになると、道の様子が変わってきた。道幅が広ければ問題無いのだが、幅が狭い上に斜めになっており、踏ん張りながら体を支えて歩くことになった。また道の崩れた所があったり木の根が這う所があり、また露岩が現れたりと、けっこう足を使わされた。それなのに小さなアップダウンを繰り返して標高が上がらないことに、少し焦りを感じた。その気持ちがある上に更にいやだったのはアブの存在で、こいつがしつこくつきまとった。ときに刺してくるのは何とも煩わしかった。出来るだけ止まらないように歩くしかなかった。最初の目標はたんどう沢を越すことだったが、何度も山襞を回り込むたびに、たんどう沢に向かうのかと思ったのだが、ただ小さな沢を横切るだけだった。それを繰り返すうちに何時たんどう沢に着くのかと心配になってきた。相変わらず歩き難い道で、どうもこのコースは決して易しいコースとは言えず、難路と言うのが正しいようだった。その登山道がはっきり下り坂になって、沢音が大きくなってきた。ようやくたんどう沢に着いときは、鳩ヶ湯登山口から2時間近くが経っていた。この距離をガイド本では70分と書いている。但し下山としての時間だったが。時計は11時が迫っており、当然12時に山頂に立つのは無理と思えた。たんどう沢を越すのが、また一苦労だった。飛び石伝いに渡るのだが、水量が増しているのか、中程の石は濡れていた。そこでストックを支えに何とか渡ったが、パートナーはえらく苦労して、数分かかって渡ることになった。その先もすぐには尾根登りに移らず、まだ山襞を巻くような歩き方が続いた。周囲にブナが見られるようになると、こんな山奥にと思える所にワサビ田が現れた。その先で、漸く尾根を登るようになり、標高を上げることになった。地図を見るとその位置で標高は1100mなので、まだ山頂まで500mほど登らなければならなかった。尾根登りとなって傾斜は増してきた。そこまででけっこう疲れていた足には厳しい登りだった。登山道の周りに見るブナの大木が、気持ちを和らげてくれた。急坂を登りきると1351mピークに出たが、その一帯はなだらかな上にちょっと複雑な地形もしており、登山道が無ければ迷ってしまいそうな所だった。その1351mピークの一角から木々を通して赤兎山の方向が眺められたが、まだまだ遠くに見えており、気分としてはちょっとがっかりする思いだった。1351mピークを越すと、尾根道は緩やかなまま真っ直ぐに続くようになった。これは歩き易くなったと思ったのだが、ぬかるんだ所が多く現れて、やはりマイナー感は否めなかった。ただ道そばにもブナの木が多く現れて、それを見るのは悪くなかった。次第に周囲の高木が減り、灌木やササが増えてきたとき、ぽっかりと前方が開けた。そこに赤兎山がすらりと見えていた。優しげな姿だったが、まだ見上げるようにして眺められたので、地図を見るとその先で急坂があり、山頂までまだ120mほど登るようだった。周囲は灌木になったことで木陰は無くなり、ちょうど晴れ間が広がったことで陽射しを強く受けるようになった。その最後の急坂で、またまた大汗をかいての登りになってしまった。足も止まり気味になったが、山頂に早く着きたい一心で休まず登って行った。周囲はササの風景となり傾斜が緩やかになると、ぽっかりと開けた山頂に出た。さほど広くも無い山頂だったが、そこだけ地肌が広がっており、中央に三角点が立っていた。また方位盤も置かれて、山頂の雰囲気は悪く無かった。それにしても4時間もかかってしまうとは予想外で、しかも決して易しい道では無かった。ほっとするよりも、ただただ漸く着いたの思いだった。そこから更に赤兎平まで歩くのだが、パートナーはすっかりお疲れのようで、山頂でひたすら休みたいと言う。山頂は陽射しを避けるものは無かったが、涼しい風が渡っており、良い感じで休めた。その山頂は周囲はササだけとあって、展望は開けていたのだが、この日はそれを楽しむ訳にはいかなかった。何ともモヤのきつい視界で、近くの山もうっすらとしか見えていなかった。方位盤を頼りにして南西方向の山は経ヶ岳と分かったが、その山頂にはうっすらとガスが漂っていた。北西の方向には尾根道が続いており、そちらは小原峠に続くと思われるが、その先にうっすら見える大きな山は大長山のようだった。あまり展望は楽しめないので、遅い昼食を手早く済ますと、こちらは単独で赤兎平に向かうことにした。その尾根の道は鳩ヶ湯コースと違って、すっかり遊歩道の雰囲気だった。ササの道を少し歩くと、前方が開けて赤兎避難小屋までがすっきりと眺められた。そこまでは緩やかに下って、緩やかに登り返すことになった。その鞍部の辺りが湿原になっており、そこは木道を歩きだった。赤池湿原の名が付いており、小さな池は赤池だった。優しげな風景で、鳩ヶ湯コースの厳しさを忘れさせてくれた。赤い屋根の避難小屋に着くと、てっきり無人だと思っていたのだが、一人の登山者が休んでいた。小原峠コースを歩いてきたとのこと。林道は工事中でも、歩く分には差し支えなかったそうだった。この日は小屋泊まりであることを聞くと、小屋を後にした。再び赤池湿原の風景を眺めて、木道を戻った。往復45分ほどと、短時間の山上散策だったが、赤兎山の良さを十分に分かる思いだった。山頂に戻ると、パートナーはお昼寝モードだった。少しは避難小屋の方向を眺めて、雰囲気の良さは掴んだようだった。下山開始は14時10分。予定より1時間以上遅れていた。足は十分に疲れていたが、往路を引き返すので、コースを知っていることは気が楽だった。その下山では、空が暗くなってきた。一時は雨粒が落ちてきて心配したが、小雨になるまでも無く止んでくれて、その後は青空も見られるようになった。その下山で特筆することは、1351mピークを過ぎて、たんどう谷までの中間点辺りにあったワサビ田でのことだった。ワサビは清流に出来るはずなので、そこに流れる水を飲んでみた。その水が意外な冷たさがあり、また甘みも感じるおいしさで、思わずお腹いっぱい飲んでしまった。さすがにワサビを作る水は違うと感心してしまった。下山のたんどう谷は少し水が減ったのか、飛び石伝いにごく簡単に渡れた。たんどう谷を越すと、もう気分的にはずいぶん楽で、疲れた足もいくぶん軽やかになったように思えた。再度アブに追われるようになったこともあり、どんどん下ると、3時間で鳩ヶ湯の登山口に戻ってきた。その3時間でもガイド本のコースタイムよりもまだまだ遅いので、どうも福井の人の足はかなり速いのではと思えた。鳩ヶ湯コースは結果として、予想とは違ってけっこう厳しいコースだったが、終わってみれば山頂の長閑さ、ブナ林の優しさ、ワサビ田の水のおいしさと楽しめる所もあって、じんわりと登って良かったの想いが湧いてきた。
(2010/9記)(2021/8改訂) |