TAJIHM の 兵庫の山めぐり <大阪奈良県境の山 
 
大和葛城山   やまとかつらぎさん 958.6m 御所市(奈良県)
千早赤坂村(大阪府)
 
1/2.5万地図 : 御所
 
【2020年11月】 2020-186(TAJI&HM)
 
   河南町白木より  2020 / 11

 大和葛城山は遠くから金剛山と並ぶ姿で眺められてなかなか存在感のある山だが、山頂へは奈良県側から葛城山ロープウェイが付いており登山対象の山とは見ていなかった。その大和葛城山に向かったのは金剛山登山から20年経った2020年11月のことだった。その11月に入ったとき、どうも大阪府の山にはほとんど登っていないことに気付いて、久々に大阪府内の山を登ることにした。「分県登山ガイド・大阪府の山」を開いて、真っ先に登りたい山として決めたのは岩湧山だった。どうせなら一泊して翌日も登山をしようと思い、二番目の山として選んだのが大和葛城山だった。理由は大阪府の最高峰であることと、弘川寺からのコースなら標高差800mをじっくり楽しめると思ったからだった。
 11月10日に快晴の岩湧山を楽しむと、その夜はGOTOトラベルを利用して富田林市の旅館で一夜を過ごした。翌11日も朝の空は快晴だった。但し前日よりも少し雲が出ていた。登山口のある弘川寺に着いたのは9時過ぎのこと。駐車場は何カ所かあり、最奥の駐車場に車を止めた。そばにはトイレも建っていた。少し心配になっていたのは上空に雲が増えてきていたことだったが、天気予報では終日晴れとなっていたので、悪くなる心配は無いと考えて登山開始とした。その弘川寺からのコースは地形図では破線路が多過ぎて、どの破線路が登山コースなのか判然としなかったが、いざ歩き出すと道標があり分かり易いコースだった。始めはコンクリート舗装の作業道歩きだった。右手に棚田が広がることがあり、農道とも呼べそうだった。ただ棚田の多くは耕作放棄地になっており、自然に戻ろうとしていた。途中で現れた標識では、作業道は管理道路とされていた。山中に入っても管理道路はやや急傾斜で続いたが、終点の位置まで歩くと、そこから登山道に入ることになった。そこにあった標識には葛城山の名は無く、弘川城址が示されていた。登山道は始めは上り坂だったが、途中から緩やかになって巻き道となった。その一部は笹が茂っていたが、すぐに歩き易くなった。弘川城址が現れるものと思っていると、知らぬ間に通り過ぎたようで、道幅が広くなった先でウスイ谷林道に合流した。その林道の支線に入って、後はずっと林道歩きだった。山頂へと向かって行くが、途中にゲートがあって一般車は山頂には行けないようだった。心配になっていたのは空模様で、山道を歩き出す頃はまだ陽射しはあったのだが、林道に入る頃にはすっかり曇り空になっていた。ガス状の雲で、一部は薄黒かった。林道は傾斜のきつい所もあり、易しく歩くと言う感じではなかった。周囲は自然林もあれば植林地もありで、自然林の紅葉はまだ五分程度の進み具合かと思えた。薄暗いままに山頂に近づいていると、大きな電波塔のそばに出た。そこまで来れば山頂の一端に着いたと言えそうだった。そこに来て気付いたのは上空に青空が見られ出したことで、その青空は広がろうとしていた。まだ林道歩きだったが、もう上り坂では無かった。電波塔の位置から8分ほどでロープウェイの山上駅から来ている遊歩道に合流した。ハイカーがあちらこちらに見られ、子供の声も聞こえた。遊歩道に入るとすぐに白樺食堂が現れ、その先で山頂への道が分かれた。もうすっかり快晴になっていた。山頂までは100mほどで、山頂に立つと上空には雲一つ無かった。山頂は裸地として広場状に開けており、360度の展望地だった。そこには10人ほどのハイカーがいて賑わいがあった。大きな山名標識があり、なぜかそのそばに郵便ポストが置かれていた。まずは快晴の山頂に立てたことを喜んだ。南に大きな姿を見せていたのは金剛山で、大和葛城山として有名なカヤトの高原風景はそちら側にあった。県境に立つ山とあって東には奈良県の町並みが足下に広がっており、遠くは高見山が望めた。西側には大阪市街が望めたが、奈良県側と比べると、少々離れて見えていた。山頂展望を楽しむと高原散策に移った。その頃より再び雲が増えようとしていた。カヤトの原に入ると、ススキの穂が陽射しを受けて光っていた。そのカヤトの原を抜けた先に建っていたのはかつらぎ高原ロッジだった。山頂に戻って来ると、もう空の半分以上まで雲が広がっていた。下山は青崩コースを下ることも考えたが、登山口からは長い車道歩きで戻ることになるため、予定通りピストン登山とすることにした。この下山ではダイヤモンドトレイルを北尾根コースの分岐する位置まで歩いて、その先でウスイ谷林道に入った。やや急坂の林道をほぼ下る一方だったので、往路よりも歩くスピードはずっと速かった。ウスイ谷林道を離れて山道に入ったとき、往路で気付かず通り過ぎた弘川城址に注意して歩いた。そしてトラバース道に入って暫く歩いたとき、大きな岩のそばに出た。その大岩に文字が彫られていることに気付いて読むと、「弘川城址」と書かれていた。その辺りが弘川城址のようだった。そこを過ぎて管理道路に出ると、そこから弘川寺の駐車場までは20分の距離だった。空は晴れたり曇ったりを繰り返していた。後は帰路につくだけだったが、その前に弘川寺に立ち寄って、境内の紅葉を暫し眺めて過ごした。
(2021/9記)
<登山日> 2020年11月11日 9:21弘川寺駐車場スタート/9:42管理道路終点/10:17ウスイ谷林道に合流/10:43ゲート/11:06林道そばの電波塔/11:19〜50山頂/11:53〜12:04白樺食堂展望台で昼食/12:17林道そばの電波塔/12:33ゲート/12:51ウスイ谷林道を離れる/13:11弘川城址/13:24管理道路/13:41駐車場エンド。
(天気) スタート時は雲は多いながらも晴れていたが、登るうちに形の無い雲が増えてきて、途中からすっかり曇り空になっていた。樹林帯の気温は6℃まで下がってきた。山上の園地に入る頃より急速に青空が現れて、山頂に立ったときは上空には雲一つ見なかった。澄んだ青空だった。山頂の気温は12℃で、冷たさのある風を受けたが陽射しの暖かさが相殺していた。視界はまずまず良かった。ただ北の空は黒い雲が広がり、うっすらとしていた。山頂で過ごすうちにまた雲が増えてきた。その後は青空に戻ったり雲が広がったりを繰り返していた。
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弘川寺に着くと、一番高い位置の駐車場に車を止めた 作業道(管理道路)を歩き出した 右手に畑を見た
山中へと入って行く 沢に沿って登るようになった 砂防ダムが現れた

「里山の道」が左
手に分岐したが、
そこは直進した

右手に石垣を見る
ようになった

棚田跡と思われた

また左手に小径が
分かれた 「展望
の道」だった

ちなみに管理道路
は「弘川城址への
道」だった

20分ほど歩いて
管理道路は終点と
なった

右手より登山道が
始まっていたが、
標識は弘川城址へ
の道だった
登山道を登って行く 登山道は始めはやや急傾斜だった 弘川城址の名は見るも、山と葛城山の名は見なかった
登山道は巻き道となった ヤブっぽい所があり、道を誤ったかと思った すぐに登山道は歩き易くなり、植林地を通った
少し広い道に合流した 合流点の標識は「弘川城址」と「西行塚経由弘川寺」
だった 知らぬ間に弘川城址を通り過ぎたようだった
大和葛城山の方向へと標識が示していない方向に歩く
と、すぐに別の道に合流した
その合流点の標識に漸く大和葛城山の名が現れた 林道へと向かうと、今歩く道も作業道状になってきた 少し荒れた所も現れた

林道に合流した

そこまで車で来ら
れるようだっ

合流した林道を横
切る形で、山頂方
向に向かえる林道
に入った
大和葛城山の名を見て一安心だった 真っ直ぐ延びる林道は、やや傾斜がきつかった 周囲は植林地で、ひたすら林道歩きだった
林道歩きを25分ほど続けたとき、ゲートが現れた 林道歩きを続けた 大きくカーブする所が現れく
東の方向へと歩く ササが茂っていた 大きな電波塔が現れた 雲の広がる空に変わっていた 平坦な道となって南に向かった
歩くうちに、また陽射しを見るようになった 右手から青崩コースが合流した 直進は葛城山を示していた
開けた所が現れた キャンプ場のようだった 遊歩道に合流した 遊歩道はロープウェイ山上駅から来ている道だった
遊歩道に入ると、白樺食堂の前を通った トイレ棟が現れた その前から山頂への道が分かれた 山頂まで100mだった
まずは階段を登った いつしか快晴になっていた すぐに山頂に着いた

山頂にはなぜか郵
便ポストが立って
いた

山頂広場の中央に
二等三角点(点名
・篠峰山)を見た

人がいなくなった
タイミングで、山
頂広場を眺めた

山頂からは奈良県
側の展望が良かっ


北東から南東にか
けての展望だった
が、南東方向は雲
が多かった

畝傍山が足下に見
えていた

その背後は額井岳
だった

左の写真に写る額
井岳を今少し大き
く見る

国見山から高見山
にかけてを眺めた

(←)
南の方向を眺めた

左に見える電波塔
が先ほど出会った
電波塔だった

 (→)
  反対の北へと歩い
  た
ススキが広がる高原風景の中へと入った また雲が出てきたようで、陽射しが消えた中を歩いた 陽射しが現れたとき、 山頂方向を振り返った
ススキの原を抜けた先で現れたのは金剛山だった 左手を見ると、建物が建っていた
近づくと、それは「かつらぎ高原ロッジ」だった 近くできれいに色付いた木を見た 別の道で山頂へと引き返した

山頂はすっかり雲
が広がっていた

この小径のそばで
はササが茂ってい

薄暗くなった山頂に戻ってきた 山頂から見る金剛山も雲が増えていた
薄暗くなった山頂から、大阪市街の方向を眺めた 上の写真の右手となる風景だった
上の写真に写る和泉山脈を眺めた 800mから900mの山が重畳としていた 関西空港が望めた
薄暗い山頂を離れた 白樺食堂のデッキに上がって、昼休憩とした デッキからも奈良盆地が眺められた
昼食後は下山に入った 遊歩道を戻って行く すぐには林道に入らず、北へと尾根筋の道を進んだ 紅葉の木を見上げた 上空はまた青空が増えていた
930mピークへと緩やかに登った ピークに着くと、こちらにも電波塔が建っていた ピークを越して更に北へと歩いた
右手に北尾根コースが分かれた その北尾根コースの方がダイヤモンドトレールだった 直進すると、往路で歩いた林道に合流した
最初に出会った電波塔の位置に戻ってきた 後はひたすら往路を辿るだけだった ゲートの位置まで戻って来た
ウスイ谷林道の起点まで下りてきた 弘川寺に通じる作業道に入った 弘川城址に注意しながら巻き道に入った
大きな岩の前に出たとき、「弘川城址」の文字を見た 弘川城址の位置が分かると、後は寒道路に向かった 登山道を下り終えて、管理道路の終点に出た
管理道路を下って行く 棚田跡への道が左手に分かれた 沢に沿って下って行く 駐車地点が見えてきた

下山後は弘川寺に
立ち寄った

紅葉のカエデを楽
しんだ