近畿の山を眺めると大峰山脈に高い山が集中している感があり、東隣の台高山脈の最高峰、日出ヶ岳を越す山が幾つも並んでいる。その大峰の高峰を分類すると北部、中部、南部と分けられそうで、南部の代表は釈迦ヶ岳、核心部となる中部は弥山と八経ヶ岳、そして北部は山上ヶ岳と言えそうだった。2008年の夏に近畿圏で涼しさを味わおうと考えたとき、自然と大峰、台高が思い浮かんだ。その大峰、台高の中でまだ登らぬ山の多い大峰北部を候補地とすることにした。その北部では大普賢岳こそ登っているものの、山上ヶ岳、稲村ヶ岳は未登だった。この二つを比べると山上ヶ岳に立って山岳宗教の総本山的な雰囲気を味わうことに興味を覚えたが、女人禁制の習わしがありパートナーを連れては登れない山だった。そこでその隣に位置する稲村ヶ岳を登ることに決めた。この稲村ヶ岳に対する知識は少なく、大日山の鋭い姿こそ写真で何度か目にしていたが、稲村ヶ岳については山のイメージを持っていなかった。そこで涼を求めての登山だけで無く、稲村ヶ岳の姿をしっかり眺めてみたいとの希望も持って出かけることにした。向かったのは8月も残り10日となる22日の金曜日だった。この平日の金曜日としたのはパートナーがようやく8月連休に入ることになり、そのおつきあいで一日の休みをとって出かけたものである。
22日は未明の4時半に姫路を離れた。阪神高速をまだ朝早い時間に抜けて西名阪道へ。その西名阪道を大和郡山ICで下りると、後はひたすら南下した。登山口は洞川温泉側からと考えており、国道309号線を川合で離れて県道21号線に入った。小さな峠を越して洞川温泉に入ると、そこは旅館が立ち並びすっかり観光地の雰囲気だった。ただ山裾の狭い所に家が並んでおり、適当に車を止められるような所は無さそうだった。その家並みを抜けると、「名水の里」の前に登山口の標識を見た。そこから登ろうと考えて近くに駐車出来る所は無いかと今少し走ってみたが、山裾と山上川との間は狭く、たとえ駐車スペースあってもそこは有料になっていた。結局「ごろごろ茶屋」の有料駐車場(一日1000円)に車を止めることにした。この駐車場に入ったのが8時だったが、駐車場はゲートがあり8時から18時までしか出入りが出来ないようで、今少し早く着いていたなら温泉街に戻って止めるしかなかったようだった。駐車場から登山口までは少し距離があり、8分ほど歩くことになった。登り出すと南東方向にひたすら緩やかに道は続いて、周囲は植林が取り巻いていた。さほど歩かないうちに観世音大菩薩の参道を横切った。その参道を登ってきたほうが近かったようだった。その先には五大松鍾乳洞があり、登山口から25分で母公堂へ下る道が分かれた。地図を見るとその道を登って来るのが一番近道のようなので、下山ではその道を下ろうと考えた。登山道はその後に合流する道は無く、緩やかなまま続いた。気温は15度と低めで、涼しい風もあって登るのはけっこう気楽だった。ときおり鉄の小橋を渡った。そのだらだらとした道を1時間ほど歩いて法力峠に着いた。そこから右手に観音峰への道が分かれていた。法力峠を過ぎると木々に自然林が現れた。植林もまだ続いたが次第に自然林が増えて来た。ただ相変わらず道は緩やかなままで、大峰に抱く急坂の続くイメージとは少し違っていた。地表に露岩を見ることがあったり、また登山道の崩れた所が現れたが、危険な所には小橋がかかっていたので安心だった。周囲の木々がほぼ自然林となりブナも見られるようになると、小笹が増えて来た。笹はクマザサと違って小ぶりで、優しげな笹だった。森林浴としては悪くなく、その雰囲気を楽しむ気持ちで登って行った。風景全体も優しげになってきた頃、山上辻に着いた。そこには山小屋の稲村小屋があり、バイオトイレも建っていた。いかにも人がいそうな雰囲気だったが、ひっそりとしていた。もう山頂まで30分とかからぬ距離だった。またそこからは山上ヶ岳への登山道が分かれていた。この山上辻に着いて漸く展望が現れた。西の方向だったが、金剛山辺りがうっすらと眺められた。思えばここまでほとんど展望も無く歩いており、展望に関しては良いとは言えなかった。稲村ヶ岳へと最後の登りにかかった。その先も山上辻と変わらぬ優しげな風景が続いた。小笹の中にシラビソなどの高木が立っていた。やがて前方に木々を通して大日山の鋭い姿が見えてきた。その大日山が次第に近づいて来た。漸く山岳風景を見ることになったとの思いとなり、展望の良い所で一息入れることにした。その大日山への分岐点まで来たとき、先に大日山を登ろうかとも思ったが、まずは稲村ヶ岳に立とうと通過した。もう稲村ヶ岳は頭上の位置にあるのだが、大日山と向かい合う面は断崖になっているため、道はトラバースで東側へと回り込んでいた。その東からの尾根で山頂に近づいた。結局はどこまでも緩やかな道だった。その緩やかなままに山頂が間近になると、山頂に展望台が建っているのを見た。鉄製の立派な展望台だったが、そこに着くまで山頂に展望台が有るとは知らず、少々驚いた。どうも地図は見るもののガイドブックはさらりとしか読まないので、読み落とすことが多いようだった。その山頂に人が立っているのが見えた。この日、山で見る初めての人だった。山頂はどっかりと展望台が占めているので、山頂の雰囲気を味わうには展望台に立つしかなかった。その展望台への階段に足をかけたとき、そばに三角点があるのを見た。山頂展望台に立ったのは12時を回った時間だった。山頂にいた人は三重から来たとのことで、昨日は山上ヶ岳を登って一泊したとのことだった。その人はすぐに山頂を離れたので、後はパートナーと二人っきりになった。山頂は周囲のヒノキが育って360度の眺望とは言えなかったが、まずまず良いと言えた。良く見えたのは山上ヶ岳で、東へと続く尾根で大普賢岳までがすっきりと眺められた。尾根はずっと続いて南には大きく弥山が立っているのだが、そちらはガス雲が湧いており、山頂はガスに隠されていた。ガス雲は大普賢岳にも湧くことがあり、ときおり大普賢岳の頂も隠された。この山頂からは大日山が良く見えるのではと思っていたのだが、北の方向を見ると、大日山はその頂がちらりと見えるだけだった。暫く佇んでいると上空の雲が薄くなって陽射しが漏れるようになった。山頂の気温は19℃。涼しい風の中で陽射しが快かった。この山頂に立って改めて稲村ヶ岳が登山として優しい山だったと思った。山頂の雰囲気にも和らぎがあった。その山頂で穏やかな気持ちのままに昼どきを過ごした。下山としては引き返すだけだが、その前に大日山に予定通り立ち寄った。こちらは鋭い姿のままに急坂が続いており、その厳しさを補うようにハシゴやロープが何カ所も付けられていた。おかげで登山としてはスムーズに登って行け、分岐点から10分も登れば山頂だった。その山頂は小さな祠が二つあり、石仏もあってすっかり宗教色に包まれていた。思えば稲村ヶ岳にはその類のものは一切無かっただけに、対照的な雰囲気だった。この大日山で期待したのは山頂の様を見ることよりも大日山からどのように稲村ヶ岳が眺められるかだったが、良く見え過ぎるというか間近すぎて、山の姿としては逆に掴み難かった。ただ稲村ヶ岳西面の荒々しい姿が印象的だった。この大日山を登った後はすんなりと下山するつもりだったが、稲村ヶ岳の姿をどうしても良く見たくなった。そこで山上辻まで戻ったとき、山上ヶ岳方向に少し歩いてみることにした。そのコースはちょうど稲村ヶ岳を南から眺める形となるので、木々が登山道を取り巻いていていたが、どこかで展望が現れることを期待して歩き出した。山上ヶ岳への道ははっきりしており、しかもアップダウンもほとんど無く平坦なまま尾根近くを続いていた。おかげで歩くのは稲村ヶ岳コースよりも更に楽だった。ただ高木がずっと南の視界を遮っており、展望は開けなかった。15分ほど歩いたが展望は無く、このままレンゲ峠まで展望が無ければそこで引き返そうかと考えたとき、その気持ちを察したかのように南の木々が疎らになった。尾根はすぐ近くなので尾根まで登ると、いっそうすっきりと南が眺められ、そこにどっしりと稲村ヶ岳が座っていた。そしてその右隣に大日山も見えていた。こうして二つの山を眺めると、やはり稲村ヶ岳が圧倒的な大きさで、大日山は付き従っている感じだった。この展望で漸く稲村ヶ岳を知った思いになり、引き返すことにした。山上辻まで戻り法力峠への道に入った。緩やかな登山道は下りではいっそう楽で、足の動くままに下って行った。もうこの道は展望の無いことが分かっていたので、風の涼しさ、森の風情を眺めながらゆっくりと下った。そして母公堂への道が分岐する位置に戻って来たとき、そこからは母公堂へと向かった。道は植林地の中をやや急坂で続いて、一気に高度を下げた。そして10分とかからず母公堂そばの登山口に下り着いた。母公堂は小さなお堂で、役行者の母を祀っているとか。茶屋を兼ねたそのお堂からごろごろ茶屋の駐車場まではこれも10分ほどの距離だった。稲村ヶ岳の登山口としてはどうやら母公堂そばの登山口が一番近いことが分かって、この日の登山は終了した。
稲村ヶ岳を登る前は、少しは険しさを見せる山だと思っていたのだが、登山道がずっと緩やかなまま山頂まで続いていたのは意外だった。但し逆にそれが印象として残って、新たな稲村ヶ岳のイメージを心に刻んだ。
(2008/9記)(2013/6改訂)(2021/11改訂2) |