岡山市街から見て東の方向に広がる丘陵地は、最高地点が標高169mの操山で、東端のピークには笠井山の名が付いていた。操山には2013年正月に登っていたが、笠井山までは歩いていなかった。そこで笠井山に登ろうと向かったのはm2025年6月の下旬、朝から30℃を越す暑い日だった。車は操山に近い里山センター前の駐車場に止めたが、暑いこともあってこの日は操山を登る考えは無く、笠井山だけを目指してスタートした。車道を戻る形で北へと歩くと、沢田大池の先で東へと向かった。その車道は集落へと通じるのだが、登山コースの入口を通り過ぎて集落まで歩いてしまった。その辺りからも山中に向かえる小径があったので、それを歩くことにした。その小径は尾根を通る縦走路までは通じておらず、小径が終わるとその先は竹林だった。尾根を目指して竹林に入ると、程なく登山コースに合流出来て一安心となった。その小径が歩く予定だった登山道だった。すぐに縦走コースに合流して東へと向かった。登山コースには的確に標識が立っており、安心して歩けた。左手に小径が分かれると、それは110mピークへの小径で、標識ではピークは金蔵山古墳のようだった。110mピークに着いて小休憩とした。木陰はあるものの展望の無いピークだった。縦走路に戻ると東へと歩いた。そして登山道のそばに現れたのが、不動明王だった。陽射しに照らされて、すっかり明るかった。その先で左手に円山への小径が分かれた。ピークに着くとそこも古墳で、石鉄山古墳だった。その140mピークの近くには四等三角点(点名・円山)が置かれていた。ピークからは南東方向に向かえる別の小径があり、それを下って縦走コースに合流した。次が笠井山だった。鞍部へと下っていると、送電塔のそばを通った。中国電力西大寺湊線18番鉄塔だった。鞍部から登り返して笠井山の南尾根に着いた。山頂までまだ少し距離があり、陽射しを強く受けることがあって歩度は鈍ってきた。ただ緩やかな山道が続くおかげで、途中で休憩をとるほどでは無かった。笠井山の山頂に着いたときは、スタートしてから1時間半が経っていた。笠井山の最高点は岩場になっていたが、木陰にはベンチが置かれており、休むには良い所だった。以前は好展望地だったようで展望図が立っていたが、その図に描かれている北の方向はすっかり樹林に閉ざされていた。ほのかな風を受けながら木陰での休憩を終えると、下山は寄り道をせずひたすら縦走コースを戻った。途中のベンチで小休止をとってはいたが、笠井山から駐車場まで1時間弱だった。駐車場に戻ってきたときは、すっかり大汗になっていた。例え低山であっても、夏場は厳しいと思わされた笠井山だった。
(2024/7記) |