分県登山ガイド「山口県の山」を見ると、右田ヶ岳で3コースも紹介されており、なかなかの人気の山であることが窺われた。そうなると当然興味が湧き、2023年10月末から実行とした山口県低山巡りに右田ヶ岳を加えた。
向かったのは山行三日目の11月2日のこと。快晴の空に雲は無かった。防府市下右田の右田小学校の前に着くと、そこには広い登山者用駐車場があり、既に10台以上の車が止まっていた。この日はその駐車場からの周回コースを考えており、ガイドブックとは逆コースとなる塚原コースを往路コースとすることにした。駐車場を離れると始めに小学校に沿って北へと歩き、次に東へと向かった。300mほど歩くと燈籠が立つ三差路が現れ、標識も立っていた。その標識が示す「塚原登山口」に向かった。程なく登山道の入口が現れたが、そこに標識は立っていなかった。それでも登山道に入ると、墓地のそばを通った。その墓地の先で右手から来た道に合流して北西に向かうようになった。どうやらその右手の道が正しい登山口からの道と思えたが、大した違いは無さそうだった。後は道なりに歩いて行く。始めは樹林の小径を歩いたが、次第に周囲はシダが増えてきた。ただ道ははっきりしており、いわゆる里山を歩いている雰囲気があった。緩やかに登っていると、右手から別の登山道が合流した。コース図を見ると塔之岡登山口から始まるコースの一つだった。そこより少し進むと行く手に右田ヶ岳の山頂を見るようにあった。程なくその塚原コースから直登コースが分岐したが、あくまでも塚原コースを登って行く。次第に岩を見るようになり、現れたのが四合目標識だった。そこの岩場は好展望地で、南の方向が広く眺められた。登山道の傾斜が増してきて、岩の間を手を使って登るようになった。展望岩も多く現れて、展望を楽しみながらの登りでもあった。ただこの日は11月とは思えぬ暑い日で、陽射しを受けながらの登りはけっこう厳しさがあった。五合目標識が現れてからは次の標識がなかなか現れず、ただ厳しい登りが続いた。標識に気付いたときは八合目だった。そこは「塚原分かれ」と呼ばれる所で、尾根コースである塔之岡コースに合流した。尾根歩きに移って西へと登って行く。山頂までまだ距離があり、少し開けた所に出て漸く山頂を見ることになった。山頂が近づくと、尾根筋から少し離れて斜面をトラバースする形で登ることになった。そして「塚原分かれ」から13分、登山口からなら72分での山頂到着となった。山頂も岩場だったが土の所もあり、そこは平らになっており四等三角点(点名・右田ヶ岳)を見た。山頂の岩場は最高の展望台だったが、陽射しを避ける所は無かったため、土の部分の木陰で休憩とした。陽射しの下では体感30℃はありそうだったが、木陰の気温は24℃だった。一息つくと岩場に移動して、足下に広がる大展望を楽しんだ。好天続きのため視界は濁っており、遠方がはっきりしていなかったのは残念だったが、足下の防府市街は視野いっぱいに眺められた。山頂で一時間ほどのんびり過ごすと、下山は天徳寺コースに向かった。西へと下って南ノ峰との鞍部に着くと、すぐには天徳寺コースに入らず、登り返して南ノ峰に立った。そこも好展望地で、山頂と比べて西の方向の展望が優れていた。引き返して天徳寺コースに入ると、いきなり岩場の急坂下りが始まった。塚原コースと同様に好展望に恵まれての下りだった。滑らないように慎重に下って行く。その岩場下りの途中から岩に掘られた仏像を見るようになった。説明板を見ると「右田ヶ岳三十三観音巡り」とあり、三十三箇所も観音像が彫られているようだった。その天徳寺コースには小さなピークがあって石船山と名付けられており、そこも観音像が多くあった。更に下ると石燈籠の展望地があり、そこも観音像が多かった。展望地だけに足下には右田小学校が見えていた。石灯籠の近くには観音堂が建っていたが、そちらは老朽化のために立入禁止になっていた。そこを過ぎると漸く岩場は終わり、登山道も緩んで樹林帯へと入った。そして登山口に下り着いた。そこからは階段を下ることになり、天徳寺の境内へと入った。その境内で目立っていたのは大きなイチョウの木で、樹齢は800年とか。山門を抜けると右田小学校はもう近かった。後は小学校に沿った車道を歩いて駐車場へと戻って行った。
(2023/12記) |