2024年5月、ゴールデンウィーク直後の週末は9日から三日間は好天が続きそうだった。そこで以前から考えていた隠岐諸島の最高峰、島後の大満寺山登山を実行することにした。大満寺山は中国百名山にも選ばれている山だった。9日は移動日ながら島根半島の馬着山登山を楽しみ、翌10日に島後に向かった。七類港9時発のフェリーに乗ると、島後の西郷港は11時半着だった。すぐにレンタカーを借りると、港から一番近い登山口である有木登山口に向かった。ナビのおかげで迷うこともなく、港から30分ほどで登山口に着いた。登山口駐車場には車は止まっていなかった。登山口に入ると始めに沢を渡り、対岸に出ると尾根を登るようになった。緩やかな小径ながら常緑樹の落ち葉で覆われていた。周囲は緑濃い常緑樹林帯だった。ただずっと常緑樹でもなく杉林に替わることもあった。適度な傾斜の尾根を登って行くと、大満寺の前に出た。広い境内で鐘楼も建っていた。ただ庫裏と思われる建物は崩れて廃墟になっていた。境内を抜けて更に登って行くと、右手に巨木が現れた。杉の大木で「窓杉」の名が付いていた。その先で大満寺山の東尾根に出た。そこは北側から来ている南谷コースとの合流点でもあった。その辺りから周囲に草地が増えてきた。西へと向かうようになると程なく急坂が始まった。ロープを掴みながらの急坂登りで、100mほどの標高差を登ることになった。その急尾根が一気に緩んで山頂到着となった。山頂には一等三角点(点名・大満寺山)が置かれていたが、けっこう削られていた。その山頂には展望の助けとなる方位盤が設置されていたが、木々の生長によるものか山頂展望は良いとは言えなかった。木々の空いた所から西郷港辺りが望める程度だった。山頂では強風を受けることになった。空気は爽やかだったが、肌寒さを感じた。駐車地点に戻るのは16時半頃までと考えていたので、まだ3時間ほどの余裕があった。そこで屏風岩を見ようと鷲ヶ峰まで歩くことにした。山頂から北へと鷲ヶ峰に通じるコースを下って行く。そちらも急坂で、足下に注意を払って慎重に下った。その急坂の標高差は140mほどあって長く感じられた。急坂を下りきると、一気に尾根は緩んだ。そして南谷林道に下り着いた。その林道を横切って鷲ヶ峰への登山道に入った。その登山道を少し進んだとき、展望地が現れた。そこに立つと大満寺山が鋭鋒として眺められた。登山道は一部で岩場があり鉄ハシゴが架けられていたが、概ね緩やかな道であり無難に鷲ヶ峰に着いた。そこに四等三角点(点名・鷲ヶ峰)を見るものの展望は無かった。その展望は28メートル先にあり、そこは岩場になっており、期待通りにそそり立つ屏風岩が眺められた。目的が達したことで登山道を引き返した。南谷林道まで戻ってくると、そこからは大満寺山に登り返さず林道を東へと歩いた。緩やかな下り坂だった。その途中で右手に岩倉神社が現れると、そこにも杉の大木を見た。大木の名は乳房杉(ちちすぎ)だった。岩倉神社のすぐ先が南谷コースの登山口だった。それを登って有木コースに合流する考えだった。合流点までの標高差は120mあった。それまでの登山で足は十分に疲れていたが、もうひと頑張りする必要があった。シダや野草の茂る斜面を登ること15分。有木コースに合流すると、後はずっと下り坂だった。大満寺の境内を抜けると、最後の尾根筋歩きに移ったが、足下は落ち葉が積もっているため滑らないようにと歩度を落として下った。登山口に戻ってきたのは16時。十分に大満寺山を楽しんだ思いになれた。
(2024/6記) |