矢筈山を登りたいと思ったのは、岡山鳥取の県境にある釈山に登ったおりで、山頂から名の通りの矢筈の姿を見てからだった。後で調べると岡山100山にも選ばれており、その山頂には城跡(矢筈城)が広がっているとか。その矢筈山の登山にはJR因美線の利用が便利なようで、二つある登山口一つは千磐神社のそばから始まるが、知和駅が近くにあり、もう一つはまさに美作河井駅のそばだった。そこで往路は千磐神社からのコースを登り、下山は美作河井駅へと下って、JR因美線を美作河井駅から和知駅まで一駅間乗ることにした。向かったのは2012年9月の第四土曜日。まずは国道29号線を走って、山崎ICを目指す。例年なら彼岸花が満開なのだが、残暑がずっと続いていたため、漸く花が開き始めたところだった。中国道は津山ICで降りる。始めに国道53号線を走り、途中から県道6号線に入った。加茂川沿いを北上する。少し雲が多いかと思えるものの、まずまずの晴れだった。長らく残暑が続いていたが、少しは秋らしさが感じられる空気感だった。加茂町知和に入ると、県道は因美線をまたいで山側を走るようになり、すぐに神社が現れた。それが登山口のある千磐神社だった。そばに広い駐車場があり、そこに車を止める。登山道は駐車場の一角から始まっていた。登り始めると一度神社のそばに出て、そこに登山口の標識があった。その先ははっきりとした山道だった。植林も混じる中を登って行くと、程なく西側に展望が広がった。向かいの山並み遠くには角尾山も望めた。足下には知和の集落と実った稲田の風景が広がっていた。また樹林に入って、後はひたすら西尾根を登って行く。尾根の気温は22℃ほどだったが、まだ湿度は高いようで、けっこう汗をかきながらの登りだった。始め周囲は植林が多かったが、登るうちに雑木林に変わってきた。40分ほど登って大きな岩に出会うと、その先で地形は緩やかになり、漸く山城跡に入ったようだった。腰郭跡、郭跡と通って行くが、それぞれ山城跡らしく平坦になっており、そこが感じの良い雑木林となって風情があった。前方には矢筈山の山頂が木立を通して鋭角の姿を見せていた。暫く城跡が続いた先で一度下り坂になり、そして急坂を登って行く。けっこう足の疲れる所だった。また城跡らしき所に入って行くと、山頂が近いと思われたとき三の丸跡が現れた。その一段上が二の丸跡で、ここで左手から美作河井駅からのコースが合流した。まだ先が一段高くなっており、一登りとばかりに上がると、広々と平らに開けた所に出た。矢筈山の山頂(本丸跡)だった。もうそこより高い所は無かった。いかにも本丸があったと思える所で、一角には案内板も立っており、山城としての往時の姿が描かれていた。何とも高い所に城を作ったものだと感心させられた。山頂には木立が少なかったが、その少ない木立の陰で昼休憩とした。山頂は涼しい風が抜けており、十分に汗を鎮めてくれた。昼食を済ませて一息つけたところで、山頂からの展望を楽しむことにした。良く見えていたのは南東方向で、那岐連山が裏側から見る形で眺められた。他にも北に大ヶ山の尾根も眺められ、まずまず満足と言える展望が得られた。その矢筈山山頂からは美作河井駅へと下って列車に乗る予定だったが、因美線を走る鈍行は僅かで、津山行きは朝の8時51分発の次は13時20分発だった。それに乗る予定をしていたので、下山は1時間はかかるだろうと見て、12時過ぎに下山を開始した。美作河井駅へのコースは、始めは自然林の広がる中をゆったりと歩いていたのだが、少し下ると植林地の急坂が始まった。もうどんどん下ると言った感じで下って行く。展望は無く、ひたすら下ることに集中した。最後は沢沿いを歩くようになって、因美線へと近づいた。その因美線が目前となったとき、線路そばに昔に除雪車の向きを変えるために使われた転車台が残っており、ちょっと珍しいと思った。線路沿いを東へと歩き、沢に出会うと小橋を渡った。そして線路の下を潜って線路の北側に出た。そこより戻る形で西に歩くと美作河井駅だった。駅に着いたのは13時にまだ7分あった。山頂から駅まで50分ほどで歩いてきたようだった。そのため駅では30分ほど待つことになった。因美線はローカル線とあって、乗った列車はたった一両だった。乗客は3名のみ。わずか一駅間だけだったが、加茂川の風景が眺められて、列車で戻ってくるのも悪くないと思った。和知駅で降りると、駅前の道を東へと歩く。県道に出ることも無く和知集落に入り、集落内から始まる千磐神社への参道を歩いて駐車地点へと戻った。列車に乗ることを加えたことで、矢筈山登山はちょっとした山旅が出来た気分になれたのは良かった。
(2012/10記)(2021/4改訂) |