◆ TAJI&HM の 兵庫の山めぐり <鳥取県の山> | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
沖ノ山 おきのせん | 1318.2m | 智頭町(鳥取県) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1/2.5万地図 : 坂根 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【2008年5月】 No.2 | 2008-49(TAJI&HM) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
駒の尾山より 2005 / 5 |
5月の声を聞くと新緑の若桜の山を楽しみたくなる。2008年に入って若桜の主だった山は雪山として登っており、その同じ山を新緑の山として登るよりも雪山では登っていなかった山を求めることにした。そこですんなりと思い浮かんだのが沖ノ山だった。この沖ノ山には1997年に同じ新緑の季節に登っていたが、標高1100mまである林道から先はひたすらネマガリダケのヤブコギで、いわゆる厳しい山として山頂に立ったものだった。それがこの11年の間に山の状況は一変しているようだった。山頂そばまで林道が新たに付けられており、しかも舗装林道とあって山頂に立つ苦労はどこかに消えてしまった言えそうだった。ただその林道は私有林道のようで、まだ「坂根」の地図には載っていなかった。そこでインターネットで調べた結果、沖ノ山の林道情報を得ておおよその状況が分かった。その情報と国土地理院の地図とで準備は整って、出かけたのは5月第三週の土曜日だった。 空はやや淡い感じだったがまずは快晴だった。この日の朝は自宅の庭いじりをしていたため、自宅を離れたときは8時を回ってしまった。そして国道373線を走って鳥取県に入ったときは10時を過ぎていた。志戸坂トンネルを抜けてすぐに国道を離れ、沖ノ山に向かう大井谷林道に入る。林道にちらほら人を見かけたが、山菜取りでもしているようだった。この林道は私有林道のため途中にゲートがあり一般車は入られない。その手前の路肩スペースに駐車とした。右手に沢音を聞きながら林道を歩き出す。ゲートには個人名が書かれていたが、この一帯の山林の所有者のようだった。林道は舗装路のまま真っ直ぐにそしてほぼ平坦に東へと続いている。その林道からは地肌がむき出しの作業道が幾つか分かれていた。山すそは伐採地が多くあり、一部では伐採作業が行われていた。そのとき一台のトラックとすれ違ったが、その社名は千崎建設とあり山林所有者の関連会社のようだった。山すそこそ伐採風景だったが、その上は新緑の樹林が山頂へと続いていた。大井谷林道を30分近く歩いたところで、沖ノ山山頂に向かう舗装林道が分かれた。この道は下山で歩くことにしており、登りは今少し先から分かれる林道を登る予定だった。そこでその支線林道を横目に今少し大井谷林道を歩いて行く。歩くうちに周囲の木立も新緑の風景へと変わって来た。そしてゲートから1時間ほど歩いて目的の支線林道(ワル谷林道)の分岐点に着いた。後はこのワル谷林道を登って行けば沖ノ山の山頂そばまで行けるはずだった。ワル谷林道も舗装はされていたが道幅はあまり広く無く、車のすれ違いは難しそうだった。周囲の木立は初めは植林が多かったが、登るほどに自然林に変わって来た。そして中腹を過ぎるとブナも見られるようになった。自然林はまさに新緑の盛りで、青い空とのコントラストが美しかった。登るほどに展望も現れて、後山から長義山へと続く尾根が次第に広く眺められるようになった。その美しさと反比例するかのように林道の荒れが目立って来た。途中に通行止めの立て札を見たが、どうも路面の状態に対してではと思えるほどで、落石があるのはもちろん、路肩の崩れている所も多く見られた。そして標高が1100mを越えてくると、周囲にネマガリダケが広がるようになった。本来なら林道があるとは思えない風景なのだが、そこにムリヤリ林道が通っている印象だった。林道が山稜に近づいたとき、西からの林道と合流する。そして林道の向きは西へと変わった。林道はもう緩い坂になっており、そのなだらかなまま山頂に向かうだけだった。そのとき忽然と銅像が現れた。そばには大きな灯籠も置かれている。そこに立っている石柱によると、銅像はこの山の持ち主の千崎善一氏のようだった。林道入口に書かれていた名前と同一だった。石柱によってこの林道が2001年に完成したことも分かったが、そこに書かれている詩文やそこまで歩いてきた林道の様子からして、どうもこの林道は森林管理のためと言うよりも個人の趣味ではと思ってしまった。植林地ならともかく、こんなネマガリダケとブナしかない山頂近くまで付けらた理由がそうでないと合点がいかなかった。銅像を離れてなだらかな林道歩きを続ける。林道は山頂が間近になると一段と荒れて来た。もうとうてい車は通られそうにない状態だった。僅か7年でこの荒れになるのかと思うと、林道は作るよりも維持の方が大変ではと思ってしまった。山頂に一番近い位置まで来て一息入れる。その辺りは視界を遮る木立はほとんど無く、おかげで東から南へと展望は抜群で、三室山から後山まで一望だった。その展望は昼休憩時に楽しむことにして、まずは山頂を目指すことにした。その位置より林道を離れてネマガリダケのヤブに突っ込む。そして真っ直ぐ北へと登って行く。釣り竿のように太いネマガリダケがあって手で押しのけながら進むが、密生はしていなかったので適度なヤブコギと言った感じで登って行けた。そしてもうそろそろ山頂に近づいたのではと思え出した頃に切り開きの道と出会った。そこから20メートルと歩かず山頂に着いた。林道を離れてから10分とかかっていないので、いかに林道が山頂近くまで来ていたかが分かる。その山頂は周囲をすっかりネマガリダケと木立で囲まれており、展望は全く無し。単に三角点を確認しただけの感じだった。すぐに山頂を離れることにした。林道に戻るに当たっては切り開き道に興味を覚えたので、それを辿ることにした。1メートルほどの幅でネマガリダケが刈られており、消えかかったりまたはっきりしたりしながら東の方向に続いていた。その切り開き道の途中で急に展望の現れたときがあった。北東間近に大きな山が見えてどきっとしたが、東山のようだった。この沖ノ山で北の山が見えるとはおもっていなかったので、ちょっとうれしくなった。東へと緩やかに切り開き道は続き、なかなか林道につながらなかった。ようやく林道が見えて一安心と思ったとき、突然切り開き道は消えてしまった。ただ林道までは僅かな距離だったため、ヤブコギでむりやり林道に出た。昼食は林道の最高点で採るつもりだったため、林道をまた山頂方向へと辿ったが、最高点に戻り着くのに6,7分はかかってしまった。頂上から最短距離をヤブコギで戻ったほうがよっぽど楽だったかもしれない。林道最高点の路肩で昼休憩とした。上空は雲一つ無く、涼しい風を受けて休んでいると何とも言えず快かった。その快さに少しばかり昼寝も楽しんだ。それにしても林道が無ければ山深い中にひっそりと休んでいることになるのに、目の前に林道があることに少々違和感を感じた。しかも作られたものの傷みがひどく車は通られそうも無い。中腹の植林地までなら林業用として目的は明確なのだが、そこから先は遊歩道として作ってもらいたかった。美しいブナ林とネマガリダケの風景で、素晴らしいコースになったのではと思えた。昼休憩を終えて腰を上げたのは14時を回ってから。下山は予定通り南に向かう林道を下ることにした。こちらもブナ林とネマガリダケの中を貫いていたが、やはり林道の傷みはひどかった。その林道を気にせず、ただ新緑のブナ林を愛でながら下って行った。林道はつづら坂になっている所が多くあり、何カ所かはショートカットして下った。次第にネマガリダケもブナ林も減ってくると、程なく古い林道につながった。その途端に風景に落ち着きが出た。古い林道は同じく舗装路だったが傷んでいることは無く、周囲の植林風景になじんでいた。その林道を辿る頃には緩やかな坂になっており、まっすぐに大井谷林道に向かっていた。そして伐採風景の中を大井谷林道に合流すると、後は駐車地点へと朝に歩いた道を戻って行った。 この日は登山のほとんどが林道歩きだったが、山頂が近づいたときの風景は高い山ならではの奥深さがあり、雰囲気としては悪くなかった。そして何と言ってもブナの新緑が素晴らしかった。下山を終えて改めて、山頂の林道が遊歩道ならどれだけ沖ノ山が楽しい山になっていたかもしれないと思わずにはいられなかった。 (2008/6記)(2011/3改訂) |
<登山日> | 2008年5月17日 | 10:31ゲート近くに車を止めてスタート/10:55林道分岐点/11:25ワル谷林道分岐点/12:30林道と合流する/12:48〜54林道最高地点/13:06〜10山頂/13:32〜14:20再び林道最高地点に戻って休憩する/15:38主林道に合流する/16:00エンド。 | |
(天気) | 良く晴れて澄んだ青空が広がっていた。雲もほとんど見られなかった。朝の気温は19℃、山頂で21℃ほど。西風がやや強く吹いており、ひたすら涼しかった。視界は少しうっすらとしている程度で悪くは無かった。 | ||
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