◆ TAJI&HM の 兵庫の山めぐり <鳥取県の山> | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東山 とうせん | 1388.0m | 若桜町・智頭町(鳥取県) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1/2.5万地図 : 岩屋堂 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【2011年7月】 No.3 | 2011-71(TAJI&HM) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
沖ノ山より 2008 / 5 |
鳥取若桜の東山は、山頂一帯をすっぽりとネマガリダケに包まれている。鋭い風貌があるだけで無く、登山道の無いことで容易に山頂に立てないことから、孤高の山と言った雰囲気を漂わせている。その東山を初めて登ったのは1993年11月のこと。ヤブ山とは聞いていたが、どの程度のヤブかが分からなかったため、むしろ安易な気持ちで登ったのだが、すさまじいネマガリダケとの格闘となり、途中では恐怖さえ覚えた。ようやく山頂に立ったときは林道を離れてから3時間が経過していた。それがトラウマとなって、雪の季節は別として、二度目の気持ちは起きなかったのだが、その東山に沖ノ山林道そばから切り開きの道が出来たことを知ったとき、あの厳しかったことが懐かしくなってきた。そしてようやく再訪の気持ちが湧いてきた。 向かったのは2011年7月の第二土曜日。この日の朝の空は雲が多かったが、午後は晴れの予想で、日曜日以降も晴天の予想だった。梅雨明けの宣言は無かったが、もうこれで梅雨が終わるのかと期待しながら車を走らせた。ただ宍粟市に入って国見山を見たとき、山頂はガスに隠されていた。国見山がガスに隠されるようでは北の山並みが少し心配になってきたが、天気予報を信じて鳥取を目指した。沖ノ山林道の状態が分からないので、アクセスは西側の智頭町からすることにした。鳥取自動車道を智頭南ICで降りて、国道373号線を北に走ると、芦津渓谷の標識が現れた。それに従って東へと山に向かう道に入った。大呂、芦津と集落を抜けても車道は道幅十分で、芦津渓谷に着いた。車道にはその先は進入禁止と立て札があったが、それはそこより林道となって走行に注意を要するためかと思われた。林道に入ると道幅は細くなり、落石が見られるようになるも、舗装路のままなので走るのはスムーズだった。急坂も無く、ただ対向車に注意すればよいだけで、その対向車も無いままに奥へと走って行く。ただ智頭町と若桜町の町境までは長く、もう着かなければと焦り出した頃、ようやく町境の峠(大乢)に着いた。峠には中国自然歩道の案内板があり、それはそこより南へと続く尾根道に対してのものだった。その峠の位置から東山の方向に未舗装の作業道が延びていたが、入口にクサリが張られていた。そのクサリもよく見るとひっかけてあるだけなので、進もうと思えば進めたが、進入禁止の標識があったので、クサリのそばの道が少し広くなっている路肩部に駐車とした。他に車は見えなかった。峠からは東の方向が開けており、そこに氷ノ山がすっきりと見えていた。上空に雲が広がっていたのでガスになっていないかと心配していたのだが、氷ノ山が見えるのであれば杞憂のようだった。クサリを越えて作業道に入った。そばの尾根上に切り開き道があるはずなので、そこへの取り付き点が作業道を歩くうちに分かるのではとの思惑で歩いて行く。すると50メートルほど歩いたとき左手が広々とした場所となり、その奥に標識のようなものが見えた。作業道にもケルンがあり目印になっていた。奥の標識に近づくと、東山と書かれていた。そこが尾根道への取り付き点だった。登山道に入ると、すぐに尾根に出た。切り開き道が始まっており、地籍調査の赤テープが点々と見えていた。もう切り開き道のままに尾根を伝って行くだけだった。ネマガリダケが切られてからさほど年月が経っていないようで、足下は切り株がしっかり残っていた。それにつまづかないようにと注意しながら登って行く。気温は25℃ほどあり、少し蒸し暑さをかんじたものの、雲の多い空とあって無理なく登って行けた。最初に少し傾斜のきつい登りが続いたが、登るほどに傾斜は緩んできた。また切り株も減ったようで、歩き易くなってきた。周囲の木立にはブナも見られるようになって、尾根の雰囲気は良かった。ブナの大木が現れると、その見事な枝ふりに足を止めることもあった。標高が1300mを越えてくると辺りは平らになって、前方に山頂が望めるようになった。もう距離としては大したことは無く、右手から回り込むようにして近づいた。ネマガリダケの切り株がまた増えてきて、少し歩き難くなる。ぬかるみもあった。その先で傾斜が増してくると、周囲はすっかりネマガリダケとなって、その中を登って行くが、道無きときの苦労が思い出された。次第に展望が広がり出して、南に三室山や後山が望めたが、その山頂にはガスがかかっていた。その先では氷ノ山も望めるようになった。そちらの空はガスは無く、氷ノ山がくっきりと見えていた。山頂が目前となったとき、右手から別の切り開き道が合流した。それは糸白見集落からのようで、どうやら東山は二つの切り開き道が付けられたようだった。山頂に着いたのは、歩き始めてから1時間弱だった。写真を撮りながらゆっくり登ったので、速く登れば40分ぐらいかも知れないので、東山は何とも簡単に登れる山になってしまったものである。その山頂だが、木立に囲まれていると思っていたのだが、三角点を中心に木が切られており、すっきりと展望の広がる山頂になっていた。切られた木が周囲に放置されており、その切断面が新しいことから、最近になって切られたのではと思われた。展望のためとは言え、立派な木が切られているのは哀れだった。その切られたブナの大木に腰掛けて、昼休憩とした。山頂は風があり、風には湿り気があるものの、十分な涼しさだった。天気は確実に快方に向かっているようで、上空は青空が広がろうとしていた。それにしても展望が良くなったものである。扇ノ山、氷ノ山、三室山、後山と、もう十分な展望の上に北西を見ると、鳥取市街も望まれた。どうやら東山は鳥取市街からも良く見える山のようだった。澄んだ視界の中で、くっきりと見える山並みの展望を楽しんだが、少し残念なのは西の空にガス雲が多いことで、大山は雲の中だった。展望を楽しむと、後は涼しい風に吹かれながら東山の静けさの中に身を置いていた。そうして休むうちに他にも登山者が現れたのは、容易に登山が出きるようになった賜であろう。昼が近づくと風は弱まり、南の空も天気が良くなって行くようで、後山もすっきりと見えてきた。どうやら梅雨は終わりを告げようとしているように思われた。その空を見ながら下山を始める。下山は登ってきた切り開き道を戻って行く。始めは展望を楽しみながら、そして途中はブナ林を楽しみながらのんびりと下ったのだが、下山は42分で終わってしまった。もうこれは低山並みの気楽さだった。こうなるとまるで別の山に登ったようなもので、登山としては少々物足りなさを覚えた。ただ山頂展望は十分に魅力あるので、次に訪れるのなら糸白見からの切り開き道が面白そうだった。糸白見林道を起点付近から歩けば標高差900mを楽しめることになり、十分に手応えがありそうだった。それを思うと東山もけっこう楽しめる山として人気が出てきそうな予感がしたが、何と言っても中国山地では5本の指に入る高峰なのだから、今までが不遇過ぎたと言えるかも知れない。 その東山からの帰路は智頭町には向かわず、林道を東へと走って、吉川集落へと下りて行った。林道は終始舗装路で、スムーズなものだった。これなら東山に来るのは国道29号線経由の方が良さそうに思えた。これで29号線からアプローチ出来る若桜の山は、氷ノ山は言わずとして、陣鉢山に大ボウシ、くらます、鳴滝山、東山などなど、登り甲斐のある山がそろったことになり、改めて魅力的な山域だと思わされた。 (2011/7記) |
<登山日> | 2011年7月9日 | 9:53作業道入口スタート/9:57登山口/10:51〜12:08山頂/12:50作業道入口エンド。 | |
(天気) | 雲の多い空で、湿っぽい空気だった。登るほどに少しずつ青空が増えてきた。山頂の気温は25℃。山頂は西風が強く吹いており、十分な涼しさだった。その風のおかげか、視界は良く澄んでいた。ただ晴れていたのは北から東の方向で、西はガス雲が多く残っていた。午後に入ると晴れ間が広がってきた。但し樹間を下るとあって、あまり直射光は受けなかった。 | ||
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