丸亀港から渡れる島として本島と広島があり、どちらもハイキングコースがあって分県登山ガイドに紹介されている。この二島のハイキングを楽しもうと向かったのは2024年3月8日のことだった。その日は島には渡らず、翌日の9日になって向かったのは本島だった。ガイドブックには遠見山と八ヶ峰の二山が紹介されていたが、遠見山に近い位置に高無防山があり、その名に惹かれたことと三角点ピークであることから、遠見山と高無防山の二山を登ることにした。但し高無防止はヤブ山のようだった。
この日の天気予報は朝こそ晴れだったが、10時頃には曇り空に変わると予想されていた。その天気予報通りに丸亀市の朝の空は快晴だった。本島行きの船は朝早いうちに二便あり、三便目は少し遅く丸亀港を10時40分発だった。その三便目に合わせるべく丸亀市内のホテルをチェックアウトぎりぎりの時間に出た。グループで島に向かう人もいて、フェリーはまずまずの賑わいだった。快晴の空はまだ続いており、戦場からは朝の光に照らされた瀬戸大橋が眺められた。その晴れていた空は乗船中に天気予報通り曇り空に変わってきた。下船すると、ガイドブックの紹介コースで遠見山を登ろうと、始めに海沿いの車道を左回りで歩き始めた。本島小中学校の前を通り、塩飽勤番所の前を通った。島の東海岸側を歩くようになると、常に瀬戸大橋を眺めながらとなった。小さな島を走る車は少なく、静かな車道歩きだった。本島に関しては特に情報を持たずに来たのだが、笠島地区に入るとそこは「重要伝統的建造物群保存地区になっていた。江戸後期から続く古い家並みが見事に保存されており、ちょっと感銘を受けた。その頃には一時的とは思われたが、青空が戻っていた。おかげで明るい中で町並みの散策を楽しめた。その笠島地区の中から遠見山への登山道が始まっていた。あまり歩かれていないようで一部はヤブっぽくなっていたが、急坂は無く、まずは無難に登って行けた。中腹まで登ると一度林道に合流した。長徳寺から来ている道で、港からは近道となるコースだった。合流点の近くにはトイレが作られており、遠見山の散策コースのために作られたと思われた。その遠見山の散策路はすぐに林道から分かれた。ほぼ丸太の階段道になっており、入口から山頂まで200mだった。その易しい遊歩道を登っていると、途中に「おやみ堂」があり、また展望岩もあって変化のあるコースだった。「おやみ堂」へ寄り道したこともあって、登山口から8分かかって山頂に到着した。山頂には東屋が建っており、そこは瀬戸大橋の展望台でもあった。昼になっていたので東屋で昼食とした。その昼休憩をしているうちにまた上空に雲が広がってきた。山頂で休んでいたのは17分ほど。次は高無防山だった。登山口まで戻ると林道を更に北西へと歩いた。緩やかな上り坂で高無防山に近づいた。その高無防山へは点の記を参考にして東斜面に取り付くつもりだった。ただ地形図を見ると南東尾根にも興味があった。その南東尾根の位置まで来たとき、どうもヤブの尾根を長く歩く必要がありそうに思えて取り付くのを諦めた。実際はそこに目印テープがあり登山道が始まっていたのだが、そのときは見落とすことになった。東斜面側まで林道を歩くと、そこに目印テープを見た。そこが取り付き地点だと直感して。ヤブの斜面に取り付いた。後は山頂を目指してヤブコギで登って行くのみ。ヤブと言っても軽いもので、シダが現れてもきつくはならなかった。それでもどうしても歩き易い所を選んで登るため、山頂から見て100mほど北の位置に出ることになった。後は北尾根を登って山頂到着となった。三等三角点(点名・高無坊)を見るものの、周囲はすっかり樹林が囲んでおり、展望は全く無かった。その山頂で登山道が有ることに気付いた。南東方向から来ており、どうやら南東尾根に登山道が付いていたようだった。そこで下山は登山道を下って行くことにした。ヤブっぽい登山道だったが、道ははっきりしていたため外すことは無かった。下るうちに前方に展望が現れて、与島の方向が眺められた。そして13分ほど歩いて無難に林道に下り着いた。合流点には標識こそ無かったが、赤テープが付いていることに気付いた。その林道に立ったときは13時35分だった。次の船は14時20分発だったので、何とか間に合いそうに思えた。その船を逃すと次の船は3時間後だった。そこで少し早足気味に林道を歩いて泊港を目指した。長徳寺への道に入り、島の外周路に合流すると塩飽勤番所の前を通ってひたすら早足気味に歩いた。おかげで港には14時15分に着けて、ぎりぎり乗船に間に合った。
(2024/3記) |