中津富士とも呼ばれる祖谷の名峰、中津山に向かったのは2020年8月のお盆休暇中のことで、四国山行三日目だった。前夜は祖谷のかずら橋に近い旅館に泊まったのだが、その旅館に入る前に中津山の登山口を下見していた。中津山は南面側にある田ノ内集落からのコースを登る予定だったので、田ノ内集落への林道に入ってみると中津山の標識を見た。後はそれに従って走ったのだが、山の斜面に広がる田ノ内集落は標高800mまであり、一番高い位置に建つ民家の前で林道は終点となった。終点の位置から登山道が始まっており、そこに中津山登山口の標識を見た。その下見のおかげで翌日の登山口までのアプローチはスムーズで、何の迷いもなく林道終点まで走った。問題は駐車場所だったが、林道の終点位置に出来るだけ路肩に寄せて駐車した。その旨を民家の人に伝えようと声をかけたが、その日は無人のようだった。そこからの登山の様子は下の写真帳をご覧いただきたい。地形図には南西尾根上に破線路が描かれていたが、林道終点からのコースは描かれていなかった。その描かれていない小径を歩き出すと、植林地の中を北西方向へと登り、7分ほどで破線で示されていた尾根上のコースに合流した。後は北東方向へと植林地の尾根を登って行くことになった。気温は高くはなかったが、ずっと登りが続くことで、けっこう大汗をかいての登りだった。そのまま地図の破線路コースを登るものと思っていると、途中で尾根筋を離れて尾根の東斜面をトラバース気味に歩くようになった。GPSで位置を確認すると、993m三角点の辺りだった。その993m三角点は登山道のそばでは無かったため、通り過ぎていた。巻き道は尾根筋から大きく離れてはいなかったが、すぐに尾根筋に戻ることはなく暫く続いた。周囲は植林地ばかりではなく自然林になることもあった。標高にして1200m辺りまで登ってきたとき、漸く尾根筋に戻って尾根上を歩くようになった。その尾根上を歩いているとき、左手が開けることがあった。そこは崩壊地になっており、ちょっとした展望地だった。そこから見えていたのは西向かいの国見山で、20年ほど前に登った山であることを思い出した。尾根歩きを続けると、山頂が近づいて急坂が現れた。そこを登りきる頃には周囲は笹が増えていた。但し道ははっきりしており、歩く妨げにはならなかった。急坂が終わって緩やかな道となると、前方に建物が見えてきた。それは山頂に建つ中津山大権現本殿で、山頂到着は歩き始めてから1時間45分が経っていた。辺りはすっかり境内の雰囲気で、黄金の池がアクセントになっていた。その山頂には北側から林道が通じており、大権現本殿のそばまで来ていた。そして弘法大師像の建つそばに一等等三角点(点名・中津山)を見た。山頂は休むには良い所で、西の方向が見える開けた所にはベンチが置かれており、そこに座って涼しい風を受けていた。本殿の東側にも展望があり、さん徳島高知の県境尾根が眺められた。長閑さのある山頂で休んでいたのは50分ほどのこと。下山は登ってきた北西尾根コースを引き返した。易しい道を下る一方だったので気楽な下山だった。この下山では巻き道から尾根筋に戻ったとき、往路で訪れていなかった四等三角点(点名・田ノ内)に立ち寄った。登山コースから離れた尾根上にあり、植林地の真っただ中だった。後は登山道をひたすら辿って登山口へと戻った。山頂での休憩時間を入れるとトータルで4時間のハイキングになっており、十分に中津山を楽しんだと思えた。下山後は近くにある祖谷渓温泉で汗を流したのは言うまでもない。
(2020/10記) |