TAJIHM の 兵庫の山めぐり <沖縄県の山 
 
石川岳    いしかわだけ 203.9m うるま市・恩納村
(沖縄県)
 
1/2.5万地図 : 石川
 
【2006年1月】 No.1 2006-08(TAJI&HM)
 
    金武町の海岸線より 2006 / 1

 2006年1月初めに3泊4日で、沖縄へハイキング旅行に出かけた。主目的の与那覇岳には3日目の10日に登り、4日目の11日は午後の便で那覇空港を発つ予定だった。その4日目も午前をハイキングしたいと思い、その山として考えたのが恩納岳だった。沖縄で滞在したホテルが恩納村にあったこともあって、恩納岳の優美な姿を毎日目にしており、この山に登りたいと現地に着いてから考えたことだった。ただこの山に関する情報を持っていなかったため、恩納村役場で聞くことにした。
 11日の朝8時にホテルをチェックアウトして、まず恩納村役場に向かった。この日は曇り空だったが、国道58号線から恩納岳の美しい山容が間近に見えていた。恩納村はリーゾト地と多くのホテルを持っているため裕福なのか、その役場はとうてい村役場と見えない立派なビルだった。さっそく観光課へ行き恩納岳を尋ねると、意外にも登山道は無いと言われてしまった。そう言われれば引き下がざるを得ない。しかしコースが無いのは恩納村側で、東海岸側の金武町からはあるのではと、あきらめずに金武町役場に向かった。その金武町の役場で言われたのは、裾野は米軍の演習地で入れないという。もうどう考えても登山は無理と思える返事だった。そこで恩納岳登山はあきらめることにしたが、午前中のハイキングとして近くに手頃な山はないかと、金武町役場のパソコンを借りて調べることにした。そして見つけたのが石川岳だった。高さは200mほどとごく低山だったが、金武町の隣の市であるうるま市の境にあり、登山道のあることも分かった。さっそく石川岳へと向かった。起点は「石川少年自然の家」とのことで、まずはそこを目指して行く。金武町役場から10kmほどの距離だった。国道329号線を走って行くのだが、石川岳と思えそうな方向を見ると、二つの山が並んでいた。高い方の山頂には何やらドームのようなものが建っており、そこからは展望が広がっていそうに思え、それが石川岳ではと考えながら向かった。「石川少年自然の家」の敷地に入ると、広い駐車場を見たので、そこに駐車とした。敷地を通る車道は坂道となって石川岳方向に向かっており、その道路の入口にあった標識に石川岳の名を見た。さっそく準備を済ませ、車道を歩き出す。少し登ると白い建物があり、その先で道が二手に分かれたので、真っ直ぐに山に向かう道を進んだ。すると土道となり、すぐに終わってしまった。どうやら間違えたようである。引き返して建物の裏側に回る道に入った。その道は程なく落ち着いた風情の中を土道となり、そして道幅が狭まって登山道となって斜面を登り出した。登山道の入口には標識があり、A,B,Cと3コースがあることが記されていた。ただ始めは3コースとも同じ道のようだった。すぐに「息切れの坂」と名付けられた急坂が始まった。暑い季節には厳しい所と思われるが、冬とあっていい感じで登って行けた。そこを越すと、緩やかなままに尾根に近づいた。コースは終始樹林に囲まれていたが、はっきりとハイキングコースとして整備されているので、標識に従って気軽に登って行けた。ただ沖縄の山にしては松の多い木々といい、丈の低い笹の風景といい、本土の低山を登っているような雰囲気だった。地図を持っていないため山のどの辺りを登っているのかはっきり掴めなかったが、山頂から東に延びる尾根に向かっているように思えた。その尾根に出た所で、山頂方向へと道は向かい出した。そしてすぐにAコースとB,Cコースが分かれた。Aコースが山頂へと向かっていたので、Aコースを辿ることにした。緩やかな登りが続いて、下山路が分かれた所より向きが北に変わると、その先で突然樹林を抜け出した。そこが山頂だった。一帯は赤土が剥き出しで、最高点に三角点が置かれおり、そのそばに小さな展望台があった。そして低木が取り囲んでいた。どうも遠くから見たときは、二つ並んだピークの高い方を石川岳と考えていたのだが、低い方だったようである。高い方のピーク(後に屋嘉岳と分かったが)を見ようとミニ展望台に上がった。間近に見えたそのピークにある巨大なドームは、どうやらレーダー施設のように思えた。そうなると米軍関係の施設となり、立入禁止ではと思えた。その右手遠くには恩納岳も望まれた。恩納岳はその位置からも優美な姿で見えており、沖縄の名峰ではと思えた。その石川岳山頂はミニ展望台に立たなくても展望が開けている方向があり、それは南の方向で、金武湾と石川市街が一望だった。午前中は石川岳山頂で過ごそうと考えていたのだが、時間はまだ10時を回ったばかりであり、また曇り空で少し肌寒いこともあって、今少し体を動かそうと、B,Cコースも探ってみることにした。一度AコースをB,Cコースの分岐点まで戻り、B,Cコースへと入った。このコースは分岐点から北西方向へどんどん下って行くことになった。始め「涼風の森」と名付けられた辺りの木々は、ごく普通の雑木林の雰囲気だったが、次第に亜熱帯林が占めるようにり、それが鬱蒼とし出すと森の名も「原始の森」と変わった。その原始の森に入って平坦部に下り着くと、フィールド・アスレチックの場になっており、そこは「ターザン広場」と名付けられていた。歩くほどに風景に変化があってなかなか面白いコースと言えた。そこがB,Cコースの分岐点にもなっていた。Cコースは山頂から更に離れる方向に向かっていたため、Bコースを登って山頂に近づくことにした。Bコースの急斜面を一気に登って行くと、山頂へと向かう尾根に出た。そこから再び山頂へ向かっても良かったが、南へはその尾根を越して「お城の展望台」へと下る道が見えていた。その道で下山出来そうなので、まずまずハイキングも出来たことでもあり、その道で帰ることにした。「お城の展望台」への道はもう立派な遊歩道で、数分で展望台に着いた。なるほど西洋のお城を模していたが、そこからの展望は金武湾を望めたものの、山頂展望のスケールダウンだった。そこを過ぎるると「石川市民の森」に出た。そこも石川岳の登山口だったと言うことになる。その「石川市民の森」から「石川少年自然の家」の駐車地点までは、麓郷橋を経由して12分ほどの距離だった。
 この石川岳を離れるにあたり、「石川少年自然の家」の事務所に立ち寄って石川岳登山のチラシをいただいた。それによるとAコースは1時間コース、Bコースは2時間コース、Cコースは3時間コースと記されていた。但し、小学生を対象としての時間設定のようだった。これで沖縄ハイキング旅行を終え、那覇市へと向かった。16時の便に載る予定だったので、それまではフリータイムだった。せっかく沖縄に来ていたので少し観光をしようと、国際通りで昼食を済ませた後、首里城へと足を向けた。姫路のお城と見比べても堂々とした城郭で、その城内に入っていると、陳舜臣氏の大河小説「琉球の嵐」が思い出されて感慨深いものがあった。
(2006/1記)(2019/12写真改訂)
<登山日> 2006年1月11日 9:44スタート/10:44Aコース・Bコース分岐点/10:09〜21山頂/10:36ターザン広場/10:49お城の展望台/11:03麓郷橋/11:08エンド。
(天気) 一部に青空が見えるも、ほぼ曇り空。ただ雨の心配は無さそうだった。南西からの強い風があり、山頂では肌寒さを感じた。但し気温は18℃、視界はまずまず良かった。
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駐車場に車を止めて歩き始めた 敷地内の舗装路を歩いて行く 遊歩道が続いた
登山道は「息切れの坂」で始まった 登山道は終始樹林に囲まれていた 赤土が広がる山頂にはミニ展望台が立っていた

ミニ展望台のそ
ばに三角点を見


ミニ展望台に立っ
て隣の屋嘉岳を望
む 遠くには恩納
岳も見えていた
屋嘉岳を大きく見る 恩納岳を大きく見る 山頂からは南に展望が開けていた

(←)
南の展望は金武湾
と石川市街の風景
だった

   (→)
   市街地を大きく見る
B,Cコースに入ってターザン広場に出た そこにあったブランコでパートナーが遊んでいる ターザン広場でBコースとCコースに分かれたので、Bコースを登って行った  尾根に出ると、石川市民の森コースに入って下山とした 登山口の近くで「お城の展望台」に出会った