かねがね大隅半島の山旅をしたいと考えていた。2025年は3月に入って、春分の日の週が好天になる確率が高いと分かると、すぐに休暇を取り鹿屋市内に宿を求めた。その移動手段は現地までロングドライブをすることにした。18日は移動日。未明の3時半に自宅を出発すると、後はクルーズコントロール機能にまかせて80〜85kmの速度でのんびりと高速道を走った。九州全域で大雨となったの誤算だったが、850kmを走って鹿屋市内には15時過ぎの余裕の到着だった。
この日の朝の空は晴れていた。ただ天気予報では昼前より曇りとなっていた。鹿屋市街より1時間半かかって南大隅町の外之浦港に着いたのは10時半過ぎ。上空は雲が増えていたが、まだ晴れと呼べる空だった。外之浦港のそばに数台分の駐車スペースがあり、そこに駐車とした。その駐車場から見える摺ヶ丘は途中の大泊港から見えていた三角錐の姿では無く、緩やかな東尾根が見えており台形の姿で眺められた。まずは走ってきた方向、大泊港の方向へと歩いた。北を見ると、赤い鳥居が山裾近くに眺められた。それが登山コースにある内神神社と思われた。それをまずは目指すことになった。外之浦コミュニティセンターの先で尾根へと向かえる道が始まっていた。そこを摺ヶ丘の登山口と言っても良さそうだった。階段もあって内神神社の参道とはっきり分かった。すぐに赤い鳥居の前に出た。その前に建っているのが内神神社だった。鳥居のそばから山道が始まっており、その入口に摺ヶ丘の登山口標識を見た。その位置が正しい登山口なのだろうが、県道そばにも標識があっても良いのではと思った。意外だったのはそこから始まる登山道がいきなりヤブっぽかったことで、小枝を除けながら登山道に入った。それも少し登るとヤブっぽさは消えて、一安心となった。それでもマイナー感は拭えなかった。その登山道はすっかり照葉樹林に囲まれており、いかにも大隅の山を登っている実感を持てた。その雰囲気を味わいながら登って行くが、展望は皆無だった。細々とした所々で分かり難くなっていた。それも目印テープが点々と付いており、コースを外す心配は無かった。小さなピークを越しながら徐々に高度を上げていたが、標高150m辺りから急坂が続くようになり、ロープを掴んで登った。それも主コースに合流すると一気に緩やかな道となった。麓から見えていた東尾根に入ったようだった。その東尾根にも小さなピークがあり、なかなか山頂に近づかなかった。途中に開いていた穴は、戦争時のものかと思われた。大泊コースと合流すると、そのそばに石垣があり、その上に立つとそこが山頂だった。山頂はごく狭い範囲で開けていたが、南の方向以外は木々が茂っており好展望とは言えなかった。西の方向は少し木々が少なめで、足下に大泊港が見えていた。南は良く見えており、太平洋が広がっていた。その洋上にごく薄っぺらな島がうっすら見えていた。どうやら種子島と思われた。尾根を歩くうちに徐々に雲が増えて陽射しを受けることは少なくなっていたが、山頂に着いたときはほぼ曇り空に変わっていた。それでも休む中で何度か陽射しを受けることがあった。山頂で昼食を終えると、下山は大泊コースを下ることにした。山頂の側から始まるその大泊コースはいきなり急坂が続いた。ロープを掴みながらの下りを70メートルほど続けると、漸く傾斜は緩んで後は適度な斜度の下り坂となった。その大泊コースも周囲はすっかり照葉樹林帯が囲んでおり、展望は無かった。ただ樹林の美しさを楽しみながら下った。こちらも道筋のはっきりしていない所が現れたが、目印テープは点々と続いており、それを追って下った。なぜか下りきった最後の辺りは笹ヤブになっていた。手でかき分けるほどでは無かったが、用水路沿いの踏み跡を辿ると、突然と言った感じで集落内の小径に合流した。県道に出ると、後はひたすら県道を歩いて外之浦港へと戻って行った。車道歩きは40分ほど続けることになったが、結果として周回で楽しめた摺ヶ丘登山だった。
(2025/4記) |