2009年1月初めに二度目の沖縄山行に出かけたが、その主目的の山は玉辻山と言っても過言でない。3年前の2006年に与那覇岳も嘉津宇岳も登っており、その残りの山となるとずっと小粒になってしまうが、「新・分県登山ガイド 沖縄県の山」を開いて沖縄本島の山を眺めたとき、この玉辻山を紹介する言葉が気に入った。「山頂からの景観の素晴らしさは沖縄随一といっても過言ではない。」と書かれており、魅力的な言葉だった。
玉辻山は沖縄本島の北部、大宜味村と東村の境にあり、本島北部を広く占めるヤンバルの森の中では南部に位置する。向かったのは沖縄山行の二日目のことで、前夜は名護市南部のホテルに泊まっており、8時を回ってホテルを離れた。この日は荒々しい天気の日だった。雨こそ降っていなかったが、黒い雲が空を覆っており、台風並みに強い西風が吹いていた。ただ強風のおかげで雲がちぎれるときがあり、そのときは陽射しが現れた。名護市内を抜けて海沿いの国道58号線を北上していると、暗い海が少し明るくなった。そして陽射しが漏れてきたかと思うと、海上に見事な虹が現れた。海の虹を見ることはこれまであまりなかったので、ちょうどパーキングエリアが現れたのを幸いに、車を止めて虹を眺めることにした。エメラルドグリーンの海と七色の虹とで作る風景はきれいの一言だった。ただ虹は長くは続かず、1分と経たないうちに淡くなり、そして消えてしまった。ちょっと得をした気分になって北上を続けた。強い風のために、ときおり波しぶきが車道にかかることもあった。国道を58号線を白浜入口交差点で離れて、東海岸に向かう県道に入った。レンタカーのナビは東村役場にセットしていたので、そこまではすんなり走れた。後はガイドブックの記事を頼りに福地ダムを目指す。少し迷ったものの福地ダムに着き、そこより戻る形で登山道となる林道を探すと、そこと思える位置に林道を見たのだが、ガイドブックに書かれていた登山口の標識は無かった。場所としてはそことしか思えず、いぶかしながら林道に車を入れた。その先で林道が荒れだしたので、ちょうど現れた小さな広場に駐車とした。ヤンバルの天気は名護よりは少し良いようで、雲が多いながらも晴れ間の覗く空だった。但し風は相変わらず強かった。9時までにはスタートしたかったのだが、少し迷ったこともあり、歩き始めたのは9時を20分近く過ぎた時間だった。林道は荒れていたものの、それは一部だけだったようで、少し進むと普通車でも進めそうな感じになってきた。10分と歩かぬうちに反射板の建つ位置に着いた。その先も林道は続いていたが、大きなブロックが道を塞いでおり、立て札には車両進入禁止とあった。またブロックに貼り紙があり、玉辻山の名が書かれているのを見た。ここに来てようやく正しく玉辻山に向かっていることを確信した。その頃には上空は雲の切れ目が多くなっており、陽が射したり陰ったりを繰り返していた。ガイドブックを見ると、このコースで一カ所だけ山頂の望める位置があり、そこに三角点があると書かれていた。その位置はコース上にあると推測して注意しながら歩いていると、程なく左手の丘に向かう小径が現れた。そこからも展望があるのではと思えて、その小径を登ってみると、すぐに四等三角点(標高186.6m)の前に出た。三角点は登山コースから少し離れていたようで、偶然に三角点の前に出たことになる。その位置より玉辻山が見えるとのことなので辺りの展望を探ると、三角点の近くから北の方向、少し遠くに三角錐をした姿の良い山が望めた。一瞬それが玉辻山ではと思ったが、地図で確認すると、その左手奥の今少し高いピークが玉辻山のようだった。三角点の位置こそ勘違いしていたが、コースとしては登山道を北に向かってただ真っ直ぐ歩いて行けば良いはずだった。コースに戻って玉辻山を目指して行く。この道は表面が粘土質でけっこう滑り易くなっており、少し注意が必要だった。そこで足下に注意しながら慎重に歩いていると、少し明るい所に出た。そこには立て札が立っていたのだが、それを見て愕然とした。何と「玉辻山は入山禁止です」と書かれており、大宜味村の名があった。理由は「保全のため」としか書かれていなかった。これを見て、何とも理不尽なことだと怒りの感情が湧いてきた。登山道としては滑り易いことぐらいで、特に危険なことも無く、周囲も荒れた風には見えなかった。暫く立っていると怒りの感情も鎮まってきて、何の理由も無く「立入禁止」と書いていることに疑問が湧いてきた。立てたのが東村では無く大宜味村であることも興味深かった。そこで大宜味村には悪いが、登山禁止の背景が登山道の荒廃によるものか、それとも別の理由なのか新たな興味が湧いて、そのまま進んで行くことにした。登山道は変わらず緩やかに続いていた。その先で道が「V」の字状にえぐられた所が現れたので、一歩一歩を置くようにして歩かなければならなかったが、それでも危険な感じは無かった。道そばで目立ったのが小動物用のワナで、マングースの捕獲を目的としているようだったが、点々と置かれていた。登山道は滑り易い所もあれば普通に歩ける所もあり、ただひたすら緩やかに続いた。周囲は深い木立で、展望は無かった。そして山頂が近づいたとき、また「玉辻山は入山禁止です」の標識が現れた。それも大宜味村の名だった。そこが急坂の起点で、その坂を一気に登って行った。暑い季節なら大変だと思えたが、この日は10℃と沖縄では滅多に無い低温とあって、その冷気を快く感じながら登った。するといきなり視界が開けてきた。背後を見ると、びっくりするぐらい広々とヤンバルの森が広がっていた。そして強風を受けることになった。本当に台風並みの強風で、細かい雨粒も飛んできた。これでは山頂に立つと、すぐに引き返さなければと思ってしまった。一度急傾斜が緩んで小さなピークに着き、その先でまた急傾斜が始まった。ただ山頂までの距離は短いので、休まず登って行った。そして次のピークが山頂だった。ごく狭い山頂で、東を除いて木立が囲んでいた。その中央にぽつんと三等三角点(点名・玉辻山)が置かれていた。300mに満たないごく低山だったが、よくぞはるけき所まで来たとの感慨が湧いてきた。眼前にはヤンバルの森がただ蒼々と広がっており、本土の山では味わえない独特の豊かさが感じられた。ただ山頂は一段と強風の世界で、立っているのがやっとの状態だった。その上空を見ると黒雲が広がっているのだが、西の空には青空が見えていた。雲の流れは速かったので、今少し待っていると陽射しが現れそうに思えた。厳しい山頂だったが、青空が来るのを待つことにした。待つ間に北の方向を見ると、木立を通してちょっと高い山が見えていた。そのなだらかな山容からして与那覇岳ではと思われた。この玉辻山から北は、ずっとヤンバルの森が続くのであろう。山頂で待つこと20分ほど。ようやく青空が現れて、山頂も周囲の森も陽射しに照らされ出した。先ほどまでの暗い風景がさっと明るくなり、森の木立も一本一本がくっきりと見えてきた。その美しさに待った甲斐があったと言うものだった。この風景が見られたことで、もう思い残すことは無く、下山に移った。二度の急坂を慎重に下ると、後は緩やかな登山道を滑らないように、これも慎重さを持って歩いた。それにしても特に荒廃した所も見えず、ただ登山道で深く抉れた所が歩き難いことだったが、それをわきまえて丁寧に歩けばよいだけのことで、登山禁止にすることも無いのではと思われた。この下山時にも四等三角点のある187mピークに立ち寄って、明るく照らされた玉辻山を眺めることが出来た。そして山頂に立てたことの喜びが改めて湧いてきた。
この日の午後は大宜味村のまっただ中の山、塩屋富士に登ったのだが、その登山は別として、山中に舗装路が縦横に走っているのを見た。それも林道の域を越えた立派な舗装路だった。これは完全な自然破壊もよいところで、玉辻山の登山禁止が自然保護を目的としているのなら、何とも矛盾していると呆れてしまった。
(2009/4記)(2013/3改訂)(2018/1写真改訂) |