2024年1月は仕事が忙しく、しかも出張が続いてほぼ休み無しで働いてしまった。その1月が終わりに近づいたとき、2月の第一週はずっと休めることになった。そこで暖かい地で過ごしたいと考えた。但し山登りが前提としてあるので、好天の期待出来る所に行きたかった。週間天気を調べると、どうやら沖縄地方が数日好天が続きそうだった。沖縄なら本島ではなく離島が面白いと思えたので、分県登山ガイドを眺めると久米島では宇江城岳とだるま山が紹介されていた。国土地理院の地図を見ると他にも山名の付く山が散見出来た。そこで久米島に行こうと決めると、早速行動に移した。2月は沖縄観光の閑散期なのか、すぐに航空券がとれるとホテルもレンタカーもスムーズに手配出て来、一時間後には完了していた。出発は予約を入れた5日後の1月31日だった。
この日は始発の姫路発の空港バスに乗って伊丹空港へ。JAL機で那覇空港経由で久米島空港に降り立ったのは14時半のことだった。久米島の空は天気予報の曇りとは違って、良く晴れていた。この日は移動日としていたので、レンタカーの予約は翌日からにしていた。そのため兼城のホテルまではバス移動だった。ホテルには15時15分のチェックインで、窓から見る外の景色はまだまだ明るかった。ここで思い出したのが久米島は日本の西端に近い位置にあることで、日の入りは関西地方とは1時間ほど遅いことだった。そうなるとまだ3時間ほどは明るいことになるので、すぐに行動開始することにした。兼城のレンタカー店に電話を入れて交渉すると、何と今すぐホテルまで車を届けてくれることになった。借りる手続きはホテルの前で行い、16時前には出発となった。
この宇江城岳は山頂そばまで車で行くことが出来て、久米島観光の目玉の一つになっており、登山対象とは言えなかったが、分県登山ガイドでは車道を少し離れた位置からスタートしていた。その考えも有りだったが、地形図では北麓側から破線路が描かれており、そのコースが面白いように思えた。その北麓は宇江城集落で、久米島は小さな島とあって20分も走れば着くことになった。地図の破線路は比屋定小学校のそばから始まっているのだが、着いてみるとその小径が見当たらなかった。近くにいた人に聞いてみると、どうも無さそうだった。その人に宇江城城跡への道を尋ねると、城跡への車道は現在工事中で、その替わりとなる回り道を教えてもらった。その道を間違わないように慎重に車を進めると、何のことはない代替コースにも標識が付いており、スムーズに宇江城城跡に近づけることになった。進むうちに前方にいかにも城跡がありそうな特徴的な山が見えて、一目で宇江城岳と分かった。車道歩きは気が進まないためどんどん車を進めると、車道の終点が宇江城城跡の駐車場だった。案内標識を見ると、そこは城跡の「三の郭」だった。もう登山ではなく観光だったが、城跡は現在工事中で、山頂へは鋼板の仮歩道を歩いて近づくことになった。二の郭の広場を通り、2分も歩けば山頂となる一の郭に着いた。石垣が周囲を巡っており、山頂の中央には一等三角点(点名・久米島T)が置かれていた。城跡の雰囲気に浸るのも良かったが、そこは素晴らしい展望地でもあった。西の方向を除いて北から東、南に視界を遮るものは無かった。南に対峙する大きな山はアーラ岳と思えた。そして北と東は大海原が広がっていた。その大展望をパートナーと二人して存分に楽しんだ。初日に宇江城岳に立ったことで久米島の全景を掴めたのは良く、すっと久米島に溶け込めた思いになれたのは良かった。15分ほど山頂で過ごすと後はホテルへとドライブをしながら戻ったのだが、ホテルに着いてもまだ17時半でありまだまだ明るかった。陽が沈んだのは18時15分だった。本当に久米島は日本の西端にあることを思い知った。
(2024/2記) |