TAJIHM の 兵庫の山めぐり <沖縄県の山 
 
名護岳    なごだけ 345.2m 名護市(沖縄県)
 
1/2.5万地図 : 仲尾次
 
【2009年1月】 No.1 2009-05(TAJI&HM)
 
    嘉津宇岳より  2006 / 1

 2009年は正月休暇明けの次の週に、二度目となる沖縄山行に出かけた。前回は3年前の2006年の同じ1月だったが、このときは沖縄の山に関する資料を得ることが出来ず、そこで道路地図と観光ガイドブックだけを頼りに手探りで登ったものである。ところがその直後の2月に新分県登山ガイド「沖縄県の山」が刊行された。それを見ると1月の山行で登った山はそこでも紹介されており、人気のある山であることが分かった。ただ名護岳や玉辻山など見落としていた山が載っており、前もって知っておれば登っていたのにと思える山が幾つかあった。そこで機会があればもう一度沖縄の山を登ってみたいと、淡い気持ちながらもその思いを持ち続けていた。その沖縄へ3年後の同じ1月に再び訪れることになったのは、マイレージの期限切れが迫るという理由で冬の避寒旅行を計画してのことだった。パートナーに九州か沖縄の方向で打診すると、パートナーも以前から沖縄を再訪したい気持ちがあったようで、即座に沖縄へ行こうと決まった。そして3連休のある週が良いと、前回と同様に正月明けの3連休に一日の休暇を足して4日行程で計画したところ、マイレージの枠は決まっており、12日は帰りの便がどうしても取れなかった。そこで11日に帰ることにしたが、3日間を有効に使おうと、行きは8日の神戸空港発最終の沖縄便(19:40分発)に変えて旅程を決定した。
 8日は仕事を終えるとすぐに神戸空港に向かった。三宮駅でパートナーと合流する。飛行機に遅れは無かったものの最終便はやはり遅く、那覇市内のホテルには22時半を回っての到着だった。ちょっと寒さも感じる夜で、あまり沖縄入りの実感は無かった。その沖縄に来て一つの心配を持っていた。それは天気のことで、8日の夜は曇りであり、予想では9日は小雨、そして10日、11日は曇りと思わしくなかった。ただ小雨程度なら登ろうと考えており、3日間とも何とかなるのではと楽観的な気持ちもあった。翌9日の朝はレンタカーを借りることから始めた。モノレールを「おもろまち駅」で降りて、駅そばのDTSビルにあるレンタカーセンターに向かう。レンタカーの手続きを済ませて出発したときは9時半になっていた。この日、目指した名護岳は名護市街の東に佇む小さな山で、ガイドブックの「沖縄県の山」によると、中腹の名護青年の家まで車道が通じているようだった。その名護岳へと沖縄道をひた走り、終点の許田ICを下りる。暫くは名護湾沿いの国道58号線を走る。3年ぶりに見る海岸風景が懐かしかった。レンタカーのナビを名護青年の家に設定して向かっていたところ、名護岳のふもとのにある名護中央公園の入口(南口)で通行止めに会ってしまった。その先で道路の補修工事が行われているようだった。通行止めを無視して中に進む車を見かけたが、その公園の入口から歩き出しても名護青年の家までは30分とかからない距離と思えたので、公園の駐車場に車を止めて歩き出すことにした。駐車場からは車道以外にも階段の遊歩道が付いていたが、車道沿いの歩道を歩いて行くことにした。そして10分ほど歩いたとき、車に昼食を置いてきたことに気付いた。その位置は階段の遊歩道が合流する地点だったため、遊歩道を一気に下って取りに戻った。そしてまた遊歩道を登って車道に戻ったとき、今度はガイドブックを忘れていることに気付いた。また取りに戻る。別にあわてる必要もないので、ゆっくりと石段を登って行くことにした。石段の両脇には桜の木が続いており、どの木にも数輪の花が咲いていた。ちょっと小ぶりの花で、それが日本で最も早く咲くというヒカン桜のようだった。結局30分ほど時間をロスしてしまったが、車道に戻って車道歩きを続ける。名護青年の家への道は南口からの車道だけではないようで、途中では北からの道が合流した。気温は18℃ほどで歩くには良い感じだった。車の通行はほとんど無く車道を歩くと言っても遊歩道を歩く気分で登って行けた。そして再スタートから20分とかからず名護青年の家に着いた。青年の家は緑色の建物で、その先に丘の感じで小山が見えている。それが名護岳のようだった。車道は建物の横を回っており、そのまま歩いて行く。途中で遊歩道が分かれたが、それは無視して更に進むとキャンプ場に行き着いた。そのキャンプ場の広場の奥より登山道が始まっていた。緩やかな登山道で、丸太の階段道になっている所もあり、ハイキングコースとして良く整備されている印象だった。上空は曇り空だったが、雲に厚みは無く、ときおりは陽射しも現れた。気温は森の中に入ったこともあって、16℃まで下がってきた。歩くうちには緑のトンネルと呼べそうな所も現れて、雰囲気は良かった。またゴミを見ないのも気持ち良かった。ごく小さな山なのだが、常緑樹が鬱蒼としている様は南国の地を歩いていることを実感でき、草にしろ樹木にしろ珍しい姿に右に左に目を楽しませながら登った。他に人影は無くごく気楽に登るうちに、やや傾斜が増してきた。その辺りは丸太の階段道になっており、うっすら汗をかきながら登って行く。その急坂が二度ほどあってピークに着いた。登っている感じからしててっきり山頂かと思ったのだが、そこは狭いピークで展望は無し。目印もなかった。よく見ると北に一段高いピークが見えており、遊歩道はそちらへと続いていた。その先も階段道で、一度下って登り返すこと5分で山頂だった。そこは適度に開けており、ちょうど陽射しがあって芝地の山頂が明るく照らされていた。中央には三等三角点があり、山名標柱が立っていた。やはり名のある山の山頂はそれなりの雰囲気があり、悪くは無かった。但し風が強かった。北西からの風で、陽射しの中では気にならなかったが、陽が雲に隠されるとけっこう肌寒さも感じられた。その山頂の気温は15℃で、沖縄では低温かも知れなかったが、肌で感じるほどの低さでは無かった。その山頂には点々と黄色い花が咲いており、それを前景に広く展望があった。東は太平洋が逆光で光っており、西は本部半島、そして名護湾に東シナ海の風景だった。十分に伸びやかさのある風景で悪く無かったが、惜しむらくは風の強さにもかかわらず視界がうっすらとしていることで、本部半島の先の方は判然としていなかった。山頂にも人影は無かったため、パートナーと二人してのんびりと過ごせた。まずは沖縄山行最初の山に良い感じで山頂に立てたことを、素直に喜んだ。この山頂にもゴミは全く見なかった。スタートでもたついたこともあり、また午後にもう一つ山に登りたいこともあって、20分ほどの休憩で山頂を後にした。その山頂からの下山ルートはすんなり往路を戻るつもりだったが、途中で枝分かれの登山道に興味を持った。分岐点に「南展望台」の標識があり、それに釣られるようにして脇道に入った。すぐに展望台に着くものと思っていると、これが尾根道としてひたすら下り坂となって続いていた。下る方向が駐車地点から離れるようであれば引き返すのだが、尾根は登りで歩いた登山道とは平行しているように思えたため、そのまま下って行くことにした。そして山頂を離れてから30分ほど歩いたとき、舗装された遊歩道に合流した。その位置からは青年の家への道も分かれており、一安心だった。そのまま進むと、その先にあったのが南展望台だが、その名では無く「ガンジュー広場」の名が付いていた。広々とした公園で、一角には駐車場もあったので、車でも来られるようだった。南の位置に展望台があるもののアスレチックの遊具がたくさんあって、どうも運動公園の性格の方が強いようだった。そのガンジュー広場でひとときを過ごした後、少し引き返す形で青年の家への遊歩道に入った。青年の家までは数百メートルの距離でずっと遊歩道が続くのだが、山の地形なりに作られているため、二つばかり谷を渡って尾根を越えることになり、少し疲れた足にはきつかった。青年の家からは午前に歩いた車道を戻るだけだったが、その帰りでもまた寄り道をした。それは名護岳の中腹にある名護城(なんぐすく)に立ち寄るもので、車道から名護城跡への道に入ると、緩やかなままに進んで石段に合流した。その石段は公園の入口から始まっていた石段が続いているもので、それを登って名護城跡に着くと、そこは目立った建物も無く、広場として静かな佇まいを見せていた。その名護城跡以外にも「ノッポ椰子の広場」にも立ち寄ったりと、けっこう寄り道の下山だった。
 名護岳を目指そうと考えたとき、ごく簡単に終わってしまうのではと思ったものだが、来てみると登山以外にも名護中央公園の散策や名護城跡の散策と見所が多くあり、十分に一日かけても楽しめる所だと分かった。最後の石段を下っているときは上空に青空が広がっており、ちらほら咲くヒカン桜が鮮やかだった。あと2週間もすれば満開の見頃を迎えそうで、名護岳は一年で最も華やぐことだろうと思いながら駐車場に近づいた。
(2009/2記)(2018/6写真改訂)
<登山日> 2009年1月9日 11:00公園駐車場スタート/忘れ物があり二度戻ってくる/11:28再スタート/11:45名護青年の家/11:52登山道に入る/12:16手前のピーク/12:21〜40山頂/12:46手前のピーク/13:12〜26ガンジュー広場/13:41名護青年の家/13:56名護城跡/14:12エンド。
(天気) 曇り空だったが、薄い所もあり、薄く青空が覗くこともあった。その薄青空が登るほどに広くなった。山頂では暖かい陽射しを受けた。ただ山頂は強い西風があり、陽が陰ったときは肌寒さを感じた。気温はふもとで18℃ほど、山頂では15℃まで下がっていた。視界は近くはまずまず見えていたが、遠くはうっすらとしていた。下山中はほぼ曇り空だったが、下山を終えたときは駐車場の上空には青空が広がっていた。
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名護城公園の駐車場に車を止めた 公園入口から始まる階段には入らず車道方向に歩いた 車道沿いの歩道を歩いたが
途中で昼食を忘れたことに気付いて引き返した 車に戻って再スタートする 今度は石段を登った 石段から名護市街を見る
車道のそばの樹林を見る 名護青年の家に着いた 緑色の建物の向こうに名護岳が眺められた
車道を歩いて行くとキャンプ場に行き着いた キャンプ場の右奥より登山道が始まっていた 始めにえぐれた所を歩いて先行きを心配した
すぐに穏やかな登山道に変わった 遊歩道の雰囲気で登山道は続いた 歩くうちに木漏れ日も現れて雰囲気は良かった
山頂が近づいて急な階段が続いた 最初に着いたピークは暗く、平凡だった 北に一段高いピークが見えた そちらが山頂だった
一度鞍部に下り、最後の登りにかかった 名護岳山頂に着くと、そこは芝地が広がっていた 山頂の三等三角点(点名・名護岳)を見る
山頂からは西に伸びやかな展望があった 本部半島が一望だったが、あいにくモヤがかっていた ツワブキの黄色い花が花盛りだった

本部半島の山並
みを大きく見る


左上の写真の古宇
利島を大きく見る


 北から東、南の方
 向を見る 太平洋
 が逆光に光ってい
 た
上の写真に写る多野岳を大きく見る 上の写真の右端に見える山を大きく見る 名護の街を見る
下山は往路を戻るも、途中で枝分かれした別の道に入
った
ガンジュー広場に向かう道で、下るうちに遊歩道に合
流した
ガンジュー広場に着くと、バートナーが遊具で遊びだ
した
(←)
ガンジュー広場
から名護岳を望


 (→)
 ガンジュー広場
 の展望台からは
 名護湾の風景が
 望めた
青年の家まで二度の谷越えがあった 名護青年の家に着いて、大木を見上げる 午前と違って明るい名護岳を仰げた
車道を戻るとき、名護城跡に立ち寄ろうと石段を登っ
名護城跡に出ると、そこは広場になっていた 車道に戻るとノッボ椰子の広場にも寄ろうと吊り橋を
渡った
陽射しを受けながら最後の石段を下って行く 石段の両側に植えられたヒカン桜はちらほら咲きだし
ていた
下山を終えて公園入口の駐車場を眺める