92年の2月に宮崎南部の町、都城市に出張に出かたおり、週末が休暇となりそうだったので、登山靴だけは持って出かけた。霧島連山の韓国岳を登ろうとの考えだった。その週末が近づいてきて天気が良さそうだと分かると、ちょっと欲張りな計画を立てた。韓国岳を登るのなら「えびの高原駐車場」から登れば半日程度のハイキングになってしまうと思えて、そこで高千穂峰まで縦走しようと考えたものである。これはけっこうきついスケジュールなので、朝早くから行動することにした。前日のうちにレンタカーを借りて、23日の当日は早朝にホテルを離れてえびの高原へ向かう。えびの高原に着くと、駐車場は有料なのだが、まだ係員が来ておらず、適当に車を止めて韓国岳へとスタートとした。厳冬期と言えるのか南九州の山と言えども、中間地点を過ぎた頃より登山道に雪が見られるようになった。ただ雪はさほど増えず、またコースが易しいので、登山口から1時間ほどで韓国岳の山頂に着いてしまった。足は全く疲れておらず、思っていた以上の気楽さに、何ともあっけない100名山だと思ってしまった。そしてそこから見る霧島の山並みは下の写真の通り迫力のある風景であったので、簡単に登れてしまったこととその素晴らしい風景とのギャップに、少々違和感を覚えたものである。その後は高千穂峰を目指して縦走に移ったが、雪が増えてきた。韓国岳の山頂では5センチ程度だったのだが、獅子戸岳辺りでは10センチを越えるまでになってきた。少々心配したが、新燃岳に着くと、また少なくなって、雪の心配は無くなった。その新燃岳だったが、韓国岳から水蒸気が噴煙のように上がっているのが見えていたのだが、その山頂と言うか火口の最高点に着いてみると、その姿は山と言うよりも火口そのものだった。その火口の大きさに圧倒されてしまった。そして緑色の水をたたえた火口湖がなんとも怪しい雰囲気であり、それに何よりも水蒸気を吹き上げる火口を見ていると、いつ噴火があってもよさそうな不気味さがあった。辺りには誰一人として見えなかった。これは人を近づけない方がよいのではと思いながら、この後は高千穂河原へと下っていったのだが、高千穂河原のコース入口に着いてみると標識が立っており、「新燃岳は噴火の危険が有り、登山禁止」と書かれていた。ここまでで少しは足は疲れていたが、まだまだ元気は残っていた。そこで予定通り高千穂河原から高千穂峰をピストン登山したのだが、こちらは全くの火山を登る雰囲気で、足下には小石が多く、それが滑り易いとあって、けっこう登りにくかった。もうへとへとになって高千穂河原に戻ってきた。もう韓国岳を登って駐車場に戻る元気は無く、そこで車道を歩いて戻ることにしたが、この車道歩きがやけに長かった。2時間半歩き通しで、両足共に痛くなってのゴールとなってしまった。
余談だが、韓国岳と共に登った新燃岳の名だが、韓国岳を知るずっと以前より、なぜかその名を知っていた。それは1972年のことだったが、その年の桜花賞にシンモエダケと言う名の強い牝馬が出ており、その名の由来も知らず応援していたものである。そのシンモエダケが霧島連山の山の名から付けられたと後から知って、山の名前だったのかとちょっと驚いたことを覚えている。
(2003/1記)(2011/1改訂)(2020/9改訂2) |