韓国の最高峰は済州島の漢拏山。済州島の航空運賃はソウル便、釜山便と比べると割高なため後回しにしていたのだが、LCCのティーウェイ航空が関空と済州島を結ぶようになり、俄然割安で行けることになった。そこで漸く漢拏山登山を計画することになったのだが、いざ登山コースを調べると、五つある登山コースのうち山頂に立てるのは城板岳コースと観音寺コースの二つだけであることが分かった。城板岳コースで片道9.6km、観音寺コースも8.7kmあり、歩行時間はそのどちらも片道5時間はかかるようだった。しかも漢拏山は日帰りが原則のようで少し怯む思いも持ったが、登山口との標高差を考えると、スタート時間さえ早くすれば十分に日帰り可能と思えてきたので実行する気持ちに傾いた。そして航空券とホテル状況を考慮して登山日を2018年4月下旬でと決めたのは一ヶ月半前の3月初旬のことだった。4月下旬は晴れが期待出来ることも決めた理由の一つだが、こればかりは予測がつかなかったので雨が続くことも考慮して現地4日の予定とした。日本を出発したのは4月26日の木曜日のこと。ティーウェイ航空の運賃は安く、諸経費込みで往復2万4千円で向かえることになった。TW246便で関西空港を12時55分に発つと、済州空港には定刻の15時に着いた。この日の済州島の空は曇りながら、徐々に晴れに向かっていた。ホテルは済州市内の新済州地区にあったため、空港からタクシーを利用しても4千W(約400円)となかなかの安さだった。そして16時半にはホテル到着となった。天気予報は翌27日から数日好天が続くとなっていたので、早速27日に漢拏山に向かうことにした。予定コースは往路は城板岳コースで登り、下山は観音寺コースを下ることにした。
早朝登山を目指して翌27日は5時半起床とした。そして慌ただしく身支度をしてホテルを出たのはまだ薄暗さのある6時過ぎだった。上空を見ると天気予報とは違って上空は雲が広がっていた。それでも天気予報を信じて登山決行とした。ホテルの前は大通りで、通りがかったタクシーをつかまえて行き先として城板岳登山口を告げた。すると運転手は何やらそのコースが危ないようなことを言い出した。運転手はこちらが韓国語が分からないと見ると、無線センターに連絡して日本語の分かる人に替わってもらった。その人の説明によると城板岳コースには崩壊地があるようで、現在は通行禁止になっているとのことだった。予定が狂うことになったが、下山コースとして予定していた観音寺コースに向かってもらうことにした。そちらはOKとのことだった。走るうちに澄んだ空の下に漢拏山が見えてきた。そして6時25分に観音寺コースの登山口駐車場に到着した。平日の早朝とあって、駐車場には数台の車が止まっているだけだった。予定を変更して観音寺コースの往復となったが、まずは無事に登山開始となった。その登山の様子は下の写真帳をご覧いただきたい。朝の気温は10℃と少し低く、その冷気の中を歩くとあって足どりは軽いと言えた。始めは遊歩道歩きで、散策をする感じで歩いて行けた。遊歩道は木道だったり石畳道だったりしたが、易しいことに変わりなかった。枯れ沢なのか露岩の上を歩くこともあった。歩くうちに周囲はクマザサが増えてきた。その9kmほどある長いコースには数百メートル毎に現在地を示す標識が立っており、歩く目安になっていた。最初のポイントとなるタンナ渓谷避難所に着くと、そこは周囲を樹林が囲んでいたため休まず先に進むことにした。それにしても静かなコースで、ほぼ前後に人を見ない登山が続いており、タンナ渓谷避難所までで二人の足の速い人に抜かれただけだった。まだまだクマザサ帯の登りが続いたが、そのうちに朝の光が届くようになり、明るい中を歩くようになった。2時間ほど経っても前方は尾根の先を見るだけで、風景としては単調だった。その風景が変わったのは三角峰避難所に着いたときだった。前方に三角峰が見えており、その左手は漢拏山の荒々しい北壁だった。その避難所の位置で標高は1500mだったので、まだ400m以上登る必要があった。三角峰避難所からは前方に山頂を見ながらの登りとなり、漸く漢拏山を登っている雰囲気となった。ときおり下山者とすれ違うようになった。暫くは沢沿いを歩いて、それが終わると階段の登りが長々と続いた。やはり厳しいコースだと思った。それでも涼しい中を登れたので、喘ぐようなことは無かった。登るうちに北東面側へと回り込んで、ヘリポートのある開けた所に出た。そこで一度階段道は終わったが、その先もまた階段道が続いた。東面側へと回り込むと少しは緩やかな所も現れたが、最後は木の階段道を登って広々とした山頂に到着した。休憩時間を入れても4時間で登れたので、コースタイムよりも1時間早い到着だった。漢拏山の山頂は火口になっており、最高点は向かい側となる西壁側で、そちらは立入禁止だった。登山者が立っているのは東壁側のピークだった。白鹿潭の名が付いており標高は最高点よりも2メートル低いだけだったので、そこも山頂と呼んでも良さそうだった。火口壁に立つと強い風を受けた。足下に火口湖が眺められたが、写真で見るよりも水量は少なかった。その白鹿潭は地表を保護するためか広い範囲で板場になっており、既に多くの人が休んでいた。それだけの人が観音寺コースを登ってきたとは思えず訝しく思っていると、東の方向から登山者が登ってきていた。そちらは城板岳コースだったので、どうやら城板岳コースは登れるようだった。その後も城板岳コースからどんどん登山者が到着してきたので、何のことはない城板岳コースが登れないとの情報はフェイクのようだった。広い山頂なので登山者が多くても混雑の感じは無く、のんびりと過ごせた。板場にはほとんど風が来ないとあって、山頂の爽やかな空気を満喫出来た。但し風景に関しては利尻島のように中央に大きな山がどんとある島なので、ただ海岸線まで見下ろすだけとなり、麓の風景も薄ぼんやりと見えるだけだった。その後も登山者は次々と到着して、大賑わいになってきた。山頂で休んでいたのは40分ほど。下山は別のコースを歩きたく、城板岳コースを下って行くことにした。方向としては東へと真っ直ぐ下ることになる。始めは背後に山頂風景が広がる中での木道歩きだった。その下山でも何人もの登山者とすれ違った。どうも城板岳コースがメインではと思える人の多さだった。木道が終わって石の多い道を歩く頃には、すれ違う登山者は漸く減ってきた。この城板岳コースは観音寺コースよりもチンダルレを見ることが多く、下るうちに更に増えてきた。その中で着いたのがツツジ畑待避所だった。一段とチンダルレを多く見たが、その辺りは蕾が多くありこれからが本番のようだった。そのツツジ畑待避所を離れても、まだまだ大勢の登山者とすれ違った。それにしても城板岳コースは10km近くあり、半分を歩くだけでも十分歩いたと思えるコースだった。その半分ほどを歩いた頃には、漸くすれ違う登山者はぽつりぽつりとなった。その頃には周囲はただ笹と樹林の風景になっていた。その辺りで、突如足に異変が起きた。右足のふくらはぎの下が急に痛み出した。どうもこむら返りを起こしたようだった。痛みはするものの歩けることは歩けたので、そのまま歩いて行くことにした。その痛みを我慢しながら歩いているとき、また待避所が現れた。沙羅待避所で無人だった。一休みするも痛みは消えそうに無かったので、長くも休まず痛みを我慢しながらの下山を続けることにした。コースはほぼ緩やかな道になっており、本来は気楽に歩けるはずだったが、痛みを我慢しながらとあって周囲の新緑をあまり楽しめずに歩くことになった。何度か立ち休憩をする程度でほぼ休まず歩いて、何とか城板岳コースの登山口に到着となった。そこは売店があり、駐車場は多くの車で埋まっていた。また何台もバスが止まっており、観光地の様相を示していた。下山は足の痛みで歩度は鈍っていたが、それでも山頂から3時間半ほどで着くことが出来た。その城板岳登山口のそばを幹線道路が通っており、バス停もあったのでバスを待ってもよかったが、足の痛みと足の疲れから早くホテルに帰りたかった。そこでタクシーを見ると、言い値の2万5千ウォンで飛び乗ってホテルに直行した。想定外の足の痛みに襲われたものの、二つのコースを歩いた満足感を十分に持っての帰路だった。
(2022/1記) |