TAJIHM の 兵庫の山めぐり <韓国の山
 
漢拏山  (ハルラ山) 1950m (済州島)
 
【 観音寺コース・城板岳コース 】
 
【2018年4月】 No.1 2018-58(TAJI&HM)
 
   観音寺コースの三角峰避難所より  2018 / 4

 韓国の最高峰は済州島の漢拏山。済州島の航空運賃はソウル便、釜山便と比べると割高なため後回しにしていたのだが、LCCのティーウェイ航空が関空と済州島を結ぶようになり、俄然割安で行けることになった。そこで漸く漢拏山登山を計画することになったのだが、いざ登山コースを調べると、五つある登山コースのうち山頂に立てるのは城板岳コースと観音寺コースの二つだけであることが分かった。城板岳コースで片道9.6km、観音寺コースも8.7kmあり、歩行時間はそのどちらも片道5時間はかかるようだった。しかも漢拏山は日帰りが原則のようで少し怯む思いも持ったが、登山口との標高差を考えると、スタート時間さえ早くすれば十分に日帰り可能と思えてきたので実行する気持ちに傾いた。そして航空券とホテル状況を考慮して登山日を2018年4月下旬でと決めたのは一ヶ月半前の3月初旬のことだった。4月下旬は晴れが期待出来ることも決めた理由の一つだが、こればかりは予測がつかなかったので雨が続くことも考慮して現地4日の予定とした。日本を出発したのは4月26日の木曜日のこと。ティーウェイ航空の運賃は安く、諸経費込みで往復2万4千円で向かえることになった。TW246便で関西空港を12時55分に発つと、済州空港には定刻の15時に着いた。この日の済州島の空は曇りながら、徐々に晴れに向かっていた。ホテルは済州市内の新済州地区にあったため、空港からタクシーを利用しても4千W(約400円)となかなかの安さだった。そして16時半にはホテル到着となった。天気予報は翌27日から数日好天が続くとなっていたので、早速27日に漢拏山に向かうことにした。予定コースは往路は城板岳コースで登り、下山は観音寺コースを下ることにした。
 早朝登山を目指して翌27日は5時半起床とした。そして慌ただしく身支度をしてホテルを出たのはまだ薄暗さのある6時過ぎだった。上空を見ると天気予報とは違って上空は雲が広がっていた。それでも天気予報を信じて登山決行とした。ホテルの前は大通りで、通りがかったタクシーをつかまえて行き先として城板岳登山口を告げた。すると運転手は何やらそのコースが危ないようなことを言い出した。運転手はこちらが韓国語が分からないと見ると、無線センターに連絡して日本語の分かる人に替わってもらった。その人の説明によると城板岳コースには崩壊地があるようで、現在は通行禁止になっているとのことだった。予定が狂うことになったが、下山コースとして予定していた観音寺コースに向かってもらうことにした。そちらはOKとのことだった。走るうちに澄んだ空の下に漢拏山が見えてきた。そして6時25分に観音寺コースの登山口駐車場に到着した。平日の早朝とあって、駐車場には数台の車が止まっているだけだった。予定を変更して観音寺コースの往復となったが、まずは無事に登山開始となった。その登山の様子は下の写真帳をご覧いただきたい。朝の気温は10℃と少し低く、その冷気の中を歩くとあって足どりは軽いと言えた。始めは遊歩道歩きで、散策をする感じで歩いて行けた。遊歩道は木道だったり石畳道だったりしたが、易しいことに変わりなかった。枯れ沢なのか露岩の上を歩くこともあった。歩くうちに周囲はクマザサが増えてきた。その9kmほどある長いコースには数百メートル毎に現在地を示す標識が立っており、歩く目安になっていた。最初のポイントとなるタンナ渓谷避難所に着くと、そこは周囲を樹林が囲んでいたため休まず先に進むことにした。それにしても静かなコースで、ほぼ前後に人を見ない登山が続いており、タンナ渓谷避難所までで二人の足の速い人に抜かれただけだった。まだまだクマザサ帯の登りが続いたが、そのうちに朝の光が届くようになり、明るい中を歩くようになった。2時間ほど経っても前方は尾根の先を見るだけで、風景としては単調だった。その風景が変わったのは三角峰避難所に着いたときだった。前方に三角峰が見えており、その左手は漢拏山の荒々しい北壁だった。その避難所の位置で標高は1500mだったので、まだ400m以上登る必要があった。三角峰避難所からは前方に山頂を見ながらの登りとなり、漸く漢拏山を登っている雰囲気となった。ときおり下山者とすれ違うようになった。暫くは沢沿いを歩いて、それが終わると階段の登りが長々と続いた。やはり厳しいコースだと思った。それでも涼しい中を登れたので、喘ぐようなことは無かった。登るうちに北東面側へと回り込んで、ヘリポートのある開けた所に出た。そこで一度階段道は終わったが、その先もまた階段道が続いた。東面側へと回り込むと少しは緩やかな所も現れたが、最後は木の階段道を登って広々とした山頂に到着した。休憩時間を入れても4時間で登れたので、コースタイムよりも1時間早い到着だった。漢拏山の山頂は火口になっており、最高点は向かい側となる西壁側で、そちらは立入禁止だった。登山者が立っているのは東壁側のピークだった。白鹿潭の名が付いており標高は最高点よりも2メートル低いだけだったので、そこも山頂と呼んでも良さそうだった。火口壁に立つと強い風を受けた。足下に火口湖が眺められたが、写真で見るよりも水量は少なかった。その白鹿潭は地表を保護するためか広い範囲で板場になっており、既に多くの人が休んでいた。それだけの人が観音寺コースを登ってきたとは思えず訝しく思っていると、東の方向から登山者が登ってきていた。そちらは城板岳コースだったので、どうやら城板岳コースは登れるようだった。その後も城板岳コースからどんどん登山者が到着してきたので、何のことはない城板岳コースが登れないとの情報はフェイクのようだった。広い山頂なので登山者が多くても混雑の感じは無く、のんびりと過ごせた。板場にはほとんど風が来ないとあって、山頂の爽やかな空気を満喫出来た。但し風景に関しては利尻島のように中央に大きな山がどんとある島なので、ただ海岸線まで見下ろすだけとなり、麓の風景も薄ぼんやりと見えるだけだった。その後も登山者は次々と到着して、大賑わいになってきた。山頂で休んでいたのは40分ほど。下山は別のコースを歩きたく、城板岳コースを下って行くことにした。方向としては東へと真っ直ぐ下ることになる。始めは背後に山頂風景が広がる中での木道歩きだった。その下山でも何人もの登山者とすれ違った。どうも城板岳コースがメインではと思える人の多さだった。木道が終わって石の多い道を歩く頃には、すれ違う登山者は漸く減ってきた。この城板岳コースは観音寺コースよりもチンダルレを見ることが多く、下るうちに更に増えてきた。その中で着いたのがツツジ畑待避所だった。一段とチンダルレを多く見たが、その辺りは蕾が多くありこれからが本番のようだった。そのツツジ畑待避所を離れても、まだまだ大勢の登山者とすれ違った。それにしても城板岳コースは10km近くあり、半分を歩くだけでも十分歩いたと思えるコースだった。その半分ほどを歩いた頃には、漸くすれ違う登山者はぽつりぽつりとなった。その頃には周囲はただ笹と樹林の風景になっていた。その辺りで、突如足に異変が起きた。右足のふくらはぎの下が急に痛み出した。どうもこむら返りを起こしたようだった。痛みはするものの歩けることは歩けたので、そのまま歩いて行くことにした。その痛みを我慢しながら歩いているとき、また待避所が現れた。沙羅待避所で無人だった。一休みするも痛みは消えそうに無かったので、長くも休まず痛みを我慢しながらの下山を続けることにした。コースはほぼ緩やかな道になっており、本来は気楽に歩けるはずだったが、痛みを我慢しながらとあって周囲の新緑をあまり楽しめずに歩くことになった。何度か立ち休憩をする程度でほぼ休まず歩いて、何とか城板岳コースの登山口に到着となった。そこは売店があり、駐車場は多くの車で埋まっていた。また何台もバスが止まっており、観光地の様相を示していた。下山は足の痛みで歩度は鈍っていたが、それでも山頂から3時間半ほどで着くことが出来た。その城板岳登山口のそばを幹線道路が通っており、バス停もあったのでバスを待ってもよかったが、足の痛みと足の疲れから早くホテルに帰りたかった。そこでタクシーを見ると、言い値の2万5千ウォンで飛び乗ってホテルに直行した。想定外の足の痛みに襲われたものの、二つのコースを歩いた満足感を十分に持っての帰路だった。
(2022/1記)
<登山日> 2018年4月27日 6:27観音寺コース登山口スタート/6:59〜7:07休憩所で朝食をとる/7:45タンナ渓谷避難所/9:06〜12三角峰避難所/9:47ヘリポート/10:26〜11:06山頂/11:52〜12:03ツツジ畑待避所/13:10〜16沙羅待避所/14:32城板岳コース登山口エンド。
(天気) 快晴。薄い青空だった。気温は始め10℃だったが、徐々に上がり山頂では15℃になっていた。山頂では冷たい風が少し強く吹いていた。その上空に雲はほとんど見られなかった。視界はややうっすらとしていた。
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タクシーで観音寺
コースの駐車場に
着いた そこは標
高620mだった

駐車場には数台の
車を見るだけだっ


標識は山頂を示し
ておらず、観音寺
探訪路となってい

その観音寺探訪路へと入った ほぼ平坦な遊歩道だった まだ薄暗さがあった 木道になることがあった
路面は石畳になったりしたが遊歩道としてずっと歩いた 露岩の上を歩くことがあった 30分ほど歩いたとき休憩所が現れて、朝食をとった
遊歩道歩きを再開すると、コース案内図が立っていた また露岩の上を歩いた 笹の中を歩いて行く
木道を歩くようになった 木道を歩いていると、下り坂になった タンナ渓谷木橋を渡った 3kmほど歩いたようだった
橋から沢を覗くと、ほぼ枯れ沢だった 真っ直ぐな階段を登って行く タンナ渓谷避難所の前に出た
いつしか登山道に遊歩道の雰囲気は無くなっていた 山道の上り坂が続く 休憩台が現れたので、一息入れた
標高1200mの標識を見た 展望の無い上り坂が続く 7個目の標識を見た そこはケミドウンと呼ぶ地点で歩き始めてから5kmほどの位置だった
チンダルレの花を見るようになった 登山道のそばに物資搬送のモノレール軌道を見た 登山道の傾斜が緩んできた
前方に三角峰(標高1695m)が見えてきた 三角峰の手前に立っていたのは三角峰避難所だった 漸く展望が現れたが、うっすらとした視界だった

北の方向の海岸線
が見えていた

港とビル群が見え
たので、済州市の
中心部と思えた

展望所に着いて漸
く漢拏山の山頂が
望めた
避難所の先は緩やかな道だった 前方に山頂を見ながら歩いた 満開のチンダルレを見た
スミレの花を見た ヨンジンガク吊り橋を渡った 沢沿いを歩いた
開けた所が現れた そこは龍鎮閣待避所跡だった 階段の登りが始まった 階段は長々と続いた

階段道を登り切っ
て開けた所に出た

そこにはヘリポー
トもあった
ヘリポートから漢拏山山頂を見る また階段道に入った 標高1700mの標識を見た
階段道がまた続いた 標高1800mの標識を見た 笹の中を登って行く
背後に北の海岸線が広く眺められた 山頂が近づいて、東側へと回り込んだ

露岩が広がる所に
出てきた

前方に山頂が見え
てきた

漢拏山の山頂に着
いた

木道部分だけを歩
くようになってい


そこは最高点では
無く、白鹿潭の名
が付く東側のピー
クだった

標高は1747.9mだ
った
白鹿潭のピークに立って火口を覗いた 西向かいのピークが漢拏山の最高点だったが立入禁止だった 白鹿潭には広い休憩スペースがあった 前方が城板岳コースだった

山頂で休んでいる
うちに、どんどん
登山者が到着して
大賑わいになって
きた

40分ほどの休憩
を終えると、下山
は城板岳コースに
入った

東に向かうコース
だった

この城板岳コース
がメインコースな
のか、登山者は多
かった

前方に視界を遮る
ものは全く無かっ


ただ昼となって視
界は更に悪くなっ
たようだった
登山道を振り返った 階段の下りが続く 今少し下ったときに振り返ると、山頂がはっきり見えた
樹林の中に入って、視界は塞がれた 25分ほど下ると、階段道は終わった 石の多い道とあって、けっこう歩き難さがあった
また階段を下った 石の道に戻った 満開のチンダルレを見るようになった
コースが緩んで木道を歩くようになった ツツジ畑待避所に着いた 名前の通りにツツジ(チンダルレ)の花が多かった
待避所から山頂を望んだ 下山を続ける 階段の道になることもあった
笹の中を登山道は続く 休憩台で一休みとした 白い花を見た  オオカメノキの花と思えた

この緩やかに下っ
ているときに、右
の脹ら脛がこむら
返しを起こしてし
まった

以後は足の痛みを
我慢しながらの下
山となった

このコースも案内
板が点々と立って
いた
ごく緩やかな道となった 沙羅待避所が現れて、足を休めた 下山を続ける 足の痛みは消えなかった
新緑の木が増えてきた 緩やかな道が続いたが、登山口まで3km以上あった 下るほどにユズリハの木を多く見るようになった
標高900mの標識を見た 樹林はすっかり新緑色になっていた 登山口が近づいた
城板岳コースの登山口に着いた 標高750mだった 登山口の方向を振り返った 駐車場には何台もの観光バスが止まっていた