◆ TAJI&HM の 兵庫の山めぐり <中国編> | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
虎丘 こきゅう | 36m | (蘇州市) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【2007年9月】 | 2007-80(TAJI) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
北ゲート方向より 2007 / 9 |
2007年の9月の初めに、この年2度目の上海出張があった。滞在期間は12日間で、前回と同様に間の土日が休日となった。その一日を上海市の近郊の町、蘇州市の観光で過ごすことになった。8日の土曜日のことで、足としてはクライスラーのミニバンを利用してだった。これも滞在先の会社の好意からで、私と通訳氏、そして運転手の三人というこぢんまりとしたメンバーだった。ホテルは上海市の浦東新区にあり、そこを離れたのは朝の9時。蘇州市までは高速道を走って1時間半ほどの距離だった。蘇州市のことはそれまで全く知識は無かったのだが、世界文化遺産がこの市だけで9カ所もあるという、何とも観光には不自由しない街のようだった。ただ1日の観光としてどこを見学すれば良いのか分からないため、通訳氏のアドバイスのままに決まったのが寒山寺、虎丘、拙政園の三カ所だった。寒山寺は有名な古刹として、虎丘は蘇州市のどこからも目立つ名所旧跡として、そして拙政園は世界文化遺産にもなっている名庭園として、いずれの場所でも楽しく観光することが出来た。このうちの虎丘が丘と言うこともあって、ちょっとしたミニハイキング気分で散策を楽しめた。以下、その虎丘散策を写真日記風に綴ってみた。 (2007/11記)(2020/10改訂) |
<散策日> | 2007年9月8日 | 11時頃より1時間半程度。 | |
(天気) | 薄晴れの天気。少しスモッグがかかっているのか、視界はうっすらしていた。気温は30度に近くなっていたが、湿度が低いのか木陰では涼しさがあった。 | ||
<< Photo Album 2007/09/08 >> |
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<<虎丘のミニ知識>> 江蘇省のホームページより 虎丘は寒山寺の北、山塘街の海涌山とも呼ばれる高さ36メートルの丘で、春秋時代の最期に呉王の夫差が父の闔閭(こうりょ)を埋葬したところである。伝説によると、埋葬された3日後に白虎が墓の上にうずくまっていたところから虎丘と名付けられたと言う。山門をくぐると、鬱蒼と古木などが生い茂り、冷やっとした空気が漂う。石段を上がることになるが、両脇にある一刀両断で剣の切れ味を試したと言い伝えられる「試剣石」や、西遊記に出てくる「石桃」が足を止めさせる。丘の中腹にある「剣池」は王の遺品として3000本の剣が埋葬された場所。秦の始皇帝や呉の孫権が掘り起こしてみたものの、剣は発見されず、大きな穴が池が残り、池になったと伝えられる。「剣池」の前の「千人石」の下には、墓を造った大勢の職人が眠っている。墓の秘密が漏れないようにと殺され、埋められたのだと言う。千人石から見上げたところに高々と聳え立つのが虎丘のシンボルの雲岩寺塔(別名・虎丘塔)である。この塔は北宋年間(961年)創建の七層八角のレンガ造りで、高さが47.5メートルもある。ところが400年前からの地盤沈下が原因で徐々に傾き始め、現在は塔身が北西に15度傾いている。故に「東洋のピサの斜塔」とも称されている。20年ほど前に塔の土台部分が鉄筋コンクリートで補強されて傾斜は止まっているが、残念ながら登るのは禁止されている。この他にも20ヘクタールの虎丘には名称旧跡が多い。昔から「蘇州に来て、虎丘を遊覧しないのは勿体無い」と言われるほどの名勝地なのである。 |