JR龍野駅の南に広がる低山には古墳が数多く点在しているが、そこに「ヤッホの森」としてハイキングコースが整備されたのは1998年のことだった。ほぼ10年が経過して全体に落ち着きが見られ良い雰囲気になってきていると思われた。ただちょっと低山過ぎて、このヤッホの森で一日をハイキングで過ごすという気持ちにはなれず、その手軽さから天気の思わしくないときにちょっと体を動かそうと考えて訪れることが多かった。そのため快晴の中を登った記憶が無かった。2008年の2月はどうも休日になると天気の荒れることが多く、そうなると近場で軽めのハイキングをすることになるが、23日の土曜日もそのような日で兵庫北部は大荒れの天気のようだった。兵庫南部も空こそ晴れていたが風が強く、決して穏やかとは言えなかった。ただそんな天気の中でも青空を見ていると、昼どきだけでも体を動かしたくなった。そこでごく近場でと考えたとき、このヤッホの森では沈んだ天気ばかりだったことを思い出した。そこで青空の下でヤッホの森を歩いてみようと考えた。コースはごく普通に神部小学校のそばのどんぐり広場からスタートして亀岩へ、そして宝記山、黍田富士の三カ所を訪れて戻って来ることにした。そのヤッホの森へと近づいたとき、北の空の雪雲が流れて来て小雨がぱらついた。けっして安心出来ない空と思えたが、小雨もいっときのことですぐに青空が戻ってきた。車は神部小学校近くの駐車場に止めた。空は晴れていたが雲が多く、ひっきりなしに強い風が吹いていた。どんぐり広場からヤッホの森の遊歩道を歩き出すと、木々は強い風に揺すられてギシギシと音を立てていた。台風並みに強い風で、小枝が飛んで来るのを警戒しながら歩いて行った。遊歩道は緩やかで周りの雑木林も落ち着きのある佇まいを見せており、風さえ無ければいたって気楽な所ではと思った。黍田富士とその南向かいの尾根との分岐点に着くと、まずは南へと登って亀岩を目指した。山上に出ると小さな古墳が点在しており、その間を縫って遊歩道は続いていた。木漏れ日が古墳に陰影を付けていた。南へと辿って亀岩に着いた。亀岩も古墳の一つだった。ここに着くとやはり岩の上に立って南を眺めることになる。御津山脈の先に見える瀬戸内海を眺めながらの一休みだった。そして引き返して三等三角点(点名・山津屋)のある宝記山へと向かった。相変わらず古墳の間を遊歩道が続いていた。宝記山山頂も古墳になっている。気のせいでもないだろうが、来るたびにここからの展望は良くなっているようで、北から北西に向かって広々とした展望だった。但し展望が良いだけに風が一段と強かった。そこで南斜面に避難して、風を避けながら昼どきとした。多少風が回り込んできていたが、陽射しが十分な暖かさで快かった。やはり晴れた空の下で食事をするのは気分の良いものだった。そこからは東に展望があり、揖保川の東に広がる姫路南部の平野部が眺められた。食後は引き返す形で黍田富士へと向かった。その戻り道から見る黍田富士は、名の通りすんなりとした富士型に見えて、この山中では一番の眺めではと思える所だった。そして鞍部に着いて黍田富士へと登り返すが、遊歩道のジグザグ道とは別にショートカットの真っ直ぐな小径が付いており、そこを一気に登って行った。じんわり汗の出たところで山頂に着いた。そして展望台に上がって再び北に広がる風景を楽しんだ。宍粟の山並みは雪雲に隠されていたが、龍野から南の空は晴れていた。その様を暫く見ていると、北からの雪雲を瀬戸内の暖かい空気が龍野市の上空で押しとどめているのがよく分かり、瀬戸内の気候のありがたさを形で見る思いだった。この後は西へと続く尾根コースで登山口へと下ったが、この日のハイキングでは結局パートナーと二人きりで終始した。こんな強風の日に山に登る物好きは他にはいなかったようだ。
(2008/3記)(2021/9改訂) |