三開山は但馬富士の別名もあるとか。ごく低山ながら独立峰として豊岡盆地の一角で端正な姿を見せるが、特に富士の姿と言えるほどでは無い。山頂部が少し富士に似ているかと思える程度である。その地元で親しまれている三開山には三等三角点もあり、一度は登っておきたいと考えていた。ただどうみても30分もあれば山頂に立てそうな小山のため、この山を目指して但馬へとはちょっと考え難かった。そこで別の山を登って、余った時間で訪ねようと考えていた。
その考え通りに実行したのは、2010年4月に入った桜の季節の一日だった。その日に目指したメインの山は豊岡市の東を限る尾根、京都府との境ともなる尾根に立つ白雲山だった。この白雲山も400メートルを少し越す程度の山なので、11時前に歩き始めたものの、山頂の休憩を入れても13時半過ぎには下山を終えることが出来た。この時間なら余裕で三開山に登れそうだった。その三開山に向かう前にコウノトリの郷公園にも立ち寄って施設を見た後、おもむろに三開山に近づいた。三開山へは北側の大篠岡辺りから登れるはずなので、その大篠岡へと近づくと、車道脇にあっさりと登山口の標識を見た。その標識にに従って南へ折れると、見上げる位置に立派な寺が見えた。それは瑞峰寺で、寺の駐車場に着くと三開山の案内図が立っていた。山は「みひらきの森」として整備されているようで、登山コースも4本が描かれていた。この瑞峰寺からのコースも「古墳の小径」として山頂まで1200m、徒歩50分と紹介されていた。駐車場は十分な広さがあり、その一角に駐車とする。そして「古墳の小径」コースのハイキングを開始した。始めに墓地の階段を登って行くが、そこに桜の大木があり、今が満開だった。この日は午前は雨が降っていたのだがその頃にはすっかり晴れており、桜の花が青空の下に鮮やかだった。墓地の一番上の位置まで登ると、そこより登山道が始まっていた。もう後は道のままに登って行くだけだった。道は遊歩道として整備されており、道のそばには点々と石仏が二体並ぶ形で置かれていたので、遍路道にもなっているようだった。登るうちに枝道が分かれて、そちらは散策コースと名が付いていた。色々とコースがあるようだった。その道が分かれるポイントには分かり易い標識も立っていた。「古墳の小径」コースはまっすぐ山頂に向かっていたのだが、山頂が近づいて傾斜がきつくなったとき、道は右手に大きく迂回し出したので、そこは面倒とばかり、急斜面を直登することにした。笹地の斜面だったが、笹の多くはかじられており、どうやらシカの食害によると思われた。山頂が間近になると地形は段状になって、城跡であることがよく分かった。そして再び「古墳の小径」コースと合流して、ひと登りした所が山頂だった。歩き始めてから22分なので、やはりごく低山と言えそうだった。どうも案内板の50分はちょっとオーバーなようだった。その山頂はいかにも城跡らしく平らに開けており、石仏があちらこちらに置かれていた。その落ち着きある雰囲気に、これまで多くの人に大事にされてきた山であることが窺われた。展望も素晴らしく、西から北へと豊岡盆地が一望だった。昼頃よりも視界は良くなっており、妙見山、蘇武岳の姿もうっすらながら見えるようになっていた。山頂は城跡らしく桜の木が多くあり風情を添えていたが、まだ五分咲きまでだった。ちょっと気になったのは地表の笹で、ほとんどがかじられて茎が半分ほどになって枯れようとしていた。これもシカの食害のようだった。いずれ笹は消えるのではと思われた。山頂では少し冷たさのある風を受けたが、陽射しの暖かみに助けられて、暫し憩いのときを持つことが出来た。ごく低山ながら、来て良かったと思える山頂だった。下山は往路を戻ることにした。但し散策コースが分かれたとき、散策コースに入って回り道をした。往路コースに合流した後は登山道を辿っていたのだが、途中から荒れ道となった。どうやら瑞峰寺の方向に曲がる位置で直進したようだった。かまわず道なりに下って行くと、午前の雨で地表はけっこうぬかるんでおり、倒木が道を塞ぐ所もあった。また途中からは竹林の中を歩くようになり、そこも枯れて倒れた竹が多くあった。その竹林を下るうちに道が分かり難くなってコースを外れそうになったりもした。少々難儀して下り着いた所は西麓の木内集落で、車道に出ると近くに木内橋が見えていた。そこからは六方川沿いの車道を北へと歩いて行ったが、瑞峰寺までは10分近くかかることになった。ただこれで三開山への印象は悪くなったわけでは無く、多彩な姿を持つ山だと思わされただけで、また訪れたいと思える三開山だった。
(2010/4記)(2020/7改訂)(2021/5改訂2) |