加古川市北部は旧志方町域で、北辺は加西市と接している。その一帯で目立つ山となると志方城山に善防山、笠松山となるが、小さな山なら幾つも並んでいる。2008年の8月お盆休暇は14日からだったが、3日目の16日になって漸くパートナーが休みとなった。但しその日は午後に用事があり、午前のみ山で過ごすことにした。その短い時間にまず過ごしたのが志方城山で、ごく簡単に登って山上展望を楽しんだ。ただ簡単すぎて下山を終えてもまだ10時前だった。そう言うこともあろうともう一山を考えており、それが経尾山だった。この経尾山は志方城山に近い山で登り易そうな山はないかと地図だけで探したもので、全く知識はなかった。名前も知らず、点の記を読んで点名の「経納(きょうのう)」と同じく俗称も経納で呼ばれていることは分かった。また中腹の周遍寺まで車道があり、その周遍寺より山頂まで山道が続いているようだった。この山道のあることが決め手となって二つめの山として考えていたものである。ただ経尾山は標高が221mと低いだけで無く周遍寺の位置も160m辺りにあり、標高差は60mほどでしかない。車で周遍寺まで行けば、散歩のような登山になりそうだった。志方城山を離れると県道を43号線から118号線へと走り、79号線に入ると左手に周遍寺の標識が現れた。後はそこから始まる車道を走って行くだけだった。その車道はすぐに林道のようになり、地道となって少し荒れ出した。かまわず進んで行くと、程なく周遍寺の前の広場に出た。そこは周遍寺への駐車場にもなっているようで、石段に近い位置に車を止めた。一帯は木陰が多く、低山にしてはけっこう涼しさがあった。周遍寺へは石段を登って行くが、その石段のそばに周遍寺の案内板が立っていた。それを読むと中世には有数の名刹だったようだが、それが戦国時代に焼かれていたのを江戸期に地元の有志によって再興されたとのことだった。また林道とは別に参道があるようだった。石段を登ると広い境内に出た。その奥に本堂が建っており、やはり歴史を重ねただけの落ち着きがあった。但し右手に見えた庫裏は朽ちており、ちょっと侘びしかった。古刹をじっくり眺めたいところだが、強い陽射しもあって木陰に逃げようと、すぐに登山を始める。登山道は本堂と右隣りの開山堂の間を行った所から始まっていた。暫くは石仏が点々とあり寺域の続きの趣だったが、それも朽ちたお稲荷さんの横を過ぎると石仏は無くなってごく普通の山道となった。登山道のそばにはときおり案内標識があり、それによって山の名が経尾山であることを知った。案内標識は毘沙門洞窟も案内しており、その毘沙門洞窟との分岐点から山頂への道は少し草も被り出してヤブっぽくなった。ただ登山として考えると無難な道だった。少し困るのはクモの巣の多いことで、そのクモの巣をずっと払い除けながら歩いて行くことになった。ほぼ木陰の中を歩けたが、山頂が近づいて陽射しを受けることになった。そこは木立が切れただけに展望が良く、振り返ると志方城山を含めて周辺の低山が広く眺められた。その展望地から僅かな距離で山頂に着いた。周遍寺の位置からでも15分と歩いていないので、本当に小さな山と言える。山頂は登山道と同様に寺の雰囲気は無くごく普通の低山そのものの雰囲気だった。灌木が一帯を占めており、その中にぽつんと三角点が埋まっていた。その程度かと思っていると今少し東の位置まで登山道は続いて、そこは少し開けて展望が現れた。足下に工業団地が見えており、遠くには播州北東部の山並みがうっすらと望まれた。その展望を得たことで、マイナーな低山としてはまずまず悪くない山頂と言えそうだった。この後は毘沙門天洞窟に立ち寄ることに少し興味を覚えたが、既に気温は30℃を越えていることでもあり、また昼で登山を終える予定でもあり、すんなりと往路を引き返すことにした。そしてまた周遍寺の前へと戻ってきたが、見所の多い所だけに短時間で終えるのが少しもったいなく思えた。この経尾山は周遍寺ハイキングとして冬の好日にじっくりと再訪したいものだと思いながら石段を下って行った。
(2008/9記)(2017/12改訂)(2020/4改訂2) |