国道29号線を南から宍粟市の中心、山崎の市街地に近づくと、低山ながら目立つのが一本松。山上は城跡公園になっており、その篠ノ丸城跡の名の方が一本松の名よりも市民にはずっと親しまれているようだ。そして一本松から市街地に続く尾根は小さな丘になっており、一帯は公園となって最上山の名で親しまれている。この一本松と最上山が一年で最も華やかになるのは桜の季節よりも晩秋の紅葉期で、モミジ山とも呼ばれている最上山はモミジの木が多いとあって、豪華な赤色に染められる。この紅葉を見たく2007年の12月に入った最初の日に訪れた。本当は11月に行きたかったのだが、他にも行きたい山があり、また低山なら12月に入っても間に合うだろうとの気持ちもあって、この日になったものである。
車道が一本松と最上山を分けるかのように一本松の中腹を通っており、尾根を横切る位置に駐車場と登山口がある。駐車場に着いたのは9時半と低山のハイキングには少し早い時間だったため、他に1台が止まっているだけだった。その駐車場のそばにヤマモミジの木があり、ちょうど見頃で見事な赤さになっていた。その木を横目に一本松への遊歩道に向かった。この日の天気予報は午前は晴れ、午後より曇りの予想だったが、もう上空は半分ほど雲が占めるようになっていた。陽射しが現れたり雲に隠されたりを繰り返す中、遊歩道を登って行くとモミジは見頃のものもあれば散り始め、散り終わりと様々で、正直なところ見頃を一週間ほど過ぎた感じだった。それでも十分な美しさで、陽射しを受けているときは赤の色は見事だった。また逆光で見るときもそのコントラストの美しさに何度も足が止まった。遊歩道の入口から山上までの距離は700メートルほど。その短い距離でも登るほどに落葉は進んで、遊歩道はモミジの落ち葉にすっかり覆われていた。そして山上の篠ノ丸城跡公園に出た。山上に人影は見えず、木立も落葉が七割方は終わっており、ちょっと物寂しさが漂っていた。それでも所々にきれいな紅葉は残っていた。この日は紅葉を楽しむ以外にも山上からの展望を少しは得ようという目的もあり、公園を後にして西へと尾根を歩いて行くことにした。少し進むと東屋が建っており、そこからは少しだが南への展望があった。南西に国見山が見えており、足下に山崎の町並みを見ることになった。ここからは以前は水剣山が見えていたはずだったが、木立が育ったことにより樹間から僅かに覗くだけだった。その東屋で遊歩道は終わり、ごく普通の山道が尾根に続いて行く。道はわりあいはっきりしており、目印テープもあってすんなりと歩いて行けた。少し下って登り直すと三等三角点(点名・山崎)の前に出た。その辺りは雑木のまっただ中で、単なる山中に居るだけの雰囲気だった。以前はここまでしか歩いていなかったが、この日は今少し西へと歩いて行く。尾根はほぼ平坦になっており、木立の中を更に小径が続いていた。シダの茂る所もあったがそれは僅かで、歩き易いままに少し登り坂となり、地図では384mの標高点で示されているピークへと近づいた。その辺りとなって北西が若木の植林地となって少し明るくなった。木に登れば展望が開けそうに思え、そこで手頃な若木に登ってみた。すると予想以上に広々と北の展望が現れて、間近には水剣山が、北西遠くには後山までが一望だった。この展望を得たことで何かすっきりとした気分になり、それ以上尾根を進んで行く気持ちは消えてしまった。そこで引き返すことにした。篠ノ丸城跡まで戻って来ると、少し時間が経っていたこともあり、数人のハイカーが佇んでいた。いずれも夫婦ずれだった。この後は遊歩道を駐車場へと戻ったが、その途中でも4,5組のハイカーとすれ違ったが、その人達も中高年のペアだった。どうやら一本松のモミジ道は中高年の夫婦がのんびりと楽しむのが相応しい所のようだった。駐車場に戻ると、今度は南へと続く遊歩道に入った。最上山への道である。そちらもモミジ道になっており、まさに見頃になっていた。鮮やかすぎる赤色のヤマモミジは圧巻で、何度も足を止めることになった。最上山はすっかり公園として整備されているので、こちらはファミリーハイクの世界だった。千畳敷の広場も、その先の百畳敷の広場も、幼い子供を連れた若い夫婦が楽しく歩いていた。赤いモミジと遊具で遊ぶ子ども達。まさに平和を絵に描いたような風景だった。こちらもその中に溶け込むように散策を続けて、尼ヶ端と呼ばれるピークへと着いた。そこにはおとぎの国のような展望台が建っていた。その最上階に上がって山崎の町並みを眺めていると、この一本松と最上山が山崎の町では一番親しみのある古里の山ではと思わずにはいられなかった。
(2008/1記)(2020/1写真改訂) |