夢前町を奥深く進んで山之内まで来ると、その先は雪彦の山並みが夢前町の北限を限るだけである。その高峰群に関心が向かうため、この鍋倉山のように300mを超す程度の低山は、どうも無視しがちになってしまう。この鍋倉山は山之内小学校の背後に佇む山で、鍋倉城跡があり登山道も付けられているとあって少しは関心があったが、低山過ぎる理由もあって登りたい気持ちまでにはならなかった。
2007年の4月に入っての第三土曜日は一日曇りがちの天気予報だったため、近くの低山ハイクを考えた。そして午前と午後とで一つずつ山を登るのも面白いと思え、そこで簡単なハイキング対象の山はないかと考えたとき、この鍋倉山を思い付いた。漸く登りたい気持ちとタイミングが合ったわけである。この鍋倉山で午前を過ごそうと決めたものの、どうせごく簡単に登れるだろうと考えたため家を出るのが遅れてしまい、鍋倉山に近づいたときは10時が近くなっていた。県道67号線はこの山の西側を通って雪彦山へと延びているが、この山のそばを通過するとき、木で作られた門型のアーチが見えた。そこには「なべくらの森」と書かれており、そこが登山口になっているようだった。その登山口のそばを通って少し行った所の山裾に駐車スペースが見えたため、そこに駐車とした。歩き出して登山口に向かっていると、その手前で別の登山道が始まっていた。その道もいずれ山頂に向かう尾根道に合流するものと思えたため、その小径を登って行くことにした。植林の山裾を登り始めるとすぐに尾根の鞍部に出て、予定通りに尾根道に合流した。その合流点の位置に屋根がぼろぼろになった祠があり、中を覗くと石仏が安置されていた。後で知ったところによると地蔵祠とのことだった。その鞍部から北へと尾根を辿れば山頂で、南に登ると本丸跡のある小ピークに着く。まずは山頂へと登って行った。尾根はすっかり植林地になっており、尾根筋だけ少し開けて小径が続いていた。尾根の傾斜は特にきつくは無く、真っ直ぐに続いていた。尾根道はときに不明確になったが、尾根筋の木々は疎らとあって、ごく気楽に登って行けた。山頂が近づくとモミの木が増えて来た。そして古びた丸太の階段道が現れて、かつては登山道が整備されていたことを窺わせた。そして登り着いたピークは中央は平らに開けていたが、周囲はすっかり植林に囲まれていた。後で知るところでは、そこは「のろし台」のあった所で、展望台と紹介されていたが、それは周囲の木々が育っていなかった頃のようだった。その位置から尾根はほぼ平坦となって、その先の少し高い位置が、鍋倉山の最高点となる320mピークだった。その辺りは雑木林となっており、木立の切れ目から東向かいの尾根が少し覗いている程度で、展望は悪いと言えた。灌木も多く少し雑然としており、やや平凡な山頂と言えた。どうやら鍋倉山の山頂は、最高点ピークよりも少し手前にある「のろし台」跡の方が、山頂の雰囲気があると言えそうだった。せっかくの山頂なので、少しは展望を得たく、尾根を北へと今少し辿ってみることにした。歩き易かったのは山頂までだったようで、その先は灌木が多い上に倒木が多く、けっこう歩き難くなった。それでもときおり東から南にかけてが開けて、近くの山並みを望むことが出来た。何カ所かでその展望を得た後、あっさりと山頂へと引き返した。下山は本丸跡にも立ち寄った。そこはさほど広くは無いものの広場のように平らになっており、アスレチックの遊技も作られていた。どうやら麓の山之内小学校の遊び場になっているようだった。広場の南端に立つと案内板があり、その先に小学校の校舎が見えていた。その広場の西側から麓への登山道が始まっており、その小径を下ると門型アーチのある登山口に下り着いた。
(2007/4記)(2020/9写真改訂) |