在田氏の城郭があった野間山には、東向かいの光竜寺山とともに訪れた。2003年12月14日のことだが、まず光竜寺山に登り、その山頂より大手道を下りて、野間川に架かる橋を渡ったときは、まだ10時を過ぎたばかりだった。朝から快晴の空に漸く雲が見られるようになっていた。暖かい陽射しをいっぱいに受けて極楽寺に着くと、そこをスタート地点として野間山に向かった。極楽寺を巡る小径を歩いて行くと、野間山の山中に向かえる林道に合流した。その林道はすぐに終わり、後は谷あいの小径を歩いて行く。これが野間山の大手道のようだった。先ほど登った光竜寺山の登山道は遊歩道と呼べるほど良く整備された道だったが、こちらはごく自然な山道として続いていた。周囲の木々も自然な感じだった。極楽寺より20分ほど歩いて尾根に出た。その辺りが「兵溜まり」と思えた。この野間山を光竜寺山から眺めたとき、三つのピークが並んでいるように見えていたが、その中央が一番高く、その「しょうどの丸」と呼ばれるピークをまず訪れることにした。「兵溜まり」からは南に向かうことになった。雑木の尾根を登って行くと程なく露岩地に出た。そこまで展望は無かったが、露岩地とあって一気に展望が開けた。所々は樹林に遮られていたものの、北には笠形山から千ヶ峰の尾根、東には先ほど登っていた光竜寺山が眺められた。そのすっきりとした眺めに気を良くして先を目指した。露岩地より一登りした所が「しょうどの丸」だった。そこは小さく平らになっており、多少は城跡らしさを残していたが、すっかり雑木が繁っていた。そのためごく普通の山の雰囲気になっていた。すぐに引き返して露岩地で休憩とした。この後は本丸跡を通って搦手道で下山と考えていたが、西の尾根続きとなる383mピークが、すっきりとした円錐形を見せており、その姿に惹きつけられてしまった。そのピーク手前には岩場も見えており、すっかり登る気になってしまった。その先には観音山がさほど離れてはおらず、ついでに観音山も登ることにした。まず本丸跡の最高点に立つと、そこより西へと忠実に尾根を辿って行った。シダなどの下草が繁っていたが、歩き難いと言うほどでは無かった。展望の良い所もあって、笠形山方向が良く見えていた。露岩地が一度あって鞍部に着くと、いよいよ383mピークの登りにかかった。南側は切り立っているので、北側寄りを慎重に登って行く。岩場は多少登り難さはあったが、掴まる木もあって危ない感じは無かった。その岩場の途中の展望地で昼休みとした。その位置からは南の方向が広く開けており、先ほどまでいた野間山が形良く見えていた。また翻れば、北の山並みも一望だった。野間山だけで終わらせず、期待通りの展望と岩場に出会えて、ここまで来て本当に良かったと思えた。正に得をした気分になれた。その休憩地から一登りした所が383mピークだった。そこは雑木が茂っており、展望は無かった。すぐに観音山に向かった。80mほど下って鞍部へ。尾根には踏み跡程度の道が続いており歩くのは易しかったが、雑木が尾根を覆っており、尾根の方向間違えないよう注意する必要があった。南へと尾根を辿り出すと、もうひたすら緩やかな上り坂だった。そして383mピークから30分ほど歩いて観音山山頂に到着した。4年ぶりの山頂は東屋こそ以前のままだったが、辺りの風景が何となく雑然としていた。どうやら山頂は里山整備で一度きれいにされた後は手入れされていなかったようで、灌木や雑草が雑然と育ったようである。三角点もすっかりススキに隠されていたので、そこは周囲を少々刈り込んで、すっきり見えるようにした。それにしても展望はほとんど無く、木に登って漸く千ヶ峰方向を眺められただけだった。一時的な手入れでは、山はすぐに元の姿に戻ることを改めて知らされた。観音山で40分ほど過ごすと、歩いて来た道を引き返した。383mピクでも改めて小休止をとったので、とったので、本丸跡に戻って来たときは15時を過ぎていた。この日の午後は雲が広がっていたが、その頃には再び晴れ間が広がり出していた。本丸跡から見張り台にかけては展望もあって、夕方の赤い光に染められた山肌を見たりしてまた時間をつぶしてしまった。いつまでも黄昏時の景色を楽しみたかったが、足元の暗くなることを心配して、搦手道コースで麓へと戻って行った。
(2003/12記)(2024/12写真改訂) |