六道山を端正な姿で眺めたのは相場ヶ裏山からであった。その姿を見て、六道山をちょっと見直す思いだった。登山の記憶が薄らいでいたこともあって、もう一度登ってみたいと思うようになった。1997年の登山のときは、登山コースが分からず、長谷(ながたに)池の北東端近くから始まる沢をずっと歩いてしまい、遠回りで山頂に近づくことになってしまったので、今回は出来るだけ短距離で登ることにした。その登山コースについて調べてみると、「花と緑の山歩道」に南麓側から六道道(ろくどうみち)で登ったことが書かれていた。ただどこを起点にするのかはっきりとしなかったので、往路は前回と同じく長谷池側から登ることにした。但し沢筋を少し入った位置より、急斜面を六道山に向かって登ることにした。そして下山路として六道道を歩くことにした。
国道2号線から県道557号線に入って南へと走り、横山集落から長谷池へ通じる車道に入った。途中に山上畜産があり、何十頭もの牛が飼われていた。そこを過ぎると車道は緩い上り坂になり、長谷池のそばに出た。車はそこに駐車とした。長谷池の北側を通る荒れ道を歩き出すと、すぐに右手に沢が現れたので、その沢へと入った。沢筋は少し歩いただけで、予定通りすぐに沢を離れて右手の斜面に取り付いた。始めは灌木の小枝を払う程度で登って行けたが、やはりシダが現れてきた。そのシダはさほど密生していなかったため、軽いヤブコギ程度で登って行けた。途中で山道と出会ったが、トラバース道だったので、横切って上を目指した。シダは現れたり消えたりで、現れても深いヤブにならなかったのは助かった。それでも登るほどに傾斜が増してきたので、易しい登りでもなかった。急斜面が一気に緩んで南西尾根の端に出たときは、スタートしてから40分が過ぎていた。ほぼ平坦な尾根を北東方向へと歩いて行く。尾根道はあったり無かったり、ときにシダが足下を覆ったが、概ね易しい尾根だった。290mほどの小ピークまで来ると、山頂が樹間を通して眺められるようになった。その辺りでは目印テープを見かけるようになった。二つの目小ピークに着くと、六道山がはっきりと見えるようになった。またこの山域が廃寺となった大円寺遍照院の寺域であったことを示す五輪塔の一部も目にした。そこからは鞍部へと下って行った。少しシダヤブっぽくなったが、細々とながら小径が続いていた。ときおり目にする目印テープも頼りになった。鞍部から登り返してもヤブっぽい道で、ときにシダヤブになることもあったが、まずまず無難に登って行けた。背後に相場ヶ裏山や石堂丸山が眺められることがあった。山頂部に出るも、南北に100mほどある山頂部の南端に出たため、北端の三角点までは今少し歩くことになった。山頂の三角点そばに立ったのは、歩き始めてから一時間半、尾根に出てから50分後だった。そこは周囲を木立に囲まれて陽射しを受けなかったため、少し離れた陽射しの当たる所で昼休憩とした。空は雲が多く、ともすると陰りがちで、曇ったときに僅かだが小雪がちらついたこともあった。昼食後に山頂で展望を少し探ってみることにした。一帯は雑木林となって展望は得られなかったが、西に少し下ると西から北西にかけての展望が有り、石堂丸山が眺められた。寒いこともあって、山頂で30分ほど過ごすと、下山することにした。またヤブっぽい道を歩いて鞍部まで戻ると、そこからは南へと谷筋を下って行くことにした。そのルートが六道道と思われた。その谷筋コースだが、木立は疎らでシダなどの下生えは少なく、また緩やかとあってけっこう楽に下って行けた。やはり正規ルートだけのことはあると思える歩き易さだった。おまけに目印テープが点々と付いていた。下るうちにここでも五輪塔の一部を見かけることがあった。また平らな所が有り、そこには以前に寺が建っていたのではと思われた。その先で小径が現れたが、あくまでも目印テープを追って下った。途中ではごく小ぶりな滝を見かけたりもあった。とにかくシダヤブが無いのは助かった。但し気楽に歩けるとは言えず、足下には礫(れき)が多くあって、何度かつまずいた。麓が近づくと小径を歩くようになり、牧場の配水池のそばに出た。そこは山上畜産の敷地で、その先は広い道となって長谷池に通じる車道へと近づいた。車道に出ると、長谷池までは10分の距離だった。特に厳しいヤブは無かったものの、それでも六道山はヤブ山と言えそうで、たまのヤブ山も面白かったと思えての六道山登山だった。
(2013/3記)(2021/3改訂) |