2003年は11月15日が狩猟の解禁日だった。解禁当初はハンターも張り切っているので、シカの多い北部の山よりも南部の手頃な山を登ろうと、佐用町の高倉山を選んだ。「播磨−山の地名を歩く」に紹介されており、それを読むと登山道もあって山頂の展望も良いとか。向かったのは翌日の16日だったが、この日は朝からモヤが強く淡い色合いの青空となっていた。北麓にある慈山寺の駐車場に車を止めて、そこから歩き始めた。登山コースとして慈山寺の南側を通る破線の道が考えられたため、その農道のような道を進んで行くと、早速5名ほどのハンターに出会ってしまった。その人たちに訪ねると、その道からのルートは無いとのこと。下山脇集落側からなら有るかもしれないとのことで、道を引き返して下山脇集落へ向かった。集落内に入るも目指した神社が今一つはっきりしなかったため、適当に登ることにした。始めに集落奧から始まった林道歩いたところ、小さな山なので林道部分はすぐに終わってしまった。それでもその先に小径が続いていたので、それを歩いた。谷あいを小径は続いていたが、途中にあった立て札には「私有地」と記されていた。辺りは薄暗い植林地だった。傾斜がきつくなってくると道は不確かになり、やがて消えてしまったが、もう尾根はごく近くに見えていた。近くの支尾根に取り付いて、一気に尾根に出た。そこは高倉山と三角点(点名・宮ノ下)との中間点辺りだった。尾根は雑木が多かったが植林も見られ、混合林と言ったところか。下草も無く樹間も空いていたので問題無く歩けそうだった。まずは三角点に立ち寄ることにした。緩く下って登り返すと、10分ほどで三等三角点に着いた。そこは北側こそ雑木が視界を塞いでいたが、南側は若木の植林地で、梢越しにこれから向かう高倉山が見えていた。それにしても地図で見るとそこは面白い地形である。南側で千種川から佐用川が別れており、千種川は山の南麓を流れ、佐用川は西の尾根を回り込んで北へと向かっている。樹間を通してその川の流れと、それに沿う集落の佇まいが眺められて、往時は交通の要所であったことが偲ばれた。それとこの地の利の良さで、山城が有ったことも頷けた。三角点からは引き返す形で高倉山へと向かった。歩き易い尾根で気楽なのだが、展望は良くなかった。そして期待した高倉山山頂は、全くの植林地で尾根の中ではむしろ一番展望の無い所だった。どうやら「播磨−山の地名を歩く」でこの項を書かれた方は、古い記憶で書いたとしか思えなかった。せっかくの山頂なので、少しは展望を得ようと辺りを探ることにした。そのまま尾根を東へと辿ると、少し下った所で山頂と同じく平坦な場所に出たが、そこは一面ササが密生していた。そのササをかき分けてヤブの東端に出てみると、その先は急尾根で一気の下り坂になっていた。そこがこの日一番の展望地で、遮るものもなく東から南にかけての山並みというか丘陵地帯が眺められた。あいにくモヤの強い視界だったが、何と言っても赤十字山が間近に眺められたのがうれしかった。この展望で、今日の高倉山登山を満足することが出来た。後は下山に向かうのみ。佐用町と南光町を限る町境尾根が北へと向かっているので、それを辿ることにした。緩やかな尾根でごく歩き易い尾根のはずだったが、実際は倒木がやたらと多く、のんびりと下ると言うわけにはいかなかった。最後は適当に尾根を下ると、慈山寺へと続く道に下り立つことが出来た。今、改めて地図を見ると、尾根は三角点の位置からもずっと長く西に続いている。この端からの遊歩道があって尾根の展望も良かったなら、蛇行する千種川、佐用川とそれに沿う街道風景が眺められて、味わいのある尾根歩きが楽しめるのにと思えた。
(2003/11記)(2012/9改訂)(2019/2写真改訂) |