◆ TAJI&HM の 兵庫の山めぐり <中播磨編> ★ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
点名・善定 ぜんじょう | 393.5m | たつの市 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
点名・田幸 たこう | 415.2m | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1/2.5万地図 : 安志 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【2007年2月】 No.1 | 2007-18(TAJI&HM) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
その2 | 《点名・善定》 南麓の札楽集落より 2007 / 2 |
今はたつの市となった旧・新宮町には古代遺跡が点在するが、その旧・新宮町を眺めてみると、揖保川と栗栖川の大きな流れがあり、そこに幾つかの支流が流れ込んでいる。その川に挟まれて500メートルまでの里山が並んで、川との間に州のような平地が形作られている。古代の人にはずいぶん住みやすい土地だったことが窺われる。その旧・新宮町の町域の南西に善定集落は位置する。北から西、南を里山に囲まれて、東側のみが開ける地形は、ちょっとした山村の趣が感じられる。その善定集落の北、東西に長く横たわる尾根に点名・善定を持つ394mピークがあるが、この尾根に興味を持ったのはその点名・善定のピークでは無く、尾根の東端にある274mピークだった。このピークは東側から見るときれいな富士山型をしており、東端から尾根を辿ってみるのも面白いのではと思わせられた。 2007年の2月に入って、第三土曜日は朝からどんよりと曇っていた。天気予報では午後に雨になる確率が高かったため、昼には下山出来そうな近場のハイキングを考えた。どうせならまだ登っていない山を訪ねてみたいと考え、274mピークを思い付いた。そして核となるピークとして394mピークに立つことにした。善定集落に近づくと、274mピークが富士の形で出迎えてくれた。その東端から登ることをまず考えていたのだが、その前に394mピークを眺めようと、車道を隣の集落の札楽(ふだらく)まで走らせた。そして394mピークを眺めると、それは立派な一つの山の姿で眺められたが、274mピークは単なる小さなピークにしか見えなかった。急に274mピークへの関心は薄れて、394mピークだけ目指そうと、考えが変わってしまった。そこで改めて地形図を眺めて、善定集落を抜ける道がそのまま林道となって尾根に近づいていることに目を付け、林道をアプローチにして尾根に近づき、西から尾根を辿って394mピークに立つことに決めた。善定集落を抜ける車道に戻り、その車道で西へと向かうと、林道となる手前にゲートがあった。ゲートは開いていたが、そこより歩き出そうと、ゲートそばの空き地に車を止めた。林道は始めは平坦なまま、尾根と平行に西へと延びていた。やがてつづら折れの道となり、急坂で尾根に近づいて行った。その林道がヘアピンカーブとなったとき、林道から巡視路風の小径が分かれているのを見た。林道でのアプローチはそこまでとして、後はその小径で尾根を目指すことにした。ところが小径は山上には向かわず、いつまでも尾根と平行して続いていた。そこで小径を離れて、尾根を目指して適当に斜面を登ることにした。一帯は灌木林で、下草にシダが目立ったが、少しヤブっぽい程度で登って行けた。尾根が近づくと、雑木と植林の境に出た。そこには踏み跡程度の道があり、それを辿ると無理なく尾根上に出た。位置を確認するために、一帯で一番高い所を目指すと、そこはすっかり植林地で、倒木があって少し雑然としていた。そこはどうやら430m程度の標高点の無いピークと思われた。そのピークに立って気が付いたのは、北の方にほんの少し下りた所に林道が走っていることだった。持っていた地形図には載っていない林道で、西から来て北へと向かっていた。その北の方向には三角点記号のある415mピーク(点名・田幸)があるため、その三角点ピークにまず立つことを思い付いた。早速林道に下りて、北を目指した。林道はほぼ平坦に続いていたが、一帯は植林地とあって、視界はその植林に閉ざされていた。ときおり植林の隙間から遠くに白い建物がみえたが、どうやら播磨科学公園都市のようだった。林道を歩きながらどこまで続いているのかと思っていると、415mピークが近づいて終点となった。もう一帯は植林地から雑木林に変わっており、その一角から415mピークへの小径が始まっていた。いわゆる尾根道だった。その小径は落ち葉にすっかり隠されており、落ち葉を踏みながらの尾根歩きとなった。その途中で木々が空いて北の方向の覗けるときがあった。そこからは姿の良い山が見えており、どうやら高倉山のようだった。落ち葉道の楽しい雰囲気のまま415mピークに着くと、そこもすっかり雑木林で、四等三角点(点名・田幸)は落ち葉に隠され気味だった。415mピークには、そこに立つことだけが目的だったため、当初の目的の394mピークを目指してすぐに引き返した。そのとき、ザワザワと音がし出した。どうやら我慢していた空から、雨粒が落ち出したようだった。林道を引き返していると、雨粒はいっとき小雪に変わった。それはすぐに終わり、次はアラレとなった。それも林道を離れる頃には、しとしとと小雨に変わった。林道を離れて394mピークへと向かう尾根に入ると、少し荒れ気味ながら巡視路のような小径が続いていた。周囲は雑然とした雑木林で、展望は開かなかった。その尾根歩きを続けるうちに、雨は強くなって来た。その雨の中、大きな木を見つけて、その下で昼時とした。久々に雨中での昼食だった。手早く昼を済ませて尾根歩きを始めると、大きな送電塔に着いた。その一帯は広く伐採されており、この日一番の展望が広がっていた。南に向かっての展望で、大蔵山から城山へと続く尾根が一望だった。尾根の巡視路はそこまでだったが、その先も細々と小径は続き、少しずつ高度を上げて、この日二つめの三角点ピークに着いた。こちらの三角点は三等三角点(点名・善定)だった。もう本格的な雨で、単に山頂に着いたと言う思いだけだった。すぐに下山にかかることにした。ただピークから麓への道が見えなかったため、尾根を今少し東へと辿って、分岐点を探ることにした。もう尾根道はケモノ道程度で、それもシダに隠され気味だった。シダを踏むようにして歩き易い所を選びながら尾根を下って行くと、274mピーク手前の鞍部が近づいて来た。その辺りから南の善定集落へ向かう支尾根が分かれていたため、小径は見えなかったがその支尾根で麓を目指すことにした。シダヤブに会うことを警戒したが、軽いヤブコギ程度で雑木林の中を下って行け、無事麓に下り着いた。山裾はすっかり害獣避けのフェンスが張り巡らされており、それを適当に越えるとそこは墓地で、善定集落の東端の位置だった。もう昼を回っているのに気温は6℃と朝と変わらぬ低い気温で、その中を冷たい雨にうたれながら、駐車地点へと戻って行った。 (2007/3記)(2015/7改訂)(2022/2写真改訂) |
<登山日> | 2007年2月17日 | 9:11ゲート前スタート/9:39林道を離れる/10:06山上に出る/10:14[430m]ピーク/10:41点名 ・田幸/11:20〜35山中で休憩/12:08点名・善定/12:32尾根を離れる/12:49墓地そばに下り着く/13:05エンド。 | |
(天気) | 朝から今にも雨が降り出しそうな空で、どんよりと曇っていた。気温は5℃で、湿っぽい冷たさあり。風は無し。点名・田幸に着いた頃より雨が降り出す。ときおり小雪が混じったり、アラレが混じる。点名・善定に着く頃には、本格的な雨になっていた。 | ||
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